目次
- 逮捕時の異様な姿が衝撃的だった深川通り魔殺人事件の真相
- 深川通り魔殺人事件とは
- 1981年6月東京都江東区の路上で主婦や児童が包丁で刺される
- 乳児を含む4人死亡・2人が怪我を負う
- 包丁で刺した男性は通行人女性を人質に立てこもる
- 立てこもり先の家族は裏口から逃げだす
- 立てこもり男性は2階でさらに立てこもりを続ける
- 人質に取られていた通行人女性が逃げだす
- 警察官が突入し男性を現行犯逮捕
- テレビ中継され世間を騒がせた
- 逮捕された犯人の素性
- 川俣軍司
- 傷害事件など7回の逮捕歴がある
- 事件の2か月前に出所したばかり
- 覚せい剤の常習者
- 川俣軍司の犯行動機
- 電波に操られた
- 面接が不合格だったことに腹がたった
- 家族連れが羨ましかった
- 祖父の敵討ちという説もある
- 深川通り魔殺人事件の悲惨な現場
- 刺された少女の腹から腸が飛び出していた
- 執拗に腹部や胸を刺した
- 柳刃包丁の刃先が欠けるほど殺戮を続けた
- 「殺す」と脅し女性を約7時間拘束した
- 川俣軍司の狂気的な発言集
- 死んだ人間はこれも運命だ
- 殺された町人も幸せだろう
- 俺は正常で今度の事は真剣な気持ちでやった
- いつでも恨みを晴らさせてやる
- 電波でひっついてる役人を全員連れて来い
- 川俣軍司の生い立ち
- 1952年誕生
- 両親は共に漁業を行っていた
- 兄と姉が2人ずつの5人兄弟
- 進学を諦め中学卒業後上京
- 入れ墨をきっかけにトラブルを起こすようになる
- 寿司店を解雇され職を転々とする
- ストレスから酒に依存する
- 19~20歳ころから覚せい剤を使用する
- 窃盗や恐喝など犯罪を繰り返す
- 母親の葬儀で弟への暴行で逮捕されたことも
- 深川通り魔殺人事件ともう一つの殺人事件
- 川俣軍司の祖父は数十年前に殺害された
- 場所は事件現場と同じ江東区
- 被害者となった主婦は祖父を殺害した人物の孫
- 電波ではなく祖父の霊に操られていたという噂も
- 「犯行時はまとも」という発言から信ぴょう性が増した
- 川俣軍司の現在
- 1982年12月無期懲役の判決が下る
- 現在も刑務所に服役中
- 自殺等の報告はない
- 自身も幻覚妄想に苦しめられている人が支援を申し出る
- 深川通り魔殺人事件の影響
- 関連書籍が販売された
- 映像化
- 小遊三の風評被害
- お笑い芸人らが犯人の姿をネタにした
- 深川通り魔殺人事件から考えるべきこと
- 覚せい剤使用の恐ろしさ
- 精神疾患による減軽
- 騒ぎを聞きつけて現場に近づくことのリスク
- 被害者が存在する事件への配慮
- 印象的な事件をネタに商売すること
- 犯罪者と精神疾患への意見
- 精神障害があれど行った行動は平等に罰するべき
- 加害者への配慮が過剰すぎる
- 精神疾患が犯罪者の逃げ道になっている
- 精神疾患は関係者にしかわからないため配慮されて然るべき
- 犯罪を犯すのではないかという恐怖
- 犯人の異様な姿は思い出せるのに事件の内容を忘れてしまう残酷な世間
川俣軍司は、19~20歳前後で覚せい剤を使用するようになったと言われています。覚せい剤を使用したのは、酒の席で知り合ったヤクザから購入したのがきっかけです。ストレスを紛らわせるために酒に逃げ、そして酒以上にストレスを紛らわせる覚せい剤に、川俣軍司はハマっていきます。
覚せい剤を使用するようになってから、警察沙汰となる事件を頻繁に起こすようになりました。この頃から、両親との折り合いも悪くなり、喧嘩は絶えず両親は実家を出ていきます。
覚せい剤を使用するようになってから、警察沙汰となる事件を頻繁に起こすようになりました。この頃から、両親との折り合いも悪くなり、喧嘩は絶えず両親は実家を出ていきます。
窃盗や恐喝など犯罪を繰り返す
via pixabay.com
19歳で一度実家へ戻り、運転免許を取得後、運送会社に就職しましたが、すぐに退職し東京へ戻ります。東京では、土建会社に就職したものの、長続きしませんでした。この頃、度々警察沙汰となる事件を起こします。1971年6月、通行人を恐喝し現金を奪い取り、執行猶予付きの判決を受けました。
翌年の1972年、傷害事件を起こし罰金刑を言い渡されます。同じ年の9月には、暴行事件を起こし実刑判決が下りました。1971年に起こした事件の執行猶予が取り消され、2年以上と服役となります。
1975年に出所したものの、道路交通法違反で罰金刑となり、さらにそのストレスを晴らすため酒を飲み暴れ、逮捕されました。短期間で複数回逮捕され、出所してもすぐに問題を起こす川俣軍司の生活は、荒み続けます。
翌年の1972年、傷害事件を起こし罰金刑を言い渡されます。同じ年の9月には、暴行事件を起こし実刑判決が下りました。1971年に起こした事件の執行猶予が取り消され、2年以上と服役となります。
1975年に出所したものの、道路交通法違反で罰金刑となり、さらにそのストレスを晴らすため酒を飲み暴れ、逮捕されました。短期間で複数回逮捕され、出所してもすぐに問題を起こす川俣軍司の生活は、荒み続けます。
母親の葬儀で弟への暴行で逮捕されたことも
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仕事が続かない川俣軍司は、一時期家業のシジミ漁を継ぎました。弟を使い、漁師を続けていましたが、漁に使用していた船を売却し、その直後傷害罪で逮捕され漁師を辞めます。さらに、ガンで死亡した母親の葬儀で弟に暴力を振るい、また懲役刑となりました。
この頃、川俣軍司の発言は常軌を逸したものになっていきます。「電波」という発言も増え、幻聴や幻覚、妄想に苦しみ始めました。川俣軍司の兄は、不可解な言動に不安を感じたため、数万円を渡し、実家に二度と近づかないようにと釘を刺します。
この頃、川俣軍司の発言は常軌を逸したものになっていきます。「電波」という発言も増え、幻聴や幻覚、妄想に苦しみ始めました。川俣軍司の兄は、不可解な言動に不安を感じたため、数万円を渡し、実家に二度と近づかないようにと釘を刺します。
深川通り魔殺人事件ともう一つの殺人事件
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深川通り魔殺人事件の直後、被害者やその家族に配慮され、伏せられていた事実があります。それは、深川通り魔殺人事件とは別の、数十年前に起こった事件です。
この事件が明るみになってから、川俣軍司が発言した「電波」「操られている」という奇怪な言葉が、別の意味を持ち始めました。深川通り魔殺人事件が発生する数十年前に起こった事件と、深川通り魔殺人事件はどのような関係を持っているのでしょうか。
ここからは、深川通り魔殺人事件に関連が深い、もう一つの事件について、ご紹介していきましょう。
この事件が明るみになってから、川俣軍司が発言した「電波」「操られている」という奇怪な言葉が、別の意味を持ち始めました。深川通り魔殺人事件が発生する数十年前に起こった事件と、深川通り魔殺人事件はどのような関係を持っているのでしょうか。
ここからは、深川通り魔殺人事件に関連が深い、もう一つの事件について、ご紹介していきましょう。
川俣軍司の祖父は数十年前に殺害された
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深川通り魔殺人事件の加害者である川俣軍司の祖父は、深川通り魔殺人事件の数十年前、殺害されています。川俣軍司の祖父が殺害された事件の詳細な情報は、現在も多く出回っていません。インターネットが普及した現代では、小さな事件であっても、情報の多くがネット上に掲載されます。
しかし、深川通り魔殺人事件よりもさらにさかのぼった時代に発生した事件は、インターネットがまだ普及していなかった時代であったため、大事件や世間に衝撃を与えた事件以外、それほど多く掲載されないのです。
しかし、深川通り魔殺人事件よりもさらにさかのぼった時代に発生した事件は、インターネットがまだ普及していなかった時代であったため、大事件や世間に衝撃を与えた事件以外、それほど多く掲載されないのです。
場所は事件現場と同じ江東区
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川俣軍司の祖父が殺害された現場は、くしくも孫が深川通り魔殺人事件を起こした現場と同じ江東区内でした。さらに、この事件と深川通り魔殺人事件には共通点があります。川俣軍司の祖父を殺害した人物は、覚せい剤常習者だったのです。
覚せい剤を使用した男性が、路上で川俣軍司の祖父を刺殺しました。殺害方法も、深川通り魔殺人事件と一致しています。祖父を殺害された孫の川俣軍司は、数十年後、近い現場で同じ方法を使い、人々を殺害しました。当時の加害者と同じく、川俣軍司は覚せい剤常習者でもあります。
覚せい剤を使用した男性が、路上で川俣軍司の祖父を刺殺しました。殺害方法も、深川通り魔殺人事件と一致しています。祖父を殺害された孫の川俣軍司は、数十年後、近い現場で同じ方法を使い、人々を殺害しました。当時の加害者と同じく、川俣軍司は覚せい剤常習者でもあります。
被害者となった主婦は祖父を殺害した人物の孫
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深川通り魔殺人事件の加害者川俣軍司と、その祖父を殺害した加害者は、非常に似ているとし、事件発生の数年後話題となりました。深川通り魔殺人事件の数年後に、この話題が持ち上がった理由は、被害者遺族への配慮でもあります。
深川通り魔殺人事件で川俣軍司に殺害された主婦の1人は、祖父を殺害した加害者の孫だったのです。深川通り魔殺人事件発生直後、被害者の身元を確認した段階で、警察はこの事実に気付いていました。
しかし、等事件では被害者であり、前に発生した事件の当事者、加害者でもなかったことから、世間の混乱や風評被害を懸念し、世間に公表する必要がないと判断されます。
深川通り魔殺人事件で川俣軍司に殺害された主婦の1人は、祖父を殺害した加害者の孫だったのです。深川通り魔殺人事件発生直後、被害者の身元を確認した段階で、警察はこの事実に気付いていました。
しかし、等事件では被害者であり、前に発生した事件の当事者、加害者でもなかったことから、世間の混乱や風評被害を懸念し、世間に公表する必要がないと判断されます。
電波ではなく祖父の霊に操られていたという噂も
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川俣軍司は深川通り魔殺人事件の裁判中、しきりに「電波」「操られていた」と主張します。当時は、覚せい剤の使用によって、思考が混乱しているとみなされていましたが、川俣軍司の祖父の事件が明るみになった時期から、印象が変わり様々な考察が飛び交うようになりました。
川俣軍司は祖父の復讐をするために、事件を起こしたという説も飛び交いましたし、電波ではなく、祖父の霊に操られていたのではないかという噂も飛び交ったのです。
川俣軍司は祖父の復讐をするために、事件を起こしたという説も飛び交いましたし、電波ではなく、祖父の霊に操られていたのではないかという噂も飛び交ったのです。
「犯行時はまとも」という発言から信ぴょう性が増した
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奇怪な言動を繰り返していた川俣軍司でしたが、一貫して「犯行時はまともであった」という主張を繰り返します。「電波に操られていた」という不可解な主張と、それらを正常な思考で判断し、実行したという主張を続けたのです。これらの発言から、祖父の霊に操られていたという説が、信ぴょう性を持ち始めました。
2つの事件には類似点が多く、偶然としてはあまりに出来過ぎていたことから、オカルト的な見方の考察が増え、現在も謎に包まれています。ちなみに、川俣軍司は「祖父の霊」という単語を使ったことがなく、裁判でも「祖父の事件の仕返し」等の主張はありませんでした。
2つの事件には類似点が多く、偶然としてはあまりに出来過ぎていたことから、オカルト的な見方の考察が増え、現在も謎に包まれています。ちなみに、川俣軍司は「祖父の霊」という単語を使ったことがなく、裁判でも「祖父の事件の仕返し」等の主張はありませんでした。
川俣軍司の現在
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深川通り魔殺人事件は、加害者川俣軍司の逮捕時の様子、そしてその後に発覚したもう一つの事件によって、さらに大きな注目を集めました。その他にも、裁判中の発言や、その判決も世間から大きな注目を集めます。
ここからは、深川通り魔殺人事件の裁判の様子と判決、さらに川俣軍司の現在の様子について、詳細にご紹介していきましょう。
ここからは、深川通り魔殺人事件の裁判の様子と判決、さらに川俣軍司の現在の様子について、詳細にご紹介していきましょう。
1982年12月無期懲役の判決が下る
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