2019年5月26日 更新

ハーメルンの笛吹き男は実話?その怖いあらすじと男の正体や子ども達の末路

ハーメルンの笛吹き男はグリム童話のひとつ。笛吹きの男が町の子供たちを連れ去ってしまう・・・というのが大まかなあらすじですが、これに実話説があることは御存知でしょうか?ここでは笛吹き男の正体、物語の怖い真実、舞踏病説などの仮説について紹介していきます。

子ども達の事故説

Autumn Mountains Capricorn - Free photo on Pixabay (308453)

行方不明の子供たちは、その後どこへ行ったのでしょう?一説には、子供たちが大人たちの真似をして山に火を灯そうとしたものの、真夜中の登山で足を滑らせ、底なし沼に転落死してしまったと言われています。

1284年6月26日は「ヨハネとパウロの日」という夏至祭りの日にあたり、ハーメルンの町ではポッペンブルク山に「夏至の火」を灯す習慣がありました。

この山には切り立った崖があり、真下に幅150mもの底なし沼が存在します。

笛吹き男の小児性愛者説

Child Fun Outdoors - Free photo on Pixabay (308458)

笛吹き男は、未成年者を溺愛する小児性愛者だったとも言われています。

この仮説によると、子供たちの失踪事件が起こったのは1484年6月20日で、犯人はザクセン人の村から誘拐した130人の子供を「口に出して言うのも憚られる目的」のために用いたそうです。

この目的が何だったのかは明らかになっていませんが、一説によると五体をバラバラにされ、森の茂みの中や木の枝から吊り下がっているところを発見されたという憶測が立てられています。

笛吹き男の死神説

Death Grim Reaper - Free vector graphic on Pixabay (308460)

突拍子もない憶測ですが、笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)だったとする説があります。行方不明になった子供たちは何らかの自然的要因によって死亡し、そのため笛吹き男は死神の象徴になったというのです。

ヨーロッパの死神は、笛吹き男のようなまだら模様の衣装を身にまとった姿で書かれることもしばしばです。子供たちが死の舞踏を踊ったことも、笛吹き男の正体を死神とする仮説に拍車をかけています。

ちなみに、マグスは魔法使いだけでなく悪魔という意味合いも含みます。

子ども達の軍事行動説

Knight Crusader Rider - Free photo on Pixabay (308463)

子供たちの集団失踪は、少年十字軍運動の一環であったとする説もあります。十字軍は中世ヨーロッパの連合軍で、エルサレムを奪還するために設立された軍隊です。

この中には少年十字軍という、神の啓示を受けて同地に遠征する少年少女の団体がいました。
Crusader Cross Christian - Free vector graphic on Pixabay (316559)

少年十字軍の結末は惨たるもので、遠征中に衰弱死や病死などで子供たちが次々に脱落。最後は奴隷商人に騙されて売り物にされ、二度と両親の下へは戻らなかったと言われています。

この説では、名も無い笛吹き男は運動のリーダーか新兵徴募官であったと解釈されています。

笛吹き男と子ども達の集団移民説

New York City 1890 Vintage - Free photo on Pixabay (308470)

集団移民説は現在有力になっている説のひとつです。これは、ドイツ東部のウッカーマルク周辺にハーメルン周辺の地名と似たような地名が多数存在するためです。

この説では、子供たちが東ヨーロッパの植民地で自分たちの村を創設するため、自らの意志でハーメルンを出て行ったとされています。少年十字軍運動の説と同じく、笛吹き男も運動のリーダーだったと考えられています。

ただし他の町での移民、開拓者がせいぜい50人程度だったのに対し、ハーメルンは130人という大所帯だったため、この説にも疑問が残ります。

ハンセン病患者説

Line Art Bible Jesus - Free vector graphic on Pixabay (308475)

ハンセン病とは「らい菌」が神経を侵し、手足が動かなくなったり皮膚の形が極端に変形してしまう病気のことです。医学が現代ほど発展していない中世の人々にとってハンセン病は恐るべき病気であり、当時は患者を隔離するのが一般的でした。

ドイツでは子供たちの失踪がペスト(黒死病)患者を隔離させるためだったとする説もありますが、日本の医学者の中には、これがハンセン病の患者だったのではないかと唱える人もます。

失踪した子供たちは流行り病で亡くなったとする説もありますが、ハンセン病の感染率は非常に低く、この説はあまり有力ではないとされています。

ハーメルンの町のその後

Hamelin Building Facade - Free photo on Pixabay (308483)

子供たちの失踪事件によって、ハーメルンの町は皮肉にも国際的な知名度を得るに至りました。

事件の記録や伝承を元に、ハーメルンがネズミ捕りの町と呼ばれるようになったのは言わずもがな。グリム童話ゆかりの地として名高い「ドイツ・メルヘン街道」にも名を連ねるようになりました。

ここではハーメルンの主な観光地、事件後にできた施設について詳しく紹介していきます。

事件後にできた舞楽禁制通り

Hamelin The Pied Piper Of - Free photo on Pixabay (308485)

ハーメルンの有名レストラン「ネズミ捕りの男の家」の隣に、舞楽禁制通りという細い路地があります。

笛吹き男の伝説によると、1284年6月26日の早朝。町外れの広場に集められた子供たちは、この道を通って大通りへと抜け、東門から町の外に出て行ったそうです。

「舞楽禁制」の名が示す通り、この通りで音楽や踊りを奏でることは現在でも御法度とされています。お祭りや結婚式のパレードでも、ここを通る時は演奏を中止するのが習わしとなっています。

現在は観光名所に

Lake Winter Sunset - Free photo on Pixabay (308492)

現在のハーメルンには様々な観光名所が存在します。旧市街のメインストリートであるオスター通りは土産物屋、カフェ等で賑わい、通りの中ほどに町の歴史資料を展示したハーメルン博物館もあります。

東門から入ってすぐ左手に見えるのは「ネズミ捕りの男の家」。1603年に完成したルネサンス建築で、現在はレストランになっています。
Restaurant Table Setting - Free photo on Pixabay (313651)

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