2019年10月20日 更新

井出裕輝の生い立ちと下った判決!船橋18歳少女殺害事件の概要も

あまりにも残忍すぎる事件として記憶に残る船橋18歳少女殺害事件。犯人である井出裕輝の生い立ちに注目が集まりました。ここまで凶悪な事を実行できる井出裕輝とはどんな人間なのか。事件の詳細と関わった人間、各々に下された判決内容について掘り下げてみましょう。

目次

Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (702348)

被害者少女が姿を合わさなかったため、3人は埼玉県のパーキングエリアでタイヤがパンクしたという湯浅成美の友人である少年の元へ。中野翔太が少年の車のタイヤを交換しました。少年は湯浅成美以外、初対面です。

初めて会った男性2人はお互いを「ケン」「ジョン」などと呼び合っていました。車中での打ち合わせ時、もしもの時に身元の発覚を恐れた井出裕輝が指示したことでした。そのため、少年は2人の男性のことを何も知らずに行動を共にしたことになります。

被害者を発見し車に乗せる

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (702993)

埼玉のパーキングエリアから再度被害者少女の確保に向かいました。その時には井出裕輝の用意したレンタカーには本人と中野翔太の2名が乗り、少年が運転する車には湯浅成美が乗り、二手に分かれました。

少年と湯浅成美は被害者少女を千葉県路上で発見。湯浅成美が車を降り、被害者少女に向かって怒鳴りつけました。萎縮している被害者少女に同乗を促し、渋々乗車にさせました。

被害者少女と一緒にいた現場に立ち会っていた友人は湯浅成美の執拗に同情を求める姿に違和感をあったと話しています。友人のところには男友達から電話があり、湯浅成美や井出裕輝たちが被害者少女を必死に探していることを伝えられました。

中野が被害者に「死刑宣告」を行う

Gallows Hang Penalty Capital - Free photo on Pixabay (703022)

少年の車は数メートル先で止まり、井出裕輝、中野翔太の車と合流。井出裕輝の車に移動し、事前の打ち合わせ通り後部座席で被害者少女の両脇に中野翔太、湯浅成美が座りました。

湯浅成美により激しい攻め立てられ、被害者少女の携帯電話を取り上げると電池パックを抜き取り、助手席に座る少年に渡しました。井出裕輝の「準備しろ」を合図に被害者少女の拘束が始まりました。土嚢が被せられ、視覚を奪われましたが耳だけは聞こえる状態に。

井出裕輝は「これからどうなるか教えてやれよ」という言葉に中野翔太は「これからおまえは死ぬんだよ」と死刑宣告を行いました。被害者少女の恐怖を煽るために耳だけ聞こえるようにしたことがわかります。

被害者に対し、暴行・根性焼きなどを行う

Woman Smoking Cigarette - Free photo on Pixabay (703047)

死を宣告された被害者少女の恐怖を更に強めるため、湯浅成美は自身が吸っていたタバコを笑いながら押し付けるという根性焼きを行い、井出裕輝は殴るなどの暴行を繰り返していました。

車内での惨劇を証言した少年は恐怖で後部座席の状況を直視できなかったと話しています。井出裕輝から「これから見ることを黙ってろ。いなかったことにしろ。」と言われました。これから行われる狂気的な出来事に悪い予感しかしなかったでしょう。

被害者は命乞いをしていた

Sad Depressed Depression - Free photo on Pixabay (703126)

前日に用意していた穴の付近まで車で行き、井出裕輝は「ちょっと埋めておいて」と中野翔太に指示しました。中野翔太は被害者少女を穴へ引きずり込み、穴の中で正座する格好となりました。

被害者少女は中野翔太に「殺さないで。死にたくない。」と泣きながら命乞いをしたことがわかりました。中野翔太と被害者少女には全く接点がなく、何の恨みもなかったと見られています。

なぜ見も知らずの人間にここまで非道なことができたのか疑問が残ります。

中野が被害者の生き埋めを行った

Fear Buried Horror - Free photo on Pixabay (704415)

中野翔太の証言によると被害者少女は殺さないで欲しいと泣き叫び、大声で騒ぎました。中野翔太は事件発覚を恐れ、何とかしなければと少女の黙らせたいと土をかけ、埋めました。

事前の打ち合わせでも「生き埋め」や「埋める」と話していたため、焦った中野翔太はただただ計画を実行したと考えられます。井出裕輝や湯浅成美は殺人行為自体を行っていないことになります。

後の裁判でも殺人行為を行ったのは中野翔太となり、井出裕輝と湯浅成美は殺人自体には関わっていないと主張しました。

井出は埋め終えた様子を見て笑っていた

Smile Laugh Head - Free photo on Pixabay (704422)

埋められた少女を井出裕輝と湯浅成美は傍観していたと見られいます。埋め終えた状況を見た井出裕輝は笑っていたという様子を中野翔太が証言しています。

湯浅成美も事件後に友人とのLINE通話で被害者少女が穴に引きずり込まれ、恐怖で震えていた様子や命乞いしていたことを笑いながら話していました。自身が「埋めてやった」とも発言しています。

中野翔太も周りに「今の俺最強。人も殺せる。」という主旨のメールを送っており、重大な事件を起こしたという気持ちの高ぶりを抑えきれなかった心理だったと分析されています。

井出裕輝の生い立ち

船橋18歳少女殺害事件の計画は湯浅成美が立て、声を協力者を集めています。しかし、実際にどのように拉致し、どのように殺すかなど具体的な犯行計画を立てていたのは井出裕輝と言っても過言ではありません。

殺害行為や遺体の処理に等は中野翔太が行っています。中野翔太は井出裕輝の指示にただただ従っていたようにも見えます。井出裕輝と中野翔太の関係性とはどんなものだったのでしょうか。

これほどまでに残忍な殺人計画を考えた井出裕輝はどんな人物なのでしょうか。井出の複雑な家庭環境を基に紐解いてみます。

2歳の頃に祖父母の家に預けられる

Orphan Africa African - Free photo on Pixabay (705693)

井出裕輝は2歳の時に父親が井出裕輝を実家に預け、別居。幼少期は親との時間を一番必要とする年齢。親の愛情を十分に受けていたかと言われれば、そうではないと断言できます。

今回の事件でも湯浅成美のために殺人を行ったと発言しています。湯浅成美とも肉体関係にあったことは公表されています。湯浅成美への歪んだ愛し方が残酷な殺人事件を招いたのだと言われています。

車内で湯浅成美が被害者少女に尋問をしている際も井出裕輝は湯浅成美に同調し、被害者少女を非難していたとされていいます。

16歳の頃に実の家に戻る

Shutters Architecture Window - Free photo on Pixabay (705757)

井出裕輝は16~17歳のころに再度、父親との同居し始めました。父親との生活は居心地の良いものではなかったため、すぐに別居。父親は裁判でも別居していても行き来しており、意志疎通を図っていたという証言をしていました。

別居していても意思疎通をできていたとはかなり苦しい主張であり、井出裕輝は育児放棄されていたと言えるでしょう。また、父親は被害者少女について「自分にも娘いるので」と悲痛な思いを話したとされています。

娘とは井出裕輝と同じ母親なのか、複雑な家庭環境は謎に包まれたままです。

事件当時職業は無職だった

3 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪