2019年7月23日 更新

オウムの村井の生い立ち!刺殺事件の真相や犯人のその後は?

無差別テロと呼ばれる地下鉄サリン事件の後、オウム真理教のNo.2であった村井秀夫刺殺事件が起きました。当時から現在まで、村井は口封じされたのではないか?という疑惑が多く語られています。今回は、村井秀夫刺殺事件の真相や、犯人の正体とその後を紹介します。

目次

徐裕行は、1965年(昭和40年)5月25日(火)に産まれています。冒頭で、村井の生年月日もお伝えしましたが、何の因果か徐も同じく仏滅の生まれです。

徐は、朝鮮人ですが群馬県桐生市で生まれました。しかし、群馬県高崎市で生まれたと話している人もいて、出生地からしてあやふやな印象と言えます。

更に両親は、徐の身元を隠す為に、「田中裕行(タナカヒロユキ)」という通名を名乗らせています。徐の父親は、現在もある在日朝鮮人経営のタクシー会社、「エムケイタクシー」の運転手、母親は戦後酒の密造をしており、取り調べを受けたこともありました。その他に、徐には姉が2人います。

1968年朝鮮籍から韓国籍へ変更

Julia Roberts Republic Of Korea - Free vector graphic on Pixabay (500574)

今でこそ、朝鮮人と韓国人と呼び方を区別されてしまっていますが、元を正せば同じ朝鮮人です。韓国という国は、朝鮮戦争後に南部地方をアメリカが実質支配した為、新たに出来た国ですが人種に違いは全くありません。

戦前から居残った者や、朝鮮戦争後に密入国してきた者の多くが、朝鮮戦争前の戸籍には「朝鮮籍」を持っていました。しかし、のちに韓国が出来た時に韓国籍が出来ました。その為、朝鮮籍のままではパスポートなども取ることは出来ず、実質国が無いという状況になります。

利便性から韓国籍を取る人もいますが、北朝鮮出身を隠す為などでも変える人もいて、特段拘りが無いのはやはり元々同じ民族だからなのです。徐の両親も、1968年(昭和43年)に、徐の戸籍を朝鮮籍から韓国籍へ変更しましたが、理由はよく分かっていません。

東京都立足立工業高等学校中退

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徐の一家は、徐が幼少期の頃に何故か東京都足立区へ移住しています。足立区は現在も在日が多く住む地域の1つですが、両親の希望でまず東京朝鮮第四初中級学校へと入学、ここで朝鮮人としての民族主義を叩きこまれました。朝鮮学校の4年生になった頃、今度は足立区にある日本の小学校、中学校に入学。

朝鮮人、韓国人の特徴として、平等や対等という価値観は無く、親でも友達でも、必ず上下関係を決めてから付き合い方を決めます。上には媚びへつらい、下には犬以下の扱いでもいいというほどの極端さも持ち合わせているのです。ちなみに徐が中学生卒業時は1980年(昭和55年)なのですが、80年代のヤンキー、ツッパリブームが起きた背景には、日本人の学生VS朝鮮学校の朝鮮人という、血で血を洗うような抗争が隠されています。

恐ろしいことに在日2世は、たっぷりと反日思想を植え付けられた上、親世代の1世達が、戦後から日本の警察や役所などの度重なる襲撃をして得た利権もあって、日本人を集団でリンチやカツアゲすることが流行っていたのです。徐が抗争に参加していたかは不明ですが、中学を卒業後、都立足立区工業高校に入学しました。しかし、わずか2ケ月で中退しています。

多くの職種を経験する

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徐は、高校中退後に、様々な職種を経験していますが、どれも長続きしませんでした。解体業や、印刷屋、デザイン事務所などを転々とし、10代~20代前半の間には、朝鮮総連足立区支部に入団し、北朝鮮への支援活動もしています。

ちなみに朝鮮総連とは、戦後集まった朝鮮人達が「在日朝鮮人同盟」というものを結成しますが、「暴力主義的団体」とGHQに認定され解体されました。その後新たに、「在日本朝鮮人総聯合会」」を結成し、現在も公安にマークされる北朝鮮の下部組織です。

同じように、韓国政府の下部組織として、「在日本大韓民国民団」という組織もありますが、内部では南北関係無く出入りしているのが実態です。

1986年広告代理店アサに転職

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徐が21歳になった頃の1986年(昭和61年)、どのような経緯でかは不明ですが、広告代理店アサという会社からスカウトを受け転職しました。

当時の会社の先輩によれば、徐は仕事も真面目で、営業能力や企画力もあったと言われています。親分肌で後輩の面倒も良く見たと言われる徐は、会社としては重宝する存在だったようです。

営業成績も良く、印刷技術の知識もあって、徐は会社で必要とされるようになっていきました。

イベントダイヤルに移り代表取締役に就任

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アサでの功績を認められ、徐はその後系列会社の「イベントダイヤル」という会社の、代表取締役に就任することになりました。しかし、ここでも「田中裕行」の通名を使っています。

経営を任され、徐は広告代理店の下請けや、イベントで使う道具類の手配や仲介などもしていました。やはり、仕事ぶりは高評価なままでしたが、徐はある仕事が話題となりなんとテレビ出演もしていたのです。

その話題になった仕事とは、「人面魚」のリース業でした。「人面魚」とは、1990年(平成2年)頃に流行した、人の顔に見える金色の鯉のことで、前年に話題となった「人面犬」に続き、「人面魚」の登場はオカルトブームに乗って世間の話題となりました。

1991年特別永住権を取得する

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先程も少し触れましたが、第二次世界大戦中、朝鮮半島や現在の台湾などは、大日本帝国の外地ということで、台湾人や朝鮮人は、日本人の同胞とされていました。戦後74年経っても、未だに徴用工や慰安婦などのデマをでっちあげ、居座っている朝鮮人(韓国人)ですが、実は戦後日本で働いていた人達はほとんど帰国しています。

現在3世までも居座っている人達は、戦後乗り込んできた人達や、朝鮮戦争中に密入国した人達ばかりが実態なのです。あの、ソフトバンクの孫正義や、マルハンの会長である韓昌祐(ハン・チャンウ)なども自伝で密入国だと告白しているほど多いのです。

密入国は不法滞在という犯罪です。何故、犯罪者が堂々と帰化したり、商売をしたり、日本に3世4世も居座り続けることが出来ているのでしょう。これには、戦後の混乱期で色々とあるのですが、普通の在留資格とは別に、2世までは日本に住んでもいいというのが特別永住権です。現在この永住権を使っているのは、なんと98%以上が朝鮮人と韓国人です。
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先程述べたように、徐は3世だと話しているのにも掛からわず、マスコミでは2世だと報道していました。マスコミにも、在日仲間は多く入り込んでいるのですが、もしかすると先程紹介したように、特別永住権は2世までが対象だったからかもしれません。

本来3世以降は、日本に許可なく在留することが出来ないのです。しかし、徐は1991年(平成3年)26歳になってから、特別永住権を取得しています。実はこの特別永住権と呼ばれるものは、始め「協定永住」と呼ばれるものでした。

その時は、2世までしか日本に住むことは出来ず、更に北朝鮮出身の人も、協定永住権を取得することは出来なかったのでが、1991年(平成3年)に何故か見直され、「永住許可」と名称も代わりました。そして、3世も取得出来る事になった上で、朝鮮人と韓国人、そして台湾人が「永住権」を取得出来るようになったのです。このタイミングで、徐も特別永住権を取得したのでしょう。

1992年会社が倒産

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徐が特別永住権を取得した1991年(平成3年)3月から、バブル崩壊が始まり、失われた20年と呼ばれる不景気が日本を襲いました。

上手く行っていた徐の会社も、やはり不景気の波にのまれ、親会社である広告代理店アサからの援助も減り、1992年(平成4年)10月、ついにイベントダイヤルは倒産してしまったのです。

徐は、そのことで約2300万円の負債を抱え、借金から逃げる為に茨城県つくば市の友人の家にいたり、古紙回収などの仕事を転々としますが、1993年(平成5年)には足立区の実家へと戻りました。

1994年山口組系暴力団羽根組に近づき始める

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実家に戻った徐は、イベントダイヤルで共に働いていた人物と再会し、その人の紹介で再就職することが出来たのですが、突如無断欠勤を続け、行方をくらましてしまいました。

その後、朝鮮学校時代の幼馴染である、高英雄の紹介で世田谷区の一軒屋で、同じ朝鮮人3人で共同生活を送ることになります。

徐は、高英雄が経営する金融業の仕事を手伝いをしている中で、山口組系羽根組の構成員と懇意になり、1994年(平成6年)から、行儀見習いとして羽根組に入り込んでいきました。

事件発生までの犯人・徐裕行の行動

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徐裕行が村井を刺殺するまでの行動は、計画的ではあるのですが、本人が自供した通りに、自らがオウムに対して憤りを感じたからと言うには、不自然なことがわりと多いのです。

周りの証言を見ても、オウム真理教に対することを口にするようになったのは、事件の直前と言っていい時期であり、動機に疑問が残ります。

果たして黒幕は、山口組系羽根組なのでしょうか?それとも、何かもっと大きな組織が係わっているのでしょうか?ここでは、事件発生までの徐裕行の行動を追い、村井秀夫刺殺事件の動機を探っていきます。

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