目次
- 山岳ベース事件とは?
- 事件に大きく関わる当時の時代背景
- 学生運動が盛んな時代
- 赤軍派とは?
- 革命左派とは?
- 山岳ベース事件詳細
- 赤軍派と革命左派の合同軍事訓練
- 集団リンチを生んだ「総括」の始まり
- 総括と称した暴行の実態
- 山岳ベース事件首謀者の逮捕
- あさま山荘事件へ繋がる
- 山岳ベース事件の被害者一覧【時系列順】
- 尾崎充男
- 進藤隆三郎
- 小嶋和子
- 加藤能敬
- 遠山美枝子
- 行方正時
- 寺岡恒一
- 山崎順
- 山本順一
- 大槻節子
- 金子みちよ
- 山田孝
- 山岳ベースで集団リンチが起きた理由は?
- 森恒夫と永田洋子の関係性
- 永田洋子の嫉妬
- 外部の敵と戦えなかったため
- 目の前の問題から目をそらすため
- 反抗や脱走をなくすため
- 山岳ベース事件逮捕者の現在
- 森恒夫の現在
- 永田洋子の現在
- 山岳ベース事件に関係する幹部について
- 森恒夫
- 永田洋子
- 坂口弘
- 寺岡恒一
- 坂東國男
- 山田孝
- 吉野雅邦
- 仲間同士でリンチするという残忍な事件
山田孝は1944年生まれで東京都出身でした。県立西高校を卒業後、京都大学法学部に入学します。その後、大学院に進み、政治学を専攻していました。
赤軍派の母体となった関西ブントの活動家であり、京都府学連でも活動していました。関西ブントでは赤軍派の最高指導者である塩見孝也の側近であり、森より格上の人物でした。
塩見や主要幹部たちの逮捕により赤軍派の実権を握るようになった森とはもともと意見が合わなかったこともあり、山岳ベース事件の被害者となりました。
赤軍派の母体となった関西ブントの活動家であり、京都府学連でも活動していました。関西ブントでは赤軍派の最高指導者である塩見孝也の側近であり、森より格上の人物でした。
塩見や主要幹部たちの逮捕により赤軍派の実権を握るようになった森とはもともと意見が合わなかったこともあり、山岳ベース事件の被害者となりました。
吉野雅邦
via pixabay.com
吉野雅邦は1948年3月に生まれました。都立日比谷高校を卒業後、一浪して、横浜国立大学に入学します。混声合唱団で山岳ベース事件の被害者となる金子みちよと出会いました。
1967年10月8日の第一次羽田闘争に中核派シンパとして参加した際に、機動隊に殴られて13針を縫う大けがをします。三里塚闘争では逮捕されて千葉少年鑑別所に入れられました。
その後、金子みちよと一緒に生活をするようになり大学を中退します。革命左派が起こした銃砲店襲撃にも関わっており、山岳ベース事件の後にあさま山荘に立てこもりました。裁判では無期懲役が確定し、千葉刑務所に服役しています。
1967年10月8日の第一次羽田闘争に中核派シンパとして参加した際に、機動隊に殴られて13針を縫う大けがをします。三里塚闘争では逮捕されて千葉少年鑑別所に入れられました。
その後、金子みちよと一緒に生活をするようになり大学を中退します。革命左派が起こした銃砲店襲撃にも関わっており、山岳ベース事件の後にあさま山荘に立てこもりました。裁判では無期懲役が確定し、千葉刑務所に服役しています。
仲間同士でリンチするという残忍な事件
via pixabay.com
山岳ベース事件についてまとめてみましたが、いかかでしたか?この事件を知らなかった人もいれば、忘れかけていた人もいるのではないでしょうか。
この事件は学生運動が盛んな時代に起きた事件であり、当時の時代背景が大きく関わっています。この事件のあとに起きたあさま山荘事件とともに社会に大きな衝撃を与えました。
時の流れとともに忘れ去られていく数々の事件と同様に、この事件もまた風化の一途をたどっています。
この事件は学生運動が盛んな時代に起きた事件であり、当時の時代背景が大きく関わっています。この事件のあとに起きたあさま山荘事件とともに社会に大きな衝撃を与えました。
時の流れとともに忘れ去られていく数々の事件と同様に、この事件もまた風化の一途をたどっています。
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