2019年9月28日 更新

ウクライナ21の犯人のその後は?事件や流出した殺人ビデオの詳細

ウクライナ21という言葉を耳にしたことがある人はいますか?これはある事件の名前ですが、犯人や出された判決やその後の詳細はどうなっているのでしょう?この言葉自体が「検索禁止ワード」とされているほど、世界中を恐怖に陥れ、影響されたバンドも現れたほどでした。

目次

7年生になった頃からイゴールは、ヴィクトルとアレクサンドルに「一緒にコンプレックスを克服しよう」と、弱い動物を使って虐待し、殺戮や暴力や血の恐怖を乗り越えようと提案し、野良猫を捕らえ殺し始めました。

世界中で「動物虐待を楽しむ者は、必ずシリアルキラーになる」と言われています。

3人による「コンプレックスの克服のため」という動物虐待はエスカレートしていき、生後間もないような小動物たちの皮を生きたまま剥ぎ、内臓を引きずりだし、頭部を破壊して殺したと共に満面の笑みで記念写真を撮り、ネット上に流失させていました。

イゴール・シュプルンヤクとヴィクトル・サエンコの逮捕

Handcuffs Cuffs Arrest - Free vector graphic on Pixabay (658703)

「ドニプロペトロウシクの狂人たち」と呼ばれる3人は、果てしなく『クズ』です。17歳になった時、イゴールの「コンプレックスの克服のため」という『虐待』という楽しみは、いよいよ人間に向けられ始めました。地元の年下の子供を殴って自転車を強奪したのです。

ヴィクトルはそのことを知っていましたが、イゴールに脅され売り付けられて、その自転車を買い取ることにしたため、2人とも逮捕されてしまいました。

2人は拘束されましたが、親たちは有名弁護士であり、未成年のため刑務所に行くことは避けられました。

高校卒業後の3人の職

Student School Back To - Free photo on Pixabay (658704)

学校卒業後、地元の『ドニプロペトロウシク』で生まれ育ち、有名弁護士を父に持つヴィクトルは、研究員と警備員の二足のわらじを履いて仕事をしていました。

父親が地元の検察官であるアレクサンドルは職を転々としていました。

有名弁護士を父に持ち、ヴィクトルとアレクサンドルのいる『ドニプロペトロウシク』に引っ越してきていたイゴールは「働かなくても良い」と言われ無職でしたが、両親に買い与えてもらっていたタクシーを、なんと!無免許で運行して小銭を稼いでいました。

タクシー強盗

Taxi Cab Taxicab - Free photo on Pixabay (658706)

「ドニプロペトロウシクの狂人たち」と呼ばれる3人は、本当に果てしなく『クズ』です。

イゴールは、ヴィクトルとアレクサンドラを脅し共謀して、常に「自分より弱い弱者たち」を狙い、タクシーの客を狙った強盗に手を染めるようになりました。

虐めや暴力に怯え、傷や血に恐怖を覚えていた「ただの弱虫」は、自分たちより圧倒的に社会的に体格的に弱いものを『虐待』し続けていくことで「自分たちは強くなった」と錯覚するという「ただのクズの中のクズ」として大人になり始めたのです。

■裁判の判決やその後

Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (658707)

2007年7月23日、世間から「ドニプロペトロウシクの狂人たち」と呼ばれた『クズの中のクズ』の3人はついに逮捕され、複数の重大犯罪の嫌疑を受け、あっさりと罪を認めました。

時には、悪名高い『ナチス・ドイツ』のアドルフ・ヒトラーの真似をして、付け髭をつけ右手を掲げてナチ式の敬礼をし、生まれたばかりの目も開いていない小動物の殺戮を楽しみ、一緒に記念撮影していた3人は、いずれも「どうせまた自分たちの父親がなんとかしてくれる」と思っていたようです。

3人の起訴内容

Trust Man Hood - Free photo on Pixabay (658708)

イゴールは「21件の第一級殺人」「8件の武装強盗」「1件の動物虐待」の容疑で起訴されました。ヴィクトルは「18件の殺人」「5件の強盗」「1件の動物虐待」の容疑で起訴されました。アレクサンドラは「1件の殺人未遂」「1件の武装強盗」の容疑で起訴されました。

逮捕後の3人はあっさりと罪を認めていましたが、有名弁護士を父に持ち「何をしても良い」と言われてきたイゴールだけが「自身の自白を撤回し、全ての犯行を否認する」と主張し始めたのです。

イゴールの弁護側の主張

Adult Beard Face - Free photo on Pixabay (658709)

2008年6月から『ウクライナ21』の中で『三人の男と一本のハンマー(3guys 1hummer)』と呼ばれた事件も起こした「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の裁判が始まりました。

2008年末になって、快楽殺人を映した『ウクライナ21』や『三人の男と一本のハンマー(3guys 1hummer)』の動画が、動画共有サイト等に流出したことにより、この事件の残虐性はさらに世界中を恐怖と混乱に巻き込むことになりました。

主犯格のイゴールは、犯行を一度は自白した後に、供述を覆して犯行を否認し始め、弁護士は「真犯人は別にいる」「警察の違法捜査だ」「心神喪失のため責任無能力だ」とあの手この手で弁護を行い、裁判は2年間もの長期に長引きました。

ヴィクトルの弁護側の主張

Portrait Dark Light Man - Free photo on Pixabay (658710)

「ドニプロペトロウシクの狂人たち」の弁護士らは裁判所によって任命されましたが、ヴィクトルは「自分の弁護士が新米である」ことを知り、もちろん不服だと主張し、弁護士である自分の父を自分の弁護士に指名しました。

自分の息子を弁護できることになったヴィクトルの父である弁護士は、イゴールと同じく一度は自白した犯行の供述を覆して犯行を否認し始め、あの手この手で弁護を行い、遂には「イゴールは、恐怖でヴィクトルを支配していた」とも主張しました。

検察側には、血のついた衣服等の多くの物的証拠がありましたが、弁護側は「映像に映る人物は別人である」と始終完全否定を行いました。

アレクサンドラの弁護

Man Rain Snow - Free photo on Pixabay (658713)

アレクサンドラは、検察官である父の影響からか、血や火傷のような生々しい傷に恐怖を感じる「血液恐怖症」というコンプレックスを抱えてため、3人の中で唯一殺人に関われなかったのです。

そのため、アレクサンドラの弁護士は「「1件の殺人未遂」と「1件の武装強盗」の罪を認めて情状酌量を狙う」という戦略に出ました。

しかし「社会的・身体的に、圧倒的に自分たちより弱いもの」に対して、幼馴染たちと一緒に犯行を重ねてきたことは紛れもない事実でした。

2人の少年に終身刑

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (658716)

ウクライナでは、2000年に『死刑制度』が廃止されていました。しかし、死刑廃止の数年後に起きたこの事件に、当時のドニプロペトロウシク市民の世論は真っ二つに分かれました。

2007年7月23日に逮捕されてから、散々ゴネてようやく2009年2月に「ドニプロペトロウシクの狂人たち」主犯格のイゴールとヴィクトルに、ウクライナで最も重い罰である『終身刑』という判決がくだされました。

しかし、市民の半数が「この量刑に不服を感じる」と回答しており、2年後の2011年には、ウクライナ国内で「死刑適用の必要性」を求める声が過半数を超えました。

アレクサンドラは9年の懲役刑

Auschwitz Concentration Camp - Free photo on Pixabay (658718)

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