2019年10月20日 更新

井出裕輝の生い立ちと下った判決!船橋18歳少女殺害事件の概要も

あまりにも残忍すぎる事件として記憶に残る船橋18歳少女殺害事件。犯人である井出裕輝の生い立ちに注目が集まりました。ここまで凶悪な事を実行できる井出裕輝とはどんな人間なのか。事件の詳細と関わった人間、各々に下された判決内容について掘り下げてみましょう。

目次

Judgment Judge Hammer - Free photo on Pixabay (710233)

事件の犯人4人のうち2人が未成年で、殺人という大罪のため、判決には大きな注目が集まりました。少年法に守られ、どんなに重い犯罪をしても守られてしまうのか、それとも異例となる判決が下されるのか。

湯浅成美の友人で事件当時17歳であった少年は、正直に証言していること、殺人行為には関与が認められないこと、監禁容疑のみ問われることとなり、少年院への送致となりました。

注目は事件当時18歳だった湯浅成美の判決。同時期に名古屋大学女子学生殺人事件の犯人も19歳で未成年のため、湯浅成美の判例が大きく影響すると言われていました。

井出裕輝は無期懲役

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2018年12月25日最高裁で無期懲役が確定。一審二審でも無期懲役が言い渡されており、上告を棄却しました。井出裕輝は終始、強盗殺人を否定していました。殺人行為を行っていないというもの。

井出裕輝は生き埋めもそれに必要な穴堀りも全て中野翔太が行っており、自身は手を下していないという主張でしたが、到底認められるものではありませんでした。中野翔太に指示していたことは明らかです。

裁判中に被害者家族へ謝罪の問われても反省している様子はありませんでした。

湯浅成美は無期懲役

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主犯格と見られる湯浅成美も無期懲役が言い渡されました。しかし、判決を不服とし上告しています。殺人行為を行っていないこと、中野翔太が勝手に殺害しただけであり、自身は殺害の意志がなかったと主張。何とも身勝手な主張に驚かされた人も多いのではないでしょうか。

逮捕時も黙秘を続けていたと見られています。友人に被害者少女の憎悪を話していた事実、殺人についてもほのめかしていましたし、殺意ないと言うのはあまりにもつじつまが合わないです。

未成年の殺人事件として初めて重い無期懲役という判決が下されたことで今後の判例にも大きな影響を与えるものになります。

中野翔太は無期懲役

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殺害における重要な役割に担ったとして中野翔太にも無期懲役が下されました。井出裕輝に命令され渋々実行したこと。証言において違和感があることから検査され、軽度の知的障害を持っていたことなどから情状酌量を訴えました。

しかし、命乞いしている被害者少女に黙らせるために土をかける行為はあまりにも身勝手で自己保身な行動と考えられ、判決が覆されることはありませんでした。

判決後、中野翔太は罪を受け入れ、マスコミのインタビュー等にも応じていました。

被害者・野口愛永さんについて

これまで犯人である湯浅成美、井出裕輝、中野翔太について説明して参りました。被害者少女である野口愛永さんはどんな人物であったのか。これまでホストクラブに通うようになってからはすっかり変わってしまったと言います。

なぜ、このような残虐な事件に巻き込まれてしまったのでしょうか。事件当時18歳と未成年であった野口愛永さんの経歴や周囲からの評判、友人であった湯浅成美との関係、亡くなる前の様子などをご紹介します。

両親・妹2人の5人家族

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野口愛永さんの家族は両親、妹2人の5人家族でした。近所では家族揃って出掛ける姿がよく見られており、仲の良い家族として有名。野口愛永さんの印象も近所では挨拶をよくしてくれる人懐っこい性格で妹たちの世話をよく見ていたととても評判が良いです。

中学の同級生はオシャレに気を遣っていて、年上の男性を交友関係があったと話していました。素直で周りからの評判の良い少女が一変したのは高校生のころだと言われています。

事件の十数年前に船橋市に引っ越し

Truck White Vehicle - Free photo on Pixabay (710954)

出生は船橋市ではなく、数十年前に船橋市へ引っ越してきました。父親はダンプカーの運転手をしており、子供たちのしつけには厳しかったとされています。

そんな厳格な父親をぶつかったのは高校生の時です。中学生のころは真面目な生徒であった野口愛永さんも高校進学と共に服装が派手になっていき、男性との交際も活発に行っていたと見られています。

父親との喧嘩を境に実家周辺では姿を見せなくなりました。裁判中、父親は娘が高校生の時から家出をしているを発言しています。

地元の高校を中退

Knowledge Book Library - Free photo on Pixabay (710959)

野口愛永さんは高校1年生に高校を退学。通っていた高校は湯浅成美と同じ船橋古和釜高校です。この時に湯浅成美と友人関係でした。家を出た後は友人の家を転々としており、湯浅成美の家にいたのもこの時期だと予想できます。

また、千葉市の繁華街で姿を見せるようになったのもこのころです。友人と派手な服装で出歩きいる時にあるホストに声をかけられたことがきっかけでホストクラブを知ります。これ以降ホストクラブへどっぷりハマってしまいました。

千葉市内の繁華街で遊んでいた

Japan Osaka Night - Free photo on Pixabay (710964)

千葉県の繁華街には毎日のように訪れ、その度に派手に遊んでいた様子。遊んでいたことを自慢するかのようにTwitterでは連日豪遊している姿を投稿していました。

お気に入りのホストの写真や名前も挙げ、貢いでいることがよくわかります。交際しているホストもいたようで、ホストにとっては都合の良いカモであったのでしょう。ホストへの執着は強く、大好きなホストのためなら寝ないでも働いてやるといった主旨をツイートしていました。

ホストクラブにハマりツケ・借金があった

Cheers Drinking Session Liquor - Free photo on Pixabay (710976)

毎日のようにホストクラブへ通い、豪遊していたのでお金にも限界がやってきます。ホストクラブでもツケをお願いし、取立てにあることもありました。また、多くの友人にも借金をしていました。湯浅成美のその一人。

お店以外でもホストにお金をお願いされる姿を目撃されることもありました。要求されると「返すのはいつでもいいよ」無条件でお金を与えていました。ホストという大好きなものへの愛情表現はお金しかないビジネスであることを理解していなかったのかもしれません。

複数の夜のお店で働いていた

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