2019年8月31日 更新

津山事件の動機や真相は?唯一の生存者寺井ゆり子の現在とは

津山事件には、あまりに悲しい動機が存在します。この記事では、動機や事件の真相、背景にあった夜這いなどの集落文化をご紹介します。生存者である寺井ゆり子の現在の様子や、事件が起こった場所のその後の様子についても詳細にご紹介していきましょう。

目次

都井睦雄は5軒目に襲撃した民家の前で、寺井ゆり子を執拗に殺害しようと試みます。「お前だけは残しておけない」と叫び、発砲を続けますが、床下に隠れていた寺井ゆり子の喉をかすめる程度で命を奪うことはできません。寺井ゆり子の殺害が叶わないと知ると、都井睦雄は別の民家を襲撃に向かいました。

6軒目に襲った民家は、母親と子どもが2人で暮らしている家です。母親と息子は、他の家で繰り広げられた銃撃や悲鳴に気付かず、就寝していました。そのまま起きることなく、銃殺されます。

7軒目は頭を打たれ脳がぶちまけられる

Brain Cranium Head - Free vector graphic on Pixabay (588778)

7軒目の家では、家主の内妻と養蚕業を手伝いに滞在していた女性2人が銃殺されます。内妻とは、現在でいう内縁の妻のような関係性の事です。養蚕業を手伝うために滞在していた女性は、銃で頭を撃ち抜かれ、部屋に脳が散乱した状態で発見されていました。

この女性は、生前都井睦雄と性的関係にあったと言われています。7軒目の民家には、女性の他にも祖父がいました。祖父は死を覚悟し、怯えていたものの「悪口を言わなかった」という理由から、殺されずにすみます。

8軒目の母親はかろうじて息はあったが病院で亡くなる

Surgery Hospital Doctor - Free photo on Pixabay (588779)

8軒目には、家主の実母と妹、妻の3人の女性がいました。家主は、他民家の騒ぎをいち早く察知し、一番近くの警察に知らせるために走っている最中です。自宅に残されていた妹と妻は、押し入ってきた都井睦雄にすぐに射殺されます。

家主の母も銃撃されますが、かろうじて息があり、警察が駆け付けた後、病院に搬送されました。しかし、都井睦雄が想定していた通り、警察を呼ぶまでには相当な時間がかかり、すぐに駆け付けることもできません。長時間瀕死の状態で放置されていた家主の母は、搬送先の病院で息を引き取りました。

9軒目では5歳の幼子も容赦なく殺害される

Kid Praying Muslim - Free photo on Pixabay (588780)

8軒目の家主が、警察を呼ぶために奮闘し続ける最中も、都井睦雄の犯行は続きます。都井睦雄は、9軒目の民家に襲撃しました。9軒目の民家には、家主の両親と妻、そして小さな子供が住んでいます。子供は、当時5歳でした。

都井睦雄は、9件目の民家に侵入すると、問答無用で銃を発砲し、両親や妻を次々と殺害していきます。そして、5歳という幼い子供にも手をかけたのです。都井睦雄が犯した犯行で、最少年齢が9軒目の子供と言われています。

10軒目の女性も息はあったが搬送先で亡くなる

Bird Death Die - Free photo on Pixabay (588781)

小さな幼い子供に手をかけた後でも、都井睦雄は着々と犯行を続けていきます。10軒目の民家で都井睦雄は、外から家主の名前を叫びました。この行動から、10軒目のターゲットは、家主のみだと言われています。

外の様子を確認しようと、家主ではなくその妻が顔を出しました。その瞬間を見逃されることなく、都井睦雄に撃たれてしまいます。家主は顔を出すことなく、10権目の襲撃は終了しました。都井睦雄に撃たれた際、かろうじて息のあった女性ですが、搬送先の病院で死亡します。

11軒目の家は都井が住む集落ではなかった

Little Houses Stone Road - Free photo on Pixabay (588782)

都井睦雄は、11軒目の民家を襲撃します。この民家が、最後のターゲットです。11軒目の民家は、これまで襲われてきた都井睦雄が生活していた貝尾集落ではありません。貝尾集落に隣接する、坂本と呼ばれる集落の民家が襲われました。

11軒目の民家には、夫婦が暮らしていましたが、どちらも銃によって殺害されます。これで、都井睦雄の襲撃は終了しました。ここまでで殺害された人数は28人にのぼり、病院に搬送されのちに死亡した2人を含め、30人もの犠牲者を作り出したのです。

津山事件の動機

Hacking Cyber Blackandwhite - Free photo on Pixabay (588783)

津山事件は、わずか1時間半という短い時間で、30人もの犠牲者を作り出しました。犯行現場では、脳が散乱したり、内臓がぶちまけられるなど、警察関係者であっても見るに堪えない現状だったと言われています。被害者の中には、幼い子供や妊娠中の女性もいました。

犯行現場や被害者の人数の他にも、大量殺人を犯したのが、男性1人だったという理由から、その犯行動機が非常に注目されます。精神疾患だったという説や、自暴自棄説などあらゆる動機が考察されました。ここからは、都井睦雄が津山事件を起こした動機について、解説していきましょう。

結核

Medicine Pills Capsules - Free photo on Pixabay (588789)

津山事件の動機の一つは、結核という病気です。当時、結核は治らない不治の病として知られていました。さらに感染するという理由から、発症者は非常に酷い扱いを受けていたようです。両親を結核という病気で亡くし、自身もまた結核という病によって他者に虐げられた都井睦雄の絶望は、はかり知れません。

自身の病気を理由に、他者を殺害することはもちろん許されませんが、病気という誰を責めることもできない現状へのフラストレーションによって、津山事件は引き起こされたとも言えます。

阿部定事件

Hooded Man Mystery Scary - Free photo on Pixabay (588784)

津山事件には、阿部定事件も関係していると言われています。阿部定事件とは、津山事件が発生する約2年前に起こった、日本中に衝撃を与えた事件です。性交中であった相手男性の首を絞め殺害し、男性器を切断したという猟奇的ともとれる犯行が、日本中の注目を集めました。

都井睦雄は、津山事件を引き起こす前、「いつか阿部定事件以上のことをやる」と言っていたという証言もあります。都井睦雄が本当に、阿部定事件を意識していたのか定かではありませんが、結核やその他の理由で虐げられた自分を知らしめるために、阿部定事件以上の何かを起こそうと思った可能性が考えられるでしょう。

夜這いで性的関係を持っていた女性たちの態度

No Negative Finger - Free image on Pixabay (588791)

津山事件の動機には、夜這いも関係しているでしょう。結核が発覚するまで、夜這いを受け入れてくれた女性たちが、結核の発覚により次々都井睦雄を拒否したと言われています。

徴兵検査で不合格となり、お国の役に立てない未熟な男というレッテルをはられ、さらに夜這いを拒絶され残っていた男性としてのプライドが傷つけられたのでしょう。女性や妊婦を積極的に殺害していたことから、女性にたいする強い恨みが感じられるため、この動機は非常に有力だと言われています。

しかし、結核が発覚しなくても、都井睦雄の夜這いを拒否する女性は少なくなかったようです。性的関係を持ったこと言いふらしたり、暴力や銃、金で性関係を求めるなど強引な一面もあり、結核の発覚はきっかけの一つだったとも言われています。

寺井ゆり子・良子の帰省

Woman Stairs Corridor - Free photo on Pixabay (588790)

5 / 9

関連する記事 こんな記事も人気です♪