2019年9月19日 更新

世界最大の大量殺人犯アンネシュ・ベーリング・ブレイビクの現在とは

2011年7月、ノルウェーのオスロで、政府庁舎前で爆弾を爆発させた後に、ノルウェーで長年行われ続けている、左派学生らだけの「平和でしかない集会」が行われている島で銃を乱射しに行き計77人を殺害した『アンネシュ・ベーリング・ブレイビク』の現在や事件の詳細は?

目次

2011年7月22日、世界一平和な国ノルウェーで、世界最大の殺人事件が起きました。しかも、その事件は他の国が起こしたテロ事件ではなく、自国の単独のノルウェー人によるものでした。

そしてその事件は、2箇所の場所で時間差で行われ、世界一平和な国の警察による捜査は混乱を極め、結果、犯人の思惑通りにノルウェーという国の在り方を動かしてしまうほどの事件になってしまいました。

ここではノルウェー連続テロ事件の概要を解説していきます。

ブレイビクの事前準備

Norway Fjord Nature - Free photo on Pixabay (623884)

ブレイビクは、以前からノルウェーの『ネオナチサイト』を利用し、自動車爆弾の製造方法をやりとりしており、2009年秋、国から怪しまれて捜査が入らないようにするために、爆弾製造のための『化学肥料』や『爆薬』などが目的で『鉱山会社』と『農場』を購入しました。

2011年5月、爆弾の材料になる肥料6トンを購入し、80日間で『アンホ爆薬』を使用した爆弾を製造しました。ノルウェーでは『狩猟』や『射撃」を趣味として好む人が多く、銃を所持することは認められていたため、ブレイビクも拳銃と自動式ライフル銃を所持することを認可されていました。

2011年7月17日、Twitterで自らを『テンプル騎士団』と称し、殉死作戦を書き連ねた犯行決意を書き込み、犯行直前の7月22日には、ウェブ上で1514ページもの文書を公開していました。

政府庁舎爆破

Nidaros Cathedral Trondheim Norway - Free photo on Pixabay (623891)

2011年7月22日15時半頃、ノルウェーの首都オスロの中心部にある『政府庁舎』付近で、ドーン!というものすごい音と共にブレイビクが仕掛けた爆弾が爆発しました。爆破は複数回起き、最上階の17階には『首相府』がありましたが、ストルテンベルグ首相は自宅にいたため無事でした。

しかし、石油・エネルギー省の庁舎で火災が発生し、付近の建物が被害を受けました。爆発が起こったのは『ノルウェー王宮』や、ノルウェー主要紙『ヴェルデンス・ガング』本社の近くでもあり、金曜日の午後で買い物客や観光客も多い時間帯でしたが、夏休み中で人は少なかったようです。

事件直後、警察が付近の道路を全て封鎖し「オスロ中心部からの避難するように」と市民に指示しました。この事件でブレイビクが仕掛けた爆弾は約950kgの『車爆弾』と推定されています。

ウトヤ島銃乱射

Guns Arms Ak-47 - Free vector graphic on Pixabay (623921)

ブレイビクは、計画していた首都オスロの『政府庁舎爆破』が実行されると、次は首都オスロ近郊にある『ウトヤ島』で毎年行われている10代の学生らによる「ノルウェー労働党青年部の集会」で、1人で約700人の参加者を殺害するために、用意しておいた警察官の制服を着て向かいました。

ウトヤ島の学生らには「首都オスロの政府庁舎付近で爆破テロがあったらしい」という情報が伝わっていたため、警官に扮装し島に到着したブレイビクから「爆破テロ捜査をするから整列するように」と言われ、17時頃から銃を乱射され始めました。

被害者数

Zombie Halloween Abuse - Free photo on Pixabay (623936)

ブレイビクはウトヤ島を歩き回り、学生たちを次々に撃っていきました。標的にした学生がが死んでいるか確かめ、生きていればとどめを刺すなどして69人が殺害されました。最年少の被害者は14歳でした。

状況が全くわかっていない学生らは、警官の格好をした男に「もう大丈夫だ!助けに来た」と言われて、安心して姿を表してしまうのでした。しかし、これを見ていた学生ら同士に「警官が銃で撃ってくるから出るな」と伝わり、パニックになり逃げ回る学生らを満喫するように中で撃って歩きました。

ブレイビクの逮捕

Handcuffs Black Criminal - Free photo on Pixabay (623939)

ブレイビクは、逮捕直前に警察に投降する電話をしており、逮捕された時には、所持していた銃に大量の弾丸が残っていたままで抵抗しなかったことから、この事件を起こした理由は「銃撃戦に持ち込まずに、生き延びて自分の信条を法廷で訴えることが狙いであった」とされています。

どんな理由にせよ、何の罪もないノルウェーの国民が、1人の正気ではないノルウェ国民により、1日で77人も殺害される事件に巻き込まれてしまいました。

ウトヤ島銃乱射事件の詳細

Guns Weapons Shotgun - Free vector graphic on Pixabay (623944)

首都オスロの『政府庁舎爆破』事件と、ウトヤ島の銃乱射事件は連動されて作戦され実行されたものでした。ブレイビク逮捕後に、ウトヤ島からは爆発する前の爆弾が発見され、ブレイビクはさらなる被害拡大を狙っていたとされていたようです。

事件の翌日23日、かつてノルウェー労働党の青年組織『Arbeidernes ungdomsfylking (AUF)』の代表を務めたこともあり、ノルウェー労働党党首でもある『ストルテンベルグ首相』が現地入りすることが予定されていたからです。

ここでは銃乱射事件の詳細をなるべく詳しく解説していきます。

武装をしたブレイビクが島へ入る

War Desert Guns - Free photo on Pixabay (623950)

17時頃、本土と島を結ぶ船の担当である『ヨハネス・ダレン・スキー(Johannesse Dalen Giske)』のトランシーバーに連絡が入り「警官が島に渡りたがっている」と言われました。そこで、ウトヤ島の集会を抜け出し、船長にその事を伝え、船長と一緒に本土へ向かいました。

本土には、巨大なライフル銃を持ち、脚にも小銃を装着している1人の警官が待っていました。どう見ても警官の姿で「秘密警察の一員で爆破のことで島を調査しに行く」と言われ、一緒にウトヤ島に向かいました。

17時15分、ヨハネスは船を桟橋に止める作業をしている最中に、島の責任者と警備員が出てきて警官を止めました。警官の武器に疑いを持ったのです。即、銃殺されましたが、銃声にヨハネスが振り返ってみると、30mほど離れた場所で警官が地面に向かって銃を発砲している姿が見えただけでした。

サマーキャンプを楽しむ青年たち

Bonfire Camping Fire - Free photo on Pixabay (623955)

ウトヤ島は、1950年8月にオスロ周辺の主要な労働組合の連合体である『オスロ広域労働組合連合会』から、ノルウェー労働党の青年組織『Arbeidernes ungdomsfylking (AUF)』 へ寄贈された島で、株式会社に相当する『ウトヤAS』の管理下でキャンプ地として貸し出されています。

ノルウェーの青年たちは、毎年この島でサマーキャンプを楽しむことが恒例の行事で楽しんでいました。ここでの出逢いは、一生の出逢いになることが多く、ここで出会った同じ思想を持つ者同士で結婚することも珍しくありませんでした。

耳元では大音量の音楽

Headphones Headset Audio - Free photo on Pixabay (623956)

ブレイビクは、ウトヤ島にいる青年たちを銃で殺害する時に、耳元のiPodでは大音量でテレビ番組『Xファクター』と『ブリテンズ・ゴット・タレント』のオーケストラ版テーマ曲、クリント・マンセルの『ルクス・エテルナ(永遠の光)』の音楽を繰り返し聴いていました。

ブレイビクは「この音楽が、いつの日か必ずヨーロッパを支配するファシスト民兵の讃歌になればいい」と思うほどに非常にインスパイアされており、青年たちを一人ずつ撃っていった時にも、頭の中は音楽が大音量で鳴り響くだけで、叫び声も慈悲を乞う声も聞こていませんでした。

ブレイビクの犠牲になった青年部とは?

People Men Fire - Free photo on Pixabay (623959)

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