2019年8月21日 更新

昭和天皇にまつわる24のエピソード!昭和天皇が残して下さった名言も

世界恐慌、手痛い敗戦などを経て、焼け野原から世界が驚くほどの復興と、経済的成長をも果たした昭和時代の日本。そんな激動の時代を国民と共に歩み、常に見守って下さったのが昭和天皇です。今回は、歴代天皇の中でも長く在位した、昭和天皇のエピソードや名言を紹介します。

目次

激動の時代に日本を守り抜いた昭和天皇

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戦後から現代に至るまで、GHQの日本人弱体化計画の為に、戦前思想犯としてアカ狩りされていた左翼思想や、共産主義の工作員…いわゆるコミンテルン達が釈放されます。それらの者達は、マスコミ、司法、行政、労働組合、そして日教組を始めとする教育機関に送り込まれ日本人を洗脳していました。

それと同時に、特定アジア(中国、北朝鮮、韓国、在日含む)と呼ばれる隣国へ反日工作を行った為に、未だ日本で堂々と反日工作を続ける、在日朝鮮人や在日韓国人がのさばっているのです。これらの工作や洗脳により、日本人は愛国心を持つことを許されず、自虐史観を植え付けられ、アイデンティティを壊され続けていました。

しかしこの10年程の間、ネットやSNSの発達したことにより、これらの工作員のほとんどが日本人では無かったことに気が付き、ようやく愛国心や正しい歴史を取り戻そうとする人達が増えています。その為、最近は焦った特亜の人達が、正体を隠すことも無く必死で工作を増やしていますが、もう日本人の目覚めは止められないかもしれません。
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実は日本という国は、世界で一番古い国家です。しかも、2600年以上同じ朝廷を持つという国は、世界でも日本だけしかありません。世界では王や皇帝が国を治めていても、次の誰かが前王朝を必ず滅ぼし(革命)、新たな王が立ち上がる為に同一国家というものではなくなってしまいます。

その中で日本は、建国以来父を辿っていけば全て神武天皇にたどり着くという男系で、未だに同じ朝廷を維持しています。更に現在、世界中で皇帝(エンペラー)という存在は天皇陛下しかおらず、実は日本の天皇陛下が地位も身分も世界で1番上なのです。そんな長きに亘る歴史や、唯一の皇帝が羨ましく妬ましい特亜の工作員達は、今も何とか皇室を破壊しようとし続けています。

先日もあいちトリエンナーレにて、昭和天皇の写真を燃やしたものをアートなどと言う反日工作員が出て、日本人の怒りに火を点けてしまいましたが、日本人にとっての天皇という存在は、国体や象徴であり父でもあるのです。戦後、戦争責任を天皇に被せようとしていたGHQでしたが、焼け野原を巡幸した昭和天皇を多くの日本国民は「バンザイ」と叫び、歓喜して復興にまい進しました。そんな激動の時代を守り抜いた昭和天皇には、とても多くのエピソードがあります。今回は、偉大なる昭和天皇にまつわるエピソードや名言を紹介してきます。

昭和天皇のプロフィール

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平成の31年間、そして令和という新たな元号を迎えた現在、今や昭和という時代を全く知らない若者達も増えました。しかし、昭和時代は64年と長い為、同じ時代でありながら戦前、戦中、戦後、そして高度成長期と生まれた時期によっては、相当のジェネレーションギャップを感じる時代でもあります。

明治維新後、日本は白人たちの植民地化を避ける為、世界の荒波に躍り出ることになり、目まぐるしい変化を遂げていきました。偽ユダヤ人(白人)の仕掛けた、白人達の資本主義によるアジア侵略と、コミンテルン達の共産主義による革命などにより、世界は動乱に巻き込まれていくのです。

そのような中で昭和天皇は、病弱であった父、大正天皇を支える摂政としてわずか20歳という若き頃から、この国を守る為に日夜祈り、天皇としての役割を全うしようとしました。そんな昭和天皇は、一体どのような人生を送ってきたのでしょうか?ここでは、昭和天皇の生い立ちを紹介していきます。

第124代天皇

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冒頭でも触れましたが、日本はギネスにも公認されている世界最古の国家です。2019年という数え方は、明治維新後西洋に合わせたもので、この西暦とはキリストの誕生が基準となっています。日本には元号もありますが、皇紀(こうき)と呼ばれる、神武天皇即位の年から始まる独自の歴もあります。

皇紀で見ると2019年現在の日本は、皇紀2679年となり、いわゆる紀元前から存在するとても長い歴史を持つ国だということが改めて感じられるでしょう。今現在、この皇室破壊をするべく、女系天皇を叫ぶ工作員が増えていますが、男系だったからこそ同一朝廷と見なされることを忘れてはいけません。

どの天皇も、父の父、父の父の父などと辿っていけば、必ず神武天皇に当たるということが重要で、女系(母方)では、何れどこの馬の骨かも分からない輩が即位して、別の皇統が誕生することになります。その瞬間、2679年も続いた歴史と、日本という国家は終焉を迎えてしまうのです。このような悠久の歴史を持つ天皇という地位と、父である大正天皇の意志を一身に背負いながら、第124代天皇に即位したのは、当時まだ25歳という若さの「裕仁(ひろひと)皇太子殿下」でした。

1901年4月29日誕生

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○○天皇という呼び方は、諡号(しごう)や追号(ついごう)と言い、天皇が崩御した後に呼ばれる称号です。現在の天皇のことは今上(きんじょう)と呼び、幼少期や即位前には、○○宮や○○親王という呼び方をします。

崩御からすでに30年の時が過ぎ、今ではすっかり昭和天皇という呼び名が定着してしまった陛下ですが、御誕生は1901年(明治34年)4月29日(月)と、実は明治のお生まれです。当時まだ皇太子であった嘉仁(よしひと)親王(のちの大正天皇)と、皇太子妃であった節子妃殿下(のちの貞明皇后)の第一子として誕生しました。

父である嘉仁皇太子は、幼少期から身体が弱く、天皇としての重責に耐えられるのか、または皇統を繋ぐことが出来るのかと不安視されていたのです。しかし、御成婚からわずか1年以内に、世継ぎとなる男子が誕生したことで、日本中が歓喜に包まれました。

お印は若竹

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世継ぎの誕生に日本中が歓喜に湧きたちました。全国各地で号外が配られ、日本中が国旗を掲げ万歳をする人々や街中に溢れ、皆が「君が代」を歌い日本中がお祝いムード一色となりました。

お七夜が丁度「端午の節句である」5月5日(日)と重なったことで、国民の喜びもひとしおの中、祖父である明治天皇が称号を「迪宮(みちのみや)」、諱(いみな)を「裕仁(ひろひと)」と名付けました。お印は、母である皇太子妃が選定した「若竹」に決まります。

若宮の名前が決まると、日本中は更に歓天喜地の大喝采となり、桜田門や品川沖では陸軍、海軍による祝砲が轟き、日比谷公園では花火が打ち上げられ、各地で奉祝の提灯行列も行われました。この時、宮中で開かれた祝宴では、初めて皇族や大臣達が「バンザイ」を唱えたということからも、いかに万世一系の皇統を継ぐものの誕生を、日本国中が待ち望み寿いでいたのかが分かります。

在籍期間が最も長い

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神話を学ばない国は必ず滅びると唱えたのは、イギリスの歴史学者であるトインビー博士です。その教訓からなのか、GHQは戦後日本の教科書から神話を消し去りました。更に左翼思想や共産主義思想の工作員となった学者達は、古事記や日本書紀に登場する神武天皇(じんむてんのう)をも否定し続けているおかげで、未だ万世一系を疑う人も多いのです。

しかし神話は、自国がどのようにして誕生したのか?という建国の歴史のスタートであり、民族としてのアイデンティティを保つ為にはとても重要なのです。古事記などの神の話を否定するのであれば、キリスト教圏のイギリスやアメリカ、イスラム教圏の中東、そしてユダヤ教を楯に、やりたい放題しているイスラエルの建国も全否定する必要があります。

話が少し逸れてしまいましたが、確かに古事記などの神話のみで確認出来る初期の天皇達は、実在したかどうかの信憑性が高いとは言い切れません。神話に残されている初代の神武天皇を始め、古代にいた天皇達の寿命が100歳を超えていることもあり、本当は誰が1番長く在位していたのかは不明です。しかし、確実に存在していた歴代の天皇の中では、昭和天皇の在位期間が約62年と最も長く、更に87歳という長寿の天皇だったことは間違いないと確定できるのです。

戦争行為において一切の責任を受け入れると発言した事でも有名

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2019年で戦後74年となりましたが、特亜(中国、北朝鮮、韓国、在日含む)の人々のみが、未だに日本はアジアの国々を侵略しただの、昭和天皇は大罪人であるなど叫んでいます。しかし、アジアはこの3か国だけではありません。大東亜戦争は、当時白人達に植民地化されていた数多くのアジアの国々を独立させるきっかけを作り、今でも台湾、インドネシア、トルコ、マレーシア、インドなどなど親日国だらけです。

玉音放送で知られる、終戦の詔書(しょうしょ)は皆さんもご存じでしょうが、実は開戦を告げる「開戦の詔書」があったことを知っている人は少ないかもしれません。昭和天皇は、この中でギリギリまで平和的に解決しようとしたことや、この戦争は本意ではないこと、そして白人に苦しめられている東アジアの解放を訴えていたのです。

しかし、欧米は各都市への無差別空襲や原爆投下など、明らかな戦争犯罪を犯してまでも民間人を虐殺し続けました。このままでは、日本人やアジアの人々が滅びてしまうと危惧した陛下は、終戦を告げる玉音放送を命懸けで録音し、国民に終戦を告げたのです。更に終戦後、陛下は自分の命と日本人の命運を握るマッカーサーに自ら会うことを望み、会見の際には「一切の責任は自分にある」と述べ、マッカーサーを感動させたことも有名です。

生物学研究者としても知られる

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昭和天皇は、幼い頃から昆虫採集が大好きで、虫を捕まえると図鑑で名前を調べるのが日課だったと言われています。そんな陛下がまだ皇太子だった頃、東宮御学問所が設立されたことにより、本格的な生物の学問に触れることになりました。

ある意味特権と言えますが、生物が大好きな昭和天皇の元には世界中から、あらゆる生物の標本やはく製が集まり、1925年(大正14年)には、生物学御研究所が作られたのです。陛下は忙しい合間を縫って様々な生物や、変形菌・ヒドロ虫類などの分類学を研究しました。

陛下は生涯で、貝やエビなどの新種を発見し、研究著書も数多く残しています。

昭和天皇のエピソード【皇太子時代】

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