2019年8月31日 更新

津山事件の動機や真相は?唯一の生存者寺井ゆり子の現在とは

津山事件には、あまりに悲しい動機が存在します。この記事では、動機や事件の真相、背景にあった夜這いなどの集落文化をご紹介します。生存者である寺井ゆり子の現在の様子や、事件が起こった場所のその後の様子についても詳細にご紹介していきましょう。

目次

都井家には、ある程度の資産と、所得があったと言われています。そのため、引き取られた姉と睦雄は、それほど不自由なく暮らせていました。しかし、実はそれほど裕福ではなかったという説も存在しています。

都井家自体は、地位や資産があったものの、後妻であった祖母が本家を追い出され、孫を連れ犯行現場となる家に引っ越したため、それほど裕福ではなかったとも言われているのです。

また、引っ越し先の家も、切腹自殺があった家であったため、比較的格安で購入したのではないかとも言われています。

尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患う

Pencil Sharpener Notebook - Free photo on Pixabay (588704)

都井睦雄は、高等小学校卒業直後に、肋膜炎(ろくまくえん)という病を発症します。高等小学校とは、現在の中学校にあたる教育課程です。

睦雄が発症した肋膜炎は、胸膜炎(きょうまくえん)とも呼ばれます。胸膜に炎症が起こり、発熱や咳、呼吸困難や胸の痛み等を引き起こす病で、ほとんどの場合、癌や結核が原因で発症しました。

肋膜炎を発症した睦雄は、医者に農作業等を禁止されますが、病状はすぐに快方に向かったといわれています。

姉の結婚を期に引きこもるようになる

Siblings Friends Brother - Free photo on Pixabay (588707)

都井睦雄は、肋膜炎の病状が落ち着いた後、実業補習学校に入学します。実業補習学校とは、中等教育学校へ進学せず働いていた青年が入学し、社会教育を学べる場です。

働きながら社会教育を受けていた睦雄ですが、睦雄が10代の頃、たった一人の姉が結婚したことから、生活が変わっていきます。睦雄は実業補習学校に行くことも少なくなり、徐々に自宅に引きこもるようになりました。そのため、同年代の人々と、深くかかわる機会も減っていきます。

夜這いによって多くの女性と性関係を持つ

Bed Linen Awake Crumpled - Free photo on Pixabay (588709)

当時、日本のいたる場所に、夜這いという文化が存在していました。夜這いとは、男性が女性宅を訪問し、性的関係を持つ行為です。恋人同士でなくとも、性関係を持つことができましたし、既婚者であっても夜這いしあうことが可能だったといわれています。

教育や同年代との交流を放棄しつつあった睦雄でしたが、夜這いは行っていました。夜這いによって、複数人の女性と定期的に、性的関係を持っていたと言われているのです。

また、夜這い行為をひけらかすように、周囲に言いふらしていたともいわれています。自身の自尊心を保つためだったのではないかと考察されていますが、こういった行為は、当時周囲から批判的な目で見られていました。

寺井ゆり子は都井の本命だったと言われている

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都井睦雄が、夜這いによって性的関係を持った女性の中に、寺井ゆり子という女性がいました。この寺井ゆり子という女性が、睦雄の本命だと言われ、津山事件の数少ない生存者です。

寺井ゆり子と睦雄の関係について、夜這いによる性的関係はなかったという説もあります。睦雄が一方的に、寺井ゆり子に好意を寄せていたという説です。

また、寺井ゆり子と都井睦雄には、婚約していたという説も存在しています。詳しいその後の様子については、後半で解説していきましょう。

1937年結核を理由に徴兵に不合格となる

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都井睦雄は、結核を発症します。もともと、それほど体が強かったわけではなく、病弱な体質だったようです。1937年、睦雄は徴兵検査を受けますが、結核により不合格となります。

当時の日本では、徴兵によりお国の役にたってこそ一人前の男性という見方をされる文化、風潮がありました。そのため、病気により不合格となった睦雄に対して、女性や村の風当たりは非常に強くなっていきます。

これまで、唯一の楽しみであった夜這い行為も、拒絶されることが多くなったようです。

犯行時都井睦雄は21歳になっていた

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集落という狭いコミュニティーの中で、都井睦雄が結核を持っている事、それによって徴兵検査が不合格となった事は、瞬く間に広がっていきます。

同性である男性たちからは蔑まれ、女性たちからは性的関係を拒まれるようになりました。それ以外の人々からも、すれ違いざまに息を止められたり、あからさまに嫌がられるようになっていきます。

睦雄の負の感情は、溜まる一方となっていきました。そして、津山事件を引き起こします。都井睦雄は、犯行当時21歳になっていました。

都井睦雄は実に周到に準備をしていた

Cartridges Weapon War Hand - Free photo on Pixabay (588723)

津山事件について、加害者の都井睦雄は、精神疾患を持っていたのではないかという説も存在しています。何らかの精神疾患により、善悪の判断やその他の自制ができない状態だったのではないかというものです。

しかし、都井睦雄は津山事件当日までに、多くの準備をしていました。非常に冷静に、事件を計画していたのです。このことから、都井睦雄が何かしらの精神異常により、発作的に犯行を企てたとは考えにくいでしょう。ここからは、都井睦雄が、事件前に行っていた準備の一部始終をご紹介していきます。

1937年狩猟免許を取得

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徴兵検査に不合格となった同年、都井睦雄は猟銃免許を取得します。どのような目的で猟銃免許を取得したのか、考察する他ありませんが、当時の日本では戦争中であっても、一般市民が銃を携帯することは違法でした。

これまで引きこもりがちであった都井睦雄が、不合格となった同年すぐに猟銃免許を取得したのは、それまでにも何かしらの鬱憤があり、銃を使った復讐を考えていたと考察できます。

他の考察としては、狩猟等の仕事を考えていたというものもありますが、資産や畑仕事に困らないという家庭環境から考えにくいでしょう。

1938年毎日山にこもり射撃の練習を行う

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狩猟免許を取得した都井睦雄は、すぐに散弾銃を購入します。すぐに購入できたことから、金銭に困っていたとは考えられないでしょう。購入した散弾銃を下取りに出し、猛獣を仕留める際に使用する、より威力が高いブローニング猟銃を購入します。

猛獣用の銃を手に入れた都井睦雄は、近くの山にこもり、射撃の練習に励むようになりました。結核という治らない病を抱えた都井睦雄が、第二次世界大戦に備えて、自身の価値を上げようとしていたとは考えにくいでしょう。

猟銃を片手に毎夜村を徘徊し威嚇

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