2019年7月23日 更新

オウムの村井の生い立ち!刺殺事件の真相や犯人のその後は?

無差別テロと呼ばれる地下鉄サリン事件の後、オウム真理教のNo.2であった村井秀夫刺殺事件が起きました。当時から現在まで、村井は口封じされたのではないか?という疑惑が多く語られています。今回は、村井秀夫刺殺事件の真相や、犯人の正体とその後を紹介します。

目次

オウム真理教とは

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傍目から見れば、汚らしく胡散臭い麻原彰晃と出会った若者達は、何故彼を信じ、崇拝したのかということはとても理解し難い問題です。後半は、脱退させない為にリンチや監禁などの脅しもしていますが、少なくとも殺された村井秀夫のように、麻原に心酔していた人物もいたことも事実です。

世間を騒がせ、テロ活動までしたオウム真理教とは、一体どのような宗教だったのでしょう?オウムではなくとも、宗教というツールは、お金、時間、家族、友人を奪い、人を世間から孤立させることが出来るもの…。

自分に自信が無い、または特別だと思っているなど、何れにしても承認欲求の強い人であれば、実は簡単にハマってしまうという危険性があるのです。自分や家族が被害に遭わない為にも、ここでは改めてオウム真理教について解説していきます。

日本の宗教団体

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オウム真理教は、元々オカルト好きだった麻原彰晃こと、松本智津夫が1984年(昭和59年)に、超能力開発塾を開いたことから始まりました。当初は、15人しかいないただのヨガサークルで、ヨガをしながら超能力を獲得しようというような、どちらかと言えばお遊び要素のある集まりです。

名前も、「オウムの会」から「オウム神仙の会」と変化し、1987年(昭和62年)宗教団体「オウム真理教」となりました。ちなみに、オウムとはアルファベットで表すと、「AUM」で、この3文字は想像、維持、破壊という意味を持つ、サンスクリット語で、3文字合わせて無常を示していると言われています。

尊師・麻原彰晃

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麻原彰晃こと、本名松本智津夫は、1955年(昭和30年)3月2日(水)、熊本県に生まれました。9人兄弟の4男で、父は畳職人をしていましたが、家はとても貧しかったようです。麻原は生まれつき左目が見えず、他の兄弟も全盲や弱視の子がいたのです。

1度は小学校に入学しましたが、すぐに盲学校に転校し、親から離れ寄宿舎生活をしていました。右目に多少の視力があった麻原は、学校で凶暴で全盲の生徒を子分にし、金を巻き上げたり、暴力を振るうような凶暴な子供だったと言います。

盲学校卒業後、東大受験を目指して代々木ゼミナールに通い、そこで出逢った石井知子と結婚、鍼灸院を開きながら、徐々に精神世界に興味を持ち、妻子を放置して徐々に宗教や修行にハマっていきました。最初は、阿含宗に入信した麻原でしたが、先程紹介したように、ヨガ教室から徐々に人が増え、最終的に麻原彰晃は、尊師と呼ばれる教祖となったのです。

合法な宗教活動

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オウム真理教は、1989年(平成元年)8月25日(金)に宗教法人認定を受けました。しかし、元々ヨガサークルの会員達はヨガ系の宗教を希望しましたが、麻原は仏教系に拘った上、お布施やワークという名の修行タイムが多くなった為に、初期の会員はほとんど脱会してしまいます。

麻原は、精神世界を解きながら、ダライ・ラマ14世との会見を宣伝に使ったり、ムーに記事や写真を投稿して、若い信者を取り込んでいきました。一番信者が多い時で、約1万人ほども信者がいたこともあります。

ヨガを利用し、解脱という迷いや煩悩を捨て、悟りを開く状態を作り出す為、気功や息を止める修行など、始めはまだ理解出来ないという程の修行ではなかったのです。

非合法な宗教活動

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オウム真理教は、どんどん先鋭化していき、高額なお布施の強要、修行という名のリンチなどおかしな方向へと進んでいきました。1988年(昭和63年)に修業中暴れ出した信者を水に浸けて、殺してしまったことがきっかけで、オウム真理教は宗教法人から、犯罪集団へと変わっていきます。

ボツリヌス菌や炭疽菌などの細菌兵器開発や、サリンを始めとする危険な化学薬品の研究、ロシアでは武器やウランなどを調達しようとしていたり、武器の開発もしています。

麻原は、選挙落選後から日本を壊滅させようと、テロ計画を進めており、オウム真理教はテロ組織へと変貌していきました。

オウム真理教が起こした事件

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オウム真理教が起こした事件は、坂本堤弁護士一家殺人事件や、地下鉄サリン事件だけではありません。麻原は、信者やその家族、弁護士や国家など、自分の邪魔をするものが許せないという性格だったのでしょう。

更に、悪事を知られたくない、捕まりたくないという保身欲も強いことが災いし、数多くの事件を起こしていきました。例えば、サリンは東京の前に、実はバックにいたであろう同じ新興宗教の中でもトップを走る、創価学会の池田大作を殺そうと、2度創価の会館前でサリンで襲撃しています。

サリンは様々な所で実験的に使用されており、地下鉄サリン事件前には、長野県の松本でも使用されています。他にも、監禁事件やVXを使用したサラリーマン殺人事件、東京都庁に小包爆弾を送ったり、集団で押しかけての嫌がらせなど、ここでは書ききれない程の事件を起こしていました。

後継教団

Vampire Vamp Female - Free image on Pixabay (503024)

麻原は2018年(平成30年)7月6日(金)に、死刑執行されもうこの世には存在していません。オウム真理教も、麻原逮捕後、経営が続かなくなったのか破産の為、2000年(平成12年)2月に消滅していました。

しかし、同時期新たな宗教法人「アレフ」が設立されて、元オウムの信者達はアレフに入信したのです。初期は、上祐史浩が代表になっていたこともありますが、内部争いが起き、上祐は「ひかりの輪」を立ち上げています。

現在アレフは、「Aleph(アレフ)」と名前をアルファベット表記にして活動していますが、実は最近若い信者が増えてきているのです。地下鉄サリン事件からすでに、24年が経っており、オウム真理教のことを知らない若者を取り込もうと、やはり、ヨガやスピリチュアルを謳って、大学のサークル案内やSNSなどを利用して勧誘しています。

オウム真理教が起こした事件は許されるものではない

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2018年(平成30年)7月、麻原始めとするオウム真理教の主犯格の幹部13人は、死刑となってこの世を去りました。村井秀夫も、徐裕行に刺殺されています。

しかし、今もサリンの後遺症に苦しむ人や、洗脳が解けない信者の家族、そして殺害された人の家族などは、麻原達の刑が執行されても、罪を償ったとは素直に感じられないでしょう。

いつも通りの日常を、一瞬で破壊したオウム真理教の行為は、宗教を語る悪魔の所業です。宗教はこのように、敵を作りやすく、人にも善意や正義を騙り他人も巻き込もうとするシステムツールになりやすのです。神や仏の名を使い、支配や破壊に使う者は、どんな正論を吐いたとしてもけして許されるものではありません。

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