2019年9月28日 更新

ウクライナ21の犯人のその後は?事件や流出した殺人ビデオの詳細

ウクライナ21という言葉を耳にしたことがある人はいますか?これはある事件の名前ですが、犯人や出された判決やその後の詳細はどうなっているのでしょう?この言葉自体が「検索禁止ワード」とされているほど、世界中を恐怖に陥れ、影響されたバンドも現れたほどでした。

目次

警察は「ドニプロペトロウシクの狂人たち」を逮捕するために、2000人にも及ぶ捜査官を動員し、数千人とも言われる容疑者を個々に取調べするなど、大々的な捜査を行っていました。

しかし、当初は深夜に行われる犯行がほとんどであり「愉快犯」による超絶に残忍な犯行であったため、子どもも見るメディアによる事件の内容の報道が控えられ、犯人を逮捕するのに時間がかかってしまったのです。

しかし「サイコパスによる信じられないほど異常な連続殺人」という情報が解禁されると、たちまちその噂は住民に広まっていきました。

犯人の似顔絵

Blue Light Siren Ambulance - Free image on Pixabay (658685)

当初「犯人である」とされていた、ヴァディム・リャホフは、友人と釣りに行く途中に突然ハンマーで襲ってきた犯人たちの姿を、唯一真近で見た生存者でした。そこで、警察はヴァディム・リャホフの証言を元に犯人グループの顔や特徴等の情報を聞き出し、似顔絵を作成する事が出来ました。

そして、さらに犯人の要望や車両の特徴なども絞り込むことができたのです。このことが、その後の捜査を大きく前進させ「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の逮捕に繋がったと言われています。

子ども2人の目撃情報

Children Road Distant - Free photo on Pixabay (658688)

7月12日に『3guys 1hummer』事件の後、7月14日の日中に、雑木林を通り抜けようとして、スクーターに乗っていた『ナターリア・ママルチュク』さんが、突然2人の男にハンマーでフルスイングされ殴り倒され、そのまま滅多打ちにして殺さた事件には複数の目撃者がいました。

街で噂されていた「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の事件を目撃した地元住民は、犯人の後を追いましたが逃げられてしまいました。そして、現場近くのテントの中にいた子供2人も事件を目撃しており、目撃者たちの話はヴァディム・リャホフさんの証言と一致したのです!

盗まれた携帯電話

Smartphone Screen Android - Free photo on Pixabay (658689)

金品目的でないことは明らかな「ドニプロペトロウシクの狂人たち」は次々と猟奇的殺人事件をエスカレートさせていきましたが、目的が「快楽」のためになかなか犯人の逮捕に繋がりませんでした。しかし、警察は「犯人は携帯電話を収集している」ことに気づきます。

そして「奪われた携帯電話が転売に出されていないか」を調査していくと、似顔絵によく似た少年が携帯電話を転売していることがわかりました。そして、このことが「ドニプロペトロウシクの狂人たち」とみられる3人の少年の逮捕に繋がりました。

ウクライナ21の犯人たちの生い立ち

Protection Of Minors Criminal - Free photo on Pixabay (658690)

ウクライナは暗くて貧しい国ですが、驚くことに「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の3人共が裕福な家庭で育っていました。

主犯の『イゴール・シュプルンヤク』と『ヴィクトル・サエンコ』の父親は有名な弁護士であり、血液恐怖症だった『アレクサンドル・ハンザ』の父親は地元の検察官でした。特に主犯格であるイゴールは親から溺愛されて育っていたのです。

一見何の不自由のない暮らしをしている青年が、なぜこのような「人間に仕業だと思えない」ほどの猟奇的殺人を楽しむようになってしまったのでしょう。

主犯格のイゴール・シュプルンヤクの生い立ち

Thieves Offenses Wanted - Free image on Pixabay (658691)

「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の主犯格であった『イゴール』の父親は有名な弁護士であり、息子を溺愛し息子のためなら努力を惜しまず「何をしても良い」と相当甘やかして育てていました。

仕事が忙し過ぎて、愛する息子との時間もなかなか取れなかったという負い目もあったのでしょう。イゴールは自分の父親の背中を見て尊敬するような「強い男性」になるという賢い選択をすることができないまま「強さ」をはき違え「かまってちゃん」になる方向へ進んでしまったようです。

ヴィクトル・サエンコの生い立ち

Addict The Dependence Of Drug - Free photo on Pixabay (658693)

ヴィクトルの父親も「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の主犯格であるイゴールの父親と同じく有名な弁護士でした。

しかし、ヴィクトルはイゴールと違い、ウクライナのドニプロペトロウシク州のドニプロ川の河岸に位置し、面積は405 km²で、人口は999,250人の『ドニプロペトロウシク地区』で生まれ育ちました。

市内には『ドニプロ駅』があり、首都『キエフ』まで、鉄道で532 km、車道で447kmという距離にある街でした。

アレクサンドル・ハンザの生い立ち

Sad Boy Coffee - Free photo on Pixabay (658694)

アレクサンドルもヴィクトルと同じ、ウクライナの『ドニプロペトロウシク地区』で生まれ育ちました。そして驚くことに、アレクサンドルの父親は地元の検察官でした。

アレクサンドラは、検察官である父の影響からか、血や火傷のような生々しい傷に恐怖を感じる「血液恐怖症」というコンプレックスを抱えていましたが、幼馴染のヴィクトリアと同じように成績優秀で、周囲や両親からも将来を有望されていたような自慢の息子でした。

3人の出会い

Boys Playing Friends Children - Free photo on Pixabay (658697)

アレクサンドルとヴィクトルは、ウクライナの『ドニプロペトロウシク地区』で生まれ育った幼馴染で、共に裕福な家庭で育ち、成績も優秀で、周囲にも両親にも将来を有望されている「自慢の息子」でした。

後にイゴールが近所に引っ越してきてから、同じ学校に通うようになった3人は、似たような家庭環境であることからも、すぐに意気投合し仲良くなりました。

しかし、地元の幼馴染であり、成績優秀で周囲や両親から「自慢の息子」であったアレクサンドルとヴィクトルは、引っ越してきたイゴールと友人になってから、成績が急激に落ち始めたのです。

イゴール・シュプルンヤクの性格

Boy Idea Sad Eyes - Free photo on Pixabay (658701)

後に「ドニプロペトロウシクの狂人たち」と呼ばれる3人を受け持った学校の教師の一人は「イゴールは引っ込み思案で内気な性格の男の子でしたが、いつもイゴールが喧嘩を仕掛け問題を引き起こしていた」と当時のことを回想して説明しました。

イゴールは、何不自由なく育っていると思われていましたが、有名な父親は家に不在か会話する時間もなく「必要とされている」という感覚を持てないまま「でも、何をしても良い」というように歪んだ形で育ってきたのでしょう。

共に有名な弁護士を父親に持つイゴールとヴィクトルは、虐めや暴力に対する恐怖症と高所恐怖症というコンプレックスを持っていました。

恐怖症を克服のための動物虐待

Cat Young Animal Curious - Free photo on Pixabay (658702)

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