2019年7月14日 更新

フリーライター染谷悟とは?追っていたプチエンジェル事件と死の関係

ある事件を追っていたフリーライターの染谷悟は、事件発覚後のわずか2ケ月後に東京港で遺体となって発見されました。彼が追っていたのはプチエンジェル事件。政治家や皇族、三菱商事など大物人物が多く係わっていたと言われています。今回は、染谷悟と事件の概要を紹介します。

目次

事件発生場所は赤坂「インターナショナルプラザ赤坂No.1」の1101号室

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小学6年生の女児4人は、赤坂にあるインターナショナルプラザNo.1というマンションの、1101号室に監禁されます。実はこの部屋は、吉里弘太朗ではない人物が契約していました。マンションの最上階である11階にあるこの部屋は2LDKで、賃料は吉里が払っていたと見られています。

このマンションの住所は東京都港区赤坂2ー17ー54で、実はこのマンションが建っている17番地の一帯は、政治家の小沢一郎の資金管理団体、「陸山会」の土地だと言われています。赤坂は、永田町にある国会議事堂や、各国の大使館、そして霞が関などが近いのですが、そのせいか何故か報道ではいつの間にか事件は渋谷で起きたことにされてしまうのです。

他にも噂レベルですが、2ちゃんねるの中で数人が、事件から数年経った時のフジテレビの番組で、女子アナが「そんな事件ありました?」と無かったかのように振舞っていたという話もしています。やはり無かったことにしたい事件なのでしょうか?疑惑が深まるばかりです。

2003年7月少女1人が渋谷で勧誘され金銭を受け取る

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吉里弘太朗は、事件を起こす前に監禁したうちの1人と2003年(平成15年)7月上旬に、渋谷で声を掛けています。勧誘されたと言われているので、チラシを直接渡したのでしょうか?

しかし、この日は女児は何もしていないようですが、吉里は「会ってくれたお礼」としてお金を渡し、携帯番号を交換したようです。この時、女児がいくら貰ったのかは不明です。

この女児とは、それ以降連絡を取り合っていたようですが、事件の数日前に当たる7月11日(金)になって、吉里は何故か自分が所有していた2台のフェラーリを売却しました。そして、この日に別の人物が赤坂のマンションを借りたと言われており、翌日12日(土)に吉里は、ポリタンクと鉄アレイを買っています。この2つは、監禁児に少女に重しとして使用していたことから、着々と監禁の準備をしていたと言えるでしょう。

後日犯行現場となるマンションの掃除を少女4人に依頼

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2003年(平成15年)7月13日(日)、吉里はついに行動を開始しました。すでに渋谷で会っていた1人の女児に、吉里は部屋掃除のアルバイトを頼みます。この時吉里は、マンションの部屋の掃除を、1時間程掃除したら「1万円」の報酬を約束していたのです。

当時の最低時給は東京で708円、地方の1番低い所では605円だったとこと考えると、小学6年生の女児にとってはとても高額なお小遣いです。更に吉里はこの時、友達を連れてくるなら1人に付き、「3万円」追加の約束もしていました。

大人になると高額になるほど胡散臭さと怖さを感じるものですが、少女達はまんまとこの罠にハマり、友達を連れ4人でマンションに向かってしまったのです。

少女4人がマンションの掃除を始めると吉里の態度が豹変

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吉里は待ち合わせ先の渋谷にタクシーを2台用意して、一緒にマンションに向かいました。部屋に入ってしばらくすると吉里は態度が豹変し、スタンガンで少女達を脅したのです。

少女達は最初約束通りに、部屋の掃除を始めていたので、吉里に対してすっかり油断をしていたのでしょう。突如スタンガンを向けられ、吉里は「ここに来たのはどういう意味か分かるな?」と脅しながら、少女達に手錠と目隠しをし始めます。

それにしても吉里は1人、少女達はいくら小学6年の女児だとしても、4人もいる中でどのように拘束をしたのでしょうか。その疑問は、のちに詳しく紹介します。

少女4人は監禁される

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結局少女4人は、ポリタンクや鉄アレイなどの重しを付けられ、2LDKの部屋に分けられて監禁されてしまいました。のちに少女達が証言したところによると、2部屋ある洋間に各1人ずつ、残りの2人は脱衣場に入れられます。

ここでの疑問点として、少女達がされた目隠しは、単なるアイマスクでした。簡単に取れそうな気もしますが、それより少女達は吉里の顔をしっかりと把握しており、今更隠す必要性はあったのでしょうか?家にもタクシーで来た上に、始めは目隠しもしていません。

吉里の顔や、マンションへの道のり、部屋の内部など今更隠すものは何もないと考えるのが普通です。もしかすると、まだ何か見られたくないものがあった可能性もあります。

脱走を試みるも失敗

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子供とは言っても、少女達は4人。吉里が他の子を拘束している最中、2人の少女は逃げ出そうとしています。しかし、スタンガンで脅され、その時少し怪我をしてしまったのです。

結局少女達は逃げ出すことに失敗し、監禁されてしまいました。夜遅くになっても帰らない娘達を心配して、親達はその日の深夜に捜索願を出しています。ちなみに、この少女達は一体どこに住んでいたのかは不明です。

しかし、渋谷区内の子供達であればまだ理解出来るとしても、多少離れた地域から渋谷まで頻繁に進出していた子だったとしたら、そのことについて親も公認だったのでしょうか?そこに行く交通費や、移動時間など、普通の小学6年生であれば限界があると考えられます。娘達の行動に疑念を抱くことも無く、放任していたのであれば親の責任はとても大きいと言えるでしょう。

2003年7月15日少女行方不明を報道

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捜索願いを受け、警察は捜査を開始するのですが、行方不明事件として発表したのは少女達が帰らなくなってから2日目の15日(火)です。マスコミが少女達が行方不明になったと報道したことで、世間もこの事件を知ることになりました。

その翌日の16日(水)午前には、吉里弘太朗の逮捕状を請求します。しかし、誘拐犯などの容疑ではなく、2002年(平成14年)3月に吉里が逮捕され、執行猶予中だった「中学2年生の少女売春の容疑」で逮捕状が請求されたのです。

警察は何故、今回の事件の容疑者を、吉里弘太朗と決めたのでしょう。この辺りの捜査情報が不思議なことにありません。本当か否かは不明ですが、捜査を開始した際に警察上層部は、少女達のプライバシー保護の為に、近所での聞き込み調査をするなという指令が出ていたと言われています。逮捕状を出すのに、聞き込み調査もせず、警察は一体どうして吉里の逮捕を決めたのかということも疑問に感じるのです。

2003年7月16日吉里弘太朗はリビングで練炭自殺により死亡

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逮捕状が出された同日、2003年(平成15年)7月16日(水)の午前9時頃、吉里弘太朗はなんと突然自殺をしてしまいます。少女達が監禁されていた部屋とは反対側の奥にある、リビングでビニール袋で覆った中に椅子を置き、その下に練炭を焚いて自殺していました。

吉里はそのビニールの中で床に倒れて死んでいたのです。少女達はこの時、何も知らずに監禁された状態のままでしたが、異変に何も気が付かなかったのでしょうか?

2003年7月17日1人の少女が手錠を外し脱出

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吉里が自殺した翌日、2003年(平成15年)7月17日(木)になって、1人の少女が物音が全く聞こえなくなったことに気が付きました。そこで彼女は手錠を外して、脱出をすることに成功し、近所の花屋に飛び込んで助けを求めることが出来たのです。

ここでもまた、疑問点があります。少女達が監禁されていた場所からは玄関が近く、吉里が自殺した場所はリビングの奥の方なので、恐らく見えてはいません。

しかし、手錠はどうやって外したのでしょう。鍵付きであれば、当然吉里が鍵を持っていたはずです。もし、鍵など使わずに自力で外せたのであれば、彼女は監禁中すでに手錠を外せていた可能性もあります。

警察官が駆け付け他少女3人を無事に保護

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少女が花屋に助けを求めたことで、居場所なども発覚。警察がマンションの部屋に駆けつけると、少女達は無事でしたが、犯人であり逮捕状も取っていた吉里はすでに死んでいることが分かりました。

死亡推定時刻から、吉里はすでに数十時間も経っており、少女達は無事に保護されましたが、動機や目的がハッキリしないまま事件はひとまず解決してしまったのです。

しかし、犯人自殺の発表と、自殺した状況が不自然だったことで、マスコミはこの事件の追及を始めました。

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