2019年8月21日 更新

昭和天皇にまつわる24のエピソード!昭和天皇が残して下さった名言も

世界恐慌、手痛い敗戦などを経て、焼け野原から世界が驚くほどの復興と、経済的成長をも果たした昭和時代の日本。そんな激動の時代を国民と共に歩み、常に見守って下さったのが昭和天皇です。今回は、歴代天皇の中でも長く在位した、昭和天皇のエピソードや名言を紹介します。

目次

昭和天皇が生まれた頃の天皇は、軍の大元帥(だいげんすい)も兼ねる為、陛下は幼い頃は木馬で遊び、5~6歳頃から乗馬を始めました。乗馬はかなり習得し、障害飛越や馬術などもマスターしていたようです。

その他にも、古式泳法やデッキゴルフ、テニス、ビリヤード、果ては水球まで楽しんでいたのですが、本人がのちに記者達に語った言葉によれば、「何一つ身に着かなかった」と言うのです。

陛下ならではの謙遜かもしれませんが、少なくとも身体を動かす事については嫌いだった訳では無いのでしょう。幼い頃から、身体を動かしていたことにより、健康で長生き出来たのかもしれません。

雑草というものはありません

Dandelion Backlighting Mood Common - Free photo on Pixabay (572697)

昭和天皇の名言の中で、最も有名なのはこの「雑草というものは無い」というお言葉かもしれません。この名言は、当時陛下に仕えていた入江侍従長が、陛下のエピソードとして上げたものです。

御静養で自宅を留守にしている間、侍従達は庭の草刈りをしたのですが、人手が足りず間に合いませんでした。陛下がお戻りになり、草刈りが間に合わなかったことを詫びると、「どうして刈ったのかね?雑草というものは無い!どんな草にも名前がある」と叱られてしまったそうです。

同時に「それぞれに住む場所を決めて生きているのに、人間の勝手で片付けてはいかん」とも叱られ、侍従は反省したと言われています。陛下は生物学者ということもあり、命に対する重みや個性などを大切にしていたのかもしれません。この名言から、陛下は相手が植物でも人間でも、皆同じ命だという考えを持っていたことが窺えます。

世の中には住む家の無い人もいるのに

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先程も少し触れましたが、昭和天皇と香淳皇后は戦時中から戦後まで御文庫(おぶんこ)という地下に住んでいました。御文庫とは、吹上御苑内に建てられていた、大本営会議室用の防空施設である御文庫附属庫(おぶんこふぞくこ)に、両陛下用の住居兼防空施設として増設された場所のことです。

両陛下は、1943年(昭和18年)1月8日(火)にここへ移住し、その後1961年(昭和36年)になってようやく吹上御所に引っ越しました。しかも新築依頼を許可したのもその前年なのです。御文庫は、防空壕を兼ねた地下室の為、通気性も無く、湿気がとても酷いという劣悪な環境でした。

戦後6年が過ぎた1951年(昭和26年)頃、余りの環境の悪さに陛下の身体を心配した近臣達は、新居を作ることを提案します。しかし陛下は「世の中には、住む家の無い人もあるのに」「皆が苦労しているのに自分だけそうするのは出来ない」と、国民の心配をしながら引っ越しを拒み、実に18年もの間、御文庫に住み続けていたのです。

昭和天皇のエピソード【外国】

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昭和天皇は、戦後海外のマスコミの取材にも気さくに応じ、「裕仁」という名は世界中に広まっていきます。当初、天皇(エンペラー)や王室(キング、クィーン)を持たないアメリカのGHQは、天皇とエンペラーを持つ日本に対して、非常に妬みを持っていました。

アメリカで神と言えば、キリスト以外あり得ないこともあり、現人神と呼ばれ日本人を団結させる天皇という存在に、不気味さと恐ろしさを感じており、何とか滅ぼしてもう二度と日本人が歯向かってこないよう、日本人破壊を計画したのです。それは今も続いているのですが、その理由は、日本人のみが唯一白人に牙を剝いた「黄色人種」だからです。

その為、戦争責任を昭和天皇に押し付け、皇室を破壊しようと画策していましたが、戦後陛下が全国を巡幸した際の日本国民の歓迎っぷりを見て、GHQはとても驚きました。1度はあまりの恐怖心から、巡幸の中止を命令する程でしたが、その後全国からたくさんの巡幸要請と嘆願が届き、日本人の天皇陛下に対する想いを無視することが出来なくなったのです。ここでは、そんな昭和天皇と係わった外国人達のエピソードを紹介していきます。

マッカーサー

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どんな無理難題を突き付けられても、中々戦争を引き起こさない日本人と、極東の国などどうでもよい個人主義のアメリカ人を戦わせる為画策したのは、偽ユダヤ人(白人のユダヤ教徒)のルーズベルト大統領です。もちろん、当時も今も日本の外務省には共産主義思想のスパイが入りこんでおり、日本の宣戦布告をわざと出しませんでした。

ルーズベルトも、暗号ですでに真珠湾攻撃があることを知っているのにも係わらず、アメリカ人の戦意を煽る為、真珠湾にいた兵隊達を犠牲にしたのです。同じように、日本人を壊滅させるべく、降伏をしようと交渉していた日本に、原爆を投下したのもルーズベルトの執念でした。その後大統領を引き継いだトールマンも偽ユダヤ人で、彼は戦後、日本人1000万人を餓死させろという指令をマッカーサーに出していたのです。

そのような中、昭和天皇がマッカーサーに会いたいと申し出てきた時、マッカーサーは当然命乞いに来るのだと考えていました。しかし、陛下は「責任は全て自分にある。自分の命に代えても罪の無い国民8000万人の衣食住をお願いします」と頭を下げたのです。この8000万人とは、日本人だけではなく当時併合や統治していた、朝鮮や台湾、樺太などの外地の人々も含めての人数です。「私も日本人に生まれたかった」とマッカーサーはとても感激し、食糧を確保してくれました。

イギリス王室

Union Jack British Flag - Free image on Pixabay (573025)

昭和天皇は皇太子時代にイギリスを訪問していますし、大正後期までは日英同盟を結んでいた関係だったこともあり、陛下が即位した後の1929年(昭和4年)には、イングランドの最高勲章とガーター勲章を授けられていました。

しかし、1941年(昭和16年)に日英戦争が勃発したことにより、全ての勲章をはく奪され、名簿からも名前を消されていたのです。

イギリスでは最高の勲章や地位だったとしても、基本的には世界最古のエンペラーである昭和天皇の方が、地位は高いので無くても関係無かったのかもしれませんが、戦後日英の交流が始まり、陛下のイギリス訪問が決まると、イギリス王室ははく奪した勲章と地位を回復しました。それ以来、イギリス王室と日本の皇室は今も交流を続けています。

鄧小平中央軍事委員会主席

China Five Star - Free image on Pixabay (573043)

中華人民共和国は、戦後作られた共産主義国家です。現在の習近平国家主席は、わりと知能が低めの男なのでかなりの独裁者であり、好戦的な人物なのです。しかし、戦後すぐの国家主席である周恩来(しゅうおんらい)や、鄧小平(とうしょうへい)は、日本を利用するべく知日派や穏健派を装い、日本に近づいて中国スパイを作った狡猾な人物達です。

その証拠に、日中友好を謳いながら国内での反日運動を始め、次席には対日強硬派の江沢民(こうたくみん)を指名しています。そのような中で、1978年(昭和53年)に、中国の指導者として初めて日本にやってきた鄧小平は、昭和天皇と会見しました。

その際、陛下が「不幸な出来事がありましたが、これからは長く親善を」「あなたの国に迷惑を掛けて申し訳ない」という言葉を掛けたことで、とても感動したという話が残されていますが、本当に感動したのかそれとも利用しようとしたのかは不明です。ただ、この対面の後から中国政府は天皇の訪中を要請し始めたことを考えると、確実に利用しようとしたと言えるでしょう。

国民に寄り添い続けた昭和天皇について知ってみよう

Sun Mt Fuji Japan - Free photo on Pixabay (573058)

明治に生まれ、大正、昭和という激動の時代を駆け抜けた昭和天皇は、常に国民に寄り添う偉大な国父でした。ネットやSNSの普及でここ10年程の間に真実を知る人々や、愛国心を持つ若者が増えてきましたが、現在も教科書では自虐史観や反日工作が仕込まれたままで、未だ洗脳されている人達はいるのです。

その為、天皇について悪や独裁者、女系天皇を認めない差別者などと信じている者もおり、GHQが戦後仕掛けた洗脳教の効力は中々消えません。なりすまし日本人や、弱みを握られてスパイになった日本人は今もあちこちに存在していますが、最近は世界情勢が変わりつつあるので、なりふり構わず反日政策を仕掛けてくるようになりました。

日本が今も日本であり続け、我々が日本語のみで生活出来るのは、植民地にならないようにと頑張った幕末の武士達や、国家を一等国にする為働いた政府と、多くの日本国民、そして命を懸けて国民の生活を守ろうとしてくれた昭和天皇のおかげなのです。共産主義者達の言葉に惑わされず、今こそ世界最古の国を守る為に、大切な日本の皇室をもっと理解する必要があります。2679年も続いた皇統を次代の悠仁親王に繋げる為、そして日本を守る為、昭和天皇がいかに尽力してきたのかを、今こそ国民は知るべき大切な時かもしれません。

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