2019年7月23日 更新

オウムの村井の生い立ち!刺殺事件の真相や犯人のその後は?

無差別テロと呼ばれる地下鉄サリン事件の後、オウム真理教のNo.2であった村井秀夫刺殺事件が起きました。当時から現在まで、村井は口封じされたのではないか?という疑惑が多く語られています。今回は、村井秀夫刺殺事件の真相や、犯人の正体とその後を紹介します。

目次

Earthquake Rubble Collapse - Free photo on Pixabay (496172)

都市伝説が好きな人は、フリーメイソンやイルミナティなど、金融偽ユダヤの組織による数々の陰謀論と同時に、気象兵器や人工地震という言葉も知っているでしょう。

村井秀夫が刺殺される前日、彼はテレビ番組に出演して人工地震について触れました。今では何故かマスコミも全く触れなくなりましたが、人工地震は幾度も実験で成功されており、新聞などでも報道され、科学的に否定するようなものではありません。

村井が刺される前「ユダにやられた」を、金融偽ユダヤにやられたと考える人は、この人工地震について村井が触れたからだと言われています。ここでは、人工地震について解説していきます。

人工地震とは

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日本は地震大国です。震度1程度の小さな微震であれば、毎日どこかしらで起きていると言っては過言ではありません。そして、大きな被害を及ぼす大地震や津波などは、長い歴史の中で見ても数多く発生しています。

地震が自然の力であれば、地球で生きている以上受け入れて生きていくしかありません。しかし、それが人工で起こされたものだとすれば、誰しもが怒りに震え、到底許せることは出来ないでしょう。

人工地震を陰謀と否定したい気持ちも理解出来ますが、科学的にはすでに実験実証は多くされており、今も当時の新聞に掲載された人工地震実験の記事は、ネットでもたくさん見ることが出来ます。
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村井秀夫は、人工地震はHAARP(ハープ)という気象兵器を使ったと話していましたが、基本的にはもっと単純に、ダイナマイトや核弾頭などの爆弾や、水などを使って起こすことが出来ます。いつ頃から、そのような技術が可能になったかと言えば、1930年(昭和5年)にアメリカのニコラ・テスラ博士が、地震兵器の理論を確率したところから始まります。

日本でこの人工地震が報道されたのは、1935年(昭和10年)6月1日(土)の読売新聞からです。その後、続々と実験の報道がなされ、1938年(昭和13年)2月19日(土)にはなんと東京で、人工地震の実験が行われていますが、前日の18日(金)読売新聞では、「明日、珍しい人工地震の実験」という記事が掲載されていました。

ちなみに、地震だけではなく、雨の量を調整したり、わざと台風を起こしたりなど気象を操る気象兵器というものもあり、こちらは1977年(昭和52年)に、「環境改変技術敵対的使用禁止条約」が結ばれていますが、今もなお確実に使われていると言えます。

阪神大震災について

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オウムが地下鉄サリン事件を起こす約2ケ月前、1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災が起きました。犠牲者は6434人と、戦後の災害としてはとても大きな被害でした。

阪神大震災が人口地震と言われ出した理由は、色々ありますが、1992年(平成4年)までは人口地震についての報道が普通に行われていたのに、突如報道されなくなってしまったのは何故でしょうか?阪神大震災が起きる、たった3年前まで出ていた話題が、今も尚マスコミが触れないのは不自然です。

阪神大震災の時に、人口地震について触れたのは、村井秀夫だけです。更にネットの世界では、東日本大震災以後、人工地震を「陰謀論」、「いんちき」と声高に叫ぶ人達が出てきたことも不可思議な現象と言えるでしょう。

放映されたテレビ番組

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村井秀夫が人工地震に触れたテレビ番組は、1995年(平成7年)4月22日(土)放送の、TBS系「筑紫哲也News23」という番組です。

この時は、村井秀夫と上祐史浩がゲスト出演し、その放送の中で村井は、阪神大震災が人工地震であると話しています。その時の映像は、今もYOU TUBEで観ることが出来ますが、村井が発言している間の上祐は、少し不自然な動きをしていることが確認出来ます。

「俺は知らない」「あぁ、言ってしまった」とでも思っていそうな表情で、じっと正面を向いている上祐に対し、村井は堂々と人工地震について語っていました。これが刺殺事件の原因だと言われてしまうのは、村井がこの放送の翌日に突如殺されてしまったからとも言えるでしょう。

村井秀夫・天才エピソード

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オウム真理教では、修行と教団への貢献度により、ステージと呼ばれる階級制度があります。それと共に、役割事に部班制が設けられていました。

部班制とは、普通の会社のように「総務部」や「広報部」などのような担当部署の呼び方のことですが、地下鉄サリン事件を起こす約1年前から、国のシステムのような省庁制が採られるようになったのです。

村井は最終的に、「科学技術省大臣」と呼ばれており、薬品や武器、ロボットなどの企画・開発の責任者だったこともあってか、天才だと言われていました。しかし、現実はそこまででも無かったのかもしれません。ここでは、村井秀夫が天才と呼ばれるエピソードを紹介します。

IQ180だった?

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村井が小中学生だった頃の話はよく分かりませんが、高校時代の同級生の証言によれば、定期試験も実力試験でも、学年で最高得点を取るのはいつも村井で、常に1位だったと言われています。冒頭でも紹介した、教師が分からない数学の問題をアドバイスしたことがあるエピソードを考えても、頭の良い生徒だったことは間違いありません。

のちに逮捕されたオウムの古参幹部、岡﨑一明の証言では、村井は確かに頭が良く、IQ180だったと述べています。IQ180がどのくらい凄いかと言えば、あの天才物理学者のアルベルト・アインシュタインと同レベルくらいです。

しかし、岡﨑は村井の知能指数は高かったが、EQという心の知能指数は、ゼロだとも答えています。幼児が、科学的根拠などを考えず、空想で○○したい!と言うのと同じで、麻原ですらも「村井を信じる奴はバカだ」と陰で笑っていたと言われています。そのことを考えると、所謂教科書でのお勉強は得意でも、天才気質を持っていた人だとは言い切れません。

ヘッドギア

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オウムの信者を思いだす時、「ヘッドギア」を思いだす人も多いでしょう。ヘッドギアとは、正式にはPIS(Perfect Salvation Initiation:パーフェクト・サルベーション・イニシエーション)完全救済イニシエーション」というもので、信者の修行で使用するものです。

ヘッドギアには電流が付いており、教団では麻原の脳波と、自分の脳波を同調させることが出来るという触れ込みで、レンタル料を月額10万~100万も取っていました。修行が捗ると自主的にする人もいれば、恐怖と痛みで取ってしまう者もいたと言われています。

この電流は、パソコンのソフトウェアを使って、麻原の映像と共に流す事が出来るような使用となっており、村井はこのヘッドギアを開発したことで、正大師と呼ばれる麻原のすぐ下のステージに昇格したのです。

ビラ配りマシーン

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村井のEQは、幼い子供のようだと言われたほど、良く言えば想像力が豊か、悪く言えば幼稚な考えは麻原とよく似ていたと言われています。

麻原も、「ロボット帝国を作りたい」と夢見ていたこともあり、おかしな物ばかりを村井に命令して作らせようとしていました。「宙に浮く座布団が欲しい」「空気より軽い金属が欲しい」など言う度に、村井はすぐに「出来ます!」と言っては実際作る信者達を困らせていたのです。

その全てが適当な産物でしたが、その中の1つに「ビラ配りマシーン」というものがあります。スターウォーズに登場するロボット、「R2-D2」に似せたものを作りましたが、中にCDラジカセが入っており、紙は1枚ずつしか出てこないという代物でした。

犯人・徐裕行の生い立ち

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村井の人となりが分かったところで、今度は村井を亡き者にした徐裕行(ソ・ユヘン)が、一体どのような人物だったのか気になる人も多いでしょう。少なくとも、事件当日まで、村井と徐が直接接触していた形跡はありません。

戦後から現在に至るまで、日本で起きた凶悪事件や犯罪の影には、実に多くの在日朝鮮人や在日韓国人がいました。彼らは激しい反日思想と、間違えた歴史を受け付けられている為、日本人には何をしてもいいと思っているのが基本です。戦前は同じ大日本帝国の同胞扱いであり、朝鮮も敗戦国なのにも係わらず、彼らは戦後戦勝国や、朝鮮進駐軍などと名乗って日本人と日本を破壊しにやってきたのです。

徐は、戦後生まれの在日2世だと当時のマスコミは報道していますが、本人は3世だと話しています。少なくとも朝鮮学校へ通っていたことを考えると、思想は1世と変わりがありません。ここでは、そんな徐裕行の生い立ちを紹介していきます。

1965年群馬県で生まれ東京で育つ

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