2019年8月31日 更新

津山事件の動機や真相は?唯一の生存者寺井ゆり子の現在とは

津山事件には、あまりに悲しい動機が存在します。この記事では、動機や事件の真相、背景にあった夜這いなどの集落文化をご紹介します。生存者である寺井ゆり子の現在の様子や、事件が起こった場所のその後の様子についても詳細にご紹介していきましょう。

目次

多くの犠牲者と、鬼のような加害者を出した貝尾集落は、事件後どのように変わっていったのでしょうか。多くの人々が亡くなった現場や、大きな事件が発生した場所は、心霊スポットとして好奇心のみを持ち、遊び半分で訪れる人も少なくありません。

貝尾集落があった場所も、同様の現象が見られます。ここからは、事件後から現在に至るまでの、津山事件犯行現場の様子についてご紹介していきます。

被害者が出なかった家は事件後集落を離れた

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (588823)

津山事件では、貝尾集落にあった全ての家が、都井睦雄によって襲撃されたわけではありません。2時間以内という時間制限があったことや、都井睦雄への普段の対応から、事前に襲撃する民家を決めていました。そのため、襲われずにすんだ民家も、生存者も複数存在しています。

しかし、生存した人々のほとんどは、事件後すぐに貝尾集落を離れました。多くの人々が亡くなった場所やその付近に、暮らし続けることができないのも当然です。

都井の生家は取り壊された

Ruins Urban Destruction - Free photo on Pixabay (588826)

都井睦雄が暮らしていた家は、事件直後はそのままとなっていました。津山事件の原因究明や、捜査に使用されたのち、そのまま持ち主不在として放置され続けます。都井睦雄の実の姉は、生存していましたが、この家で暮らすことも訪れることもありませんでした。

2015年、建物の老朽化も進んでいたことから、都井睦雄の自宅は取り壊しとなります。都井睦雄の自宅を取り壊す際、祟りや心霊現象を懸念する声も、実際に聞かれたようです。

過疎化が進む

Hdr Destroyed Area Old Factory - Free photo on Pixabay (588827)

貝集落と呼ばれる集落は、現在存在していません。津山市加茂町という行政区分になっています。当時の貝尾集落と呼ばれる場所には、2010年まで、居住者が存在していました。

国勢調査では、2010年時点で13世帯37人となっています。現在は、ほとんど生活している人はいないと考えられるでしょう。しかし、実際に住むことは可能であり、心霊現象等に興味がある人々は、こういった大きな事件の現場に、移住する場合もあります。

津山事件から考えるべきこと

Office Home Creative - Free photo on Pixabay (588828)

津山事件は、当時の日本に大きな衝撃を与えました。京アニ放火殺人事件が発生するまで、日本最多被害者数を出した殺人事件としても知られています。

しかし、現代の人々は、津山事件は遠い過去の事件という認識であり、正しい状況を知る人はもちろん、事件から何かを感じ取ることもほとんどありません。ここからは、津山事件から現代の人々も考えるべきことについて、ご紹介していきましょう。

一般人が凶器を入手することが容易だった時代があった

Weapon Violence Children - Free photo on Pixabay (588829)

津山事件では一人の青年が、多くの凶器を調達しています。まず、日本にもそのような無法時代があったことを知っておく必要があるでしょう。

また、これらは決して過去の話ではありません。犯罪を犯そうとする人物たちは、あらゆる方法で凶器を調達します。現代の日本でも、銃や短刀、用途が違うものの人を殺傷する能力を持つ道具を入手することは可能なのです。車も、使い方を間違うだけで、人の命を奪うことができます。

つまり、自分が生き続けられること、健康であり続けられることは、今も昔も当たり前ではないのです。

病気の間違った知識により迫害された人々が大勢いた

Violence Against Women Domestic - Free photo on Pixabay (588831)

津山事件当時は、医療や情報伝達が現代よりも劣っていました。そのため、病気の間違った知識や、過剰な迫害も日本各地で当たり前に行われていたのです。

この間違った知識や、迫害によって多くの人々が悲しみの中暮らしていました。こういった状況は、現代でも見られます。病気や障害、性的マイノリティなど、思い込みや自身の偏った価値観により、他者を攻撃する人々が存在しています。

他者への攻撃は、大きな悲しみを生み、争いの火種となってしまうのです。自身の言動について、今一度見直して生活する必要があるでしょう。

日本に存在する集落・地域文化の恐ろしさ

Man Fishermen Nature - Free photo on Pixabay (588833)

日本には、集落や地域文化に関する固定概念が、今も根強く残っています。夜這いや、忌み子などの過激な文化だけではなく、結婚しなければならないという思い込みや、男尊女卑的思考、結婚後の義家族との付き合い方など、日常的に見られる固定概念も、集落や地域文化と同等の価値観によるものです。

こういった価値観は、知らず知らずのうちに自身や相手の言動を制限し、縛り付けていきます。自身の思考が、何かによって制限、強制されていないか考えてみましょう。

偏見や差別がもたらす大きなリスク

Attack Blackmailing Crime - Free photo on Pixabay (588835)

津山事件は、差別や偏見が大きく関係した事件です。差別や偏見が要因の一つとなり、このような大量の被害者を出したにも関わらず、被害者女性にも同様に行ってしまうのが人間です。

差別や偏見の大きなリスクは、連鎖してしまうという部分でしょう。人から人へ伝承され、長らく被害を受けることになります。また、意味も本来の理由も分からず、排除する、批判するといった暴力行為のみが残ってしまう場合も多々あるのです。

人間は他者を自身の物差しではかり、距離感や関係性を考えます。それらが悪いわけではなく、自身の物差しはあくまで自分だけのものであり、それが相手の全てではないことを自覚する必要があるのです。

保守的な人は知らない事柄を攻撃し排除してしまう

People Girls Women - Free photo on Pixabay (588836)

過去も現在も、保守的な人々は存在します。集落という文化も、他者から身を守り、より安全に暮らすためにそれぞれ独自のルールが作られていました。

ルールを作ること自体、問題ではありません。問題なのは、臆病になり過ぎるがあまり、ルール外を排除しようとしてしまう部分です。ルールから少しでも外れてしまった人、一度でもルールを破ってしまった人を、過剰に攻撃し排除しようと行動してしまいます。また、それらは正しい行動であるという正義感も、問題です。

煽り運転に関係する人物として、全く関係のない人物の個人情報をさらしてしまったり、正義の為に致し方ないと自身の行動を顧みない人が増えていると言えます。こういった思考は、病気や環境が悪いという理由から大量虐殺するしかないという思いに至った都井睦雄に近しいと言えるのです。

津山事件は時代背景や人々が作り出したともいえる悲しい事件

Connect Connection Cooperation - Free photo on Pixabay (588838)

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