2019年8月31日 更新

津山事件の動機や真相は?唯一の生存者寺井ゆり子の現在とは

津山事件には、あまりに悲しい動機が存在します。この記事では、動機や事件の真相、背景にあった夜這いなどの集落文化をご紹介します。生存者である寺井ゆり子の現在の様子や、事件が起こった場所のその後の様子についても詳細にご紹介していきましょう。

目次

都井睦雄が残した遺書に実名が記載されていたのは、関係を持った女性や異常に執着する寺井ゆり子だけではありません。又寺元倉一という男性や、岸本順一に対する恨みや憎しみも、記載されていました。

又寺元倉一や岸本順一に関する内容としては、中身のない人物である、これまでの行いが悪い等です。殺害できなかったことへの、無念も記載されています。都井睦雄は、徴兵検査に不合格となったことから、男性たちからも虐げられていました。

津山事件の生存者・寺井ゆり子のその後

Summerfield Woman Girl - Free photo on Pixabay (588805)

津山事件の生存者として、寺井ゆり子という女性が有名です。他にも、複数人の生存者はいるものの、都井睦雄が異常な執着心を見せた女性として、寺井ゆり子が非常に注目されていました。

ここからは、寺井ゆり子と都井睦雄の関係性や、津山事件後、寺井ゆり子がどのように暮らしていったのか、その後の様子についてご紹介していきます。

寺井ゆり子と都井は婚約していた

Hand Woman Female - Free photo on Pixabay (588807)

寺井ゆり子と都井睦雄は、実は婚約していたという説があります。婚約していたにも関わらず、都井睦雄の結核発症を知った親戚が、無理やり2人を引き離し、他集落へ寺井ゆり子を嫁がせたという話もあるのです。

実際、病気の発覚により破談となることも珍しくありません。しかし、寺井ゆり子と都井睦雄の関係には諸説あります。実際に、都井睦雄が思いを寄せていただけであり、性関係や交際などの事実はないといった証言もあるのです。

寺井ゆり子は別の男性と結婚・離婚

Wedding Dresses Bride - Free photo on Pixabay (588808)

寺井ゆり子という女性は、津山事件が起こる前、都井睦雄とは別の男性と結婚し、離婚しています。この離婚に関して、都井睦雄が関係しているという説も存在しているのです。

夜這いという文化は、既婚者であっても実行されていました。しかし、配偶者が嫉妬深かったり、否定的であった場合、それらは離縁に繋がります。津山事件の約4カ月前、都井睦雄は寺井ゆり子に夜這いをしたと言われているのです。その夜這いが離婚の原因だという説があります。

上村岩男という男性と再婚後事件が起こる

People Man Woman Holding - Free photo on Pixabay (588812)

寺井ゆり子の離婚に、都井睦雄が絡んでいたという説の、真偽は定かではありません。寺井ゆり子は、1度目の離婚の後、都井睦雄と再婚しなかったことから、信憑性は低いと言えるでしょう。

2度目の結婚をし、寺井ゆり子が里帰りした際、津山事件は起こります。寺井ゆり子の再婚に、絶望を感じた犯行という説もありますが、たんに自分を受け入れない寺井ゆり子の帰省を待って、犯行を実行したとも言えるでしょう。どちらにしても、都井睦雄が一方的に思いを寄せていた可能性が高いといえます。

事件の原因だと言われ虐げられた

Landscape Autumn Fog - Free photo on Pixabay (588814)

寺井ゆり子は事件後、インタビューを受けています。その中で、事件後どのように暮らしてきたのか明かされました。事件後寺井ゆり子は、津山事件の原因だと言われ、村八分の扱いを受けます。虐げられ、いわれのない扱いを受け続けたようです。

その理由は、都井睦雄は遺書にも、寺井ゆり子への執念を見せていました。しかし、多くの人々が殺害される中、寺井ゆり子が生き残った事、そして集落へ帰省した直後に事件が起こったことも要因です。

事件の半年後に娘を出産

People Baby Bear - Free photo on Pixabay (588815)

村八分の扱いを受けた理由は、他にもあります。寺井ゆり子は、津山事件の約半年後、娘を出産しました。当時、寺井ゆり子は結婚していたため、夫の子供であったはずなのですが、集落の人々は、この子供を都井睦雄の子供と考えます。結婚した時期から考えて、早すぎることが要因のようです。

都井睦雄の子供を妊娠していることを知った都井睦雄が、あえて逃がしたと噂されることもありました。また、寺井ゆり子の夫の死を利用し、多額の遺族年金を自給しているといった根拠不十分な噂も流されます。

他の集落に転居

Field Corn Agriculture - Free photo on Pixabay (588817)

貝尾集落で村八分の扱いを受け、根も葉もない多くの噂をたてられ続けた寺井ゆり子は、貝尾集落から別の集落へ移り住みます。そこでも、根拠のない噂や、貝尾集落での出来事は広まり、落ち着いた生活ではありませんでした。

移り住んだ集落でも、差別や噂による風当たりは強いものでしたが、立派に子供を育てあげます。病気等もなく、長生きしたと言われていますが、この様子についても、罰当たりなど酷い扱いを受け続けました。

自責の念に駆られながら生き続けていた

Worried Girl Woman Waiting - Free photo on Pixabay (588819)

寺井ゆり子は、集落の人々からたてられる噂や自分に対する非難にたいし、ただ図太く生き続けたわけではありません。集落の人々が言うように、津山事件の原因は、自分ではないかという自責の念に駆られ続けながら、生きてきたと言います。

都井睦雄の自分への執着心や、多くの人々が殺害される中、自分だけが生き残ってしまったこと、また、逃げ込んだ民家の家族を巻き込んでしまったことなど、長年自分を責め続けながら生活していました。

2014年時点では健在

Book Hands Reflecting - Free photo on Pixabay (588818)

寺井ゆり子は、2014年時点まで、生存が確認されています。しかし、事件から長い年月がたっても、自身への噂や扱いは当時とそれほど変わらないようです。

寺井ゆり子は、津山事件でも被害者となり、その後の人生においても大きな被害を被っています。津山事件では、実際に家族を殺され、都井睦雄に追いかけられました。体も、負傷しています。また、事件が終わったにも関わらず、生き残ったことを非難され、非常に苦しい思いの中、生きてきたのです。

事件後から現在に至るまでの事件現場

Staircase Body Corpse - Free photo on Pixabay (588821)

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