目次
- 日本中を震撼させた「池田小事件」
- 池田小事件の概要
- 2001年6月8日10時過ぎ事件発生
- 附属池田小学校の校舎に出刃包丁を持った男が乱入
- 助けを求める児童により発覚
- 児童を8名刺殺・重軽傷者17名
- 犯人は校長・教諭に取り押さえられ現行犯逮捕される
- 宇多田ヒカルが被害者に向けて捧げた楽曲
- 「FINAL DISTANCE」
- 犠牲者となった1人の少女が宇多田ヒカルのファンだった
- 池田小事件の被害者・被害者遺族たちの現在
- 現在も止まったままの時間
- PTSDに苦しんでいる
- サバイバーズギルトとの葛藤
- 被害者・被害者家族達は前を向いて進んでいる
- 池田小事件の真相
- 犯人は最後の1人を刺した後「あーしんど」と呟いていた
- 馬乗りで刺したと思われる傷もあった
- 犯人・宅間守について
- 猫などの小動物を殺害していた
- 自衛隊に強い関心を持っていた
- 好意を抱いていた女子の弁当に精液をかけた
- 学歴コンプレックスだった
- 精神障害者年金を受給していた
- 犯人・宅間守の生い立ち
- 1963年11月23日に生まれる
- 幼少時代から素行が悪かった
- 家庭環境について
- 小学校時代
- 中学校時代
- 高校時代
- 1981年航空自衛隊に入隊するも除隊
- 数十社の転職を繰り消していた
- 1993年非常勤の地方公務員になる
- 1999年精神安定剤を混入させ分限免職
- 犯人・宅間守の逮捕歴
- 強姦事件・未遂事件を起こす
- 精神安定剤を混入
- ライトが眩しいと言いがかりをつけ車を破壊
- 実の兄の愛車を破壊
- 妻への暴力
- 高速道路の逆走
- 犯人・宅間守の家族について
- 父親
- 母親
- 兄
- 池田小事件のその後
- 学校の安全対策が強化された
- 宅間守は獄中結婚をしていた
- 池田小事件で逃げた教師と呼ばれている「岩崎真季」
- 当時28歳初めて担任をもつ女性教師だった
- 10時10分、南組の教室で凶行が始まる
- 10時15分、宅間守は西組の教室へ侵入
- 10時18分、岩崎真季が警察へ通報
- 警察への通報までにかかった時間は7分
- 児童を残して教室を出ていた
- 世間から「怖くて逃げたのではないか」と非難される
- 事件後に心境を告白した岩崎真季
- 「悔やみきれない」
- 「教室に戻ると女児が倒れていた」
- 「抵抗すればよかった」
- 「教師ってなんだろう」
- 池田小事件をめぐる裁判・判決
- 精神鑑定の結果
- 死刑確定
- 宅間守は早期執行を希望していた
- 法定での宅間守の暴言
- 「殺したガキ共はワシの自殺の為の踏み台の為に生きていた」
- 「死刑になるだけなら3人で十分だった、残りの5人はおまけ」
- 「反省や申し訳ない気持ちは無い」
- 「なんで幼稚園にしなかったのか、なんでダンプにしなかったのか、後悔」
- 「あの世でもお前らの子供を追い掛け回してしばき倒してやる」
- 「ワシが8人死刑にするのに10分、ワシ1人の死刑に2年かかって随分丁寧だな」
- 宅間守が執筆した獄中手記
- 「恨みから早くおさらばしたい気持ちで一杯」
- 「宝くじ3億当たっていたら今回のブスブス事件は起こしていない」
- 「死ぬことは全く怖くない」
- 「遺族は国から7500万もらったホクホクですな」
- 「人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。」
- 池田小事件を風化させてはいけない
息をハアハアさせながら血まみれで黄色い頭の182cmの宅間守が『岩崎真季』教員が担当していた2年西組に侵入してきた時、犯人と向き合っていたのは『岩崎真季』教員だけで、児童は全員、犯人に背中を向けている状態でした。
次々に刃渡り15cmの包丁で刺されていく児童を見ていたのも『岩崎真季』教員だったはずです。それでもとにかく教室から離れて、110番をと事務室に向かったことで、教室には児童だけ取り残された無法状態になってしまったのです。
次々に刃渡り15cmの包丁で刺されていく児童を見ていたのも『岩崎真季』教員だったはずです。それでもとにかく教室から離れて、110番をと事務室に向かったことで、教室には児童だけ取り残された無法状態になってしまったのです。
「抵抗すればよかった」
via pixabay.com
宅間守は、とにかく「自分より弱くて力がないのに、楽に裕福に生きている」と、小さい弱々しい子どもを選んで刺していきました。
そのため、たとえ女性でも大人の教員が出ていってしまった教室は、宅間守のやりたい放題の場になってしまったのです。しかし、事件が起きている時に犯人がどのような理由を持って包丁を振り回しているのかはわからなかったでしょう。
とっさの判断で「子ども達を守る」ではなく「とにかく離れたい」を選んでしまったことで、人生がガラッと変わってしまいました。
そのため、たとえ女性でも大人の教員が出ていってしまった教室は、宅間守のやりたい放題の場になってしまったのです。しかし、事件が起きている時に犯人がどのような理由を持って包丁を振り回しているのかはわからなかったでしょう。
とっさの判断で「子ども達を守る」ではなく「とにかく離れたい」を選んでしまったことで、人生がガラッと変わってしまいました。
「教師ってなんだろう」
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教師は『聖職』と扱われ、尊敬を受ける立場の仕事でした。しかし、必ずしも「教師になりたい!」「教師になる資格がある人間性を持つ人」が教師になるわけではないのです。
普通の企業では「会社がなくなるかもわからない」「失職してしまうかもしれない」という不安と向き合いながら日々戦っていかなければなりませんが、教師の資格を持っていれば「一生失業することはない」「長い休日を確保できる」と、自分の人生の安全を確保するために教師になる人が多くなるようです。
普通の企業では「会社がなくなるかもわからない」「失職してしまうかもしれない」という不安と向き合いながら日々戦っていかなければなりませんが、教師の資格を持っていれば「一生失業することはない」「長い休日を確保できる」と、自分の人生の安全を確保するために教師になる人が多くなるようです。
池田小事件をめぐる裁判・判決
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池田小事件をめぐる裁判は、自分の置かれたかわいそうな人生を人のせいだけにして恨み、自殺願望があったほど絶望し死にたがっていた1人の頭のおかしな犯人の男による「未来の日本の宝物」になった児童たちが犠牲になった裁判でした。
犯人の宅間守は、37年間の人生の中で、問題を起こしては逮捕され、精神病院へ行き『精神病』の診断をもらって刑罰を免れるという事を繰り返すことを生業のようにして生きていました。
しかし、池田小事件は「こんな人生におさらばしよう」「恵まれていて憎い子ども達を巻き添えに早く死にたい」として起こした事件だったのです。
犯人の宅間守は、37年間の人生の中で、問題を起こしては逮捕され、精神病院へ行き『精神病』の診断をもらって刑罰を免れるという事を繰り返すことを生業のようにして生きていました。
しかし、池田小事件は「こんな人生におさらばしよう」「恵まれていて憎い子ども達を巻き添えに早く死にたい」として起こした事件だったのです。
精神鑑定の結果
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逮捕当初、宅間守はいつものように精神障害者を装った言動を取っていましたが、起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「精神分裂病ではなく、情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害」とされ、責任能力を認める結果が出されました。
宅間は逮捕直後に「薬を10回分飲んだ」と供述して医師の診察を受けていましたが、通院先の病院から宅間が飲んだ薬を調べると、抗精神病薬『セロクエル』・抗うつ薬『パキシル』・睡眠剤『エバミール』の三種類と判明し、10回分服用しても眠くなるだけとわかったのです。
逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定しており、精神安定剤の成分が検出されなかったことを捜査員が宅間へ突きつけると「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めました。
宅間は逮捕直後に「薬を10回分飲んだ」と供述して医師の診察を受けていましたが、通院先の病院から宅間が飲んだ薬を調べると、抗精神病薬『セロクエル』・抗うつ薬『パキシル』・睡眠剤『エバミール』の三種類と判明し、10回分服用しても眠くなるだけとわかったのです。
逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定しており、精神安定剤の成分が検出されなかったことを捜査員が宅間へ突きつけると「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めました。
死刑確定
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2003年8月28日、大阪地方裁判所で死刑判決が言い渡されました。通常、死刑判決を言い渡す場合、主文を最後に述べますが、今回は主文が先に言い渡されました。
開廷時に騒ぎ退廷命令を受けていた宅間守は、裁判長による死刑判決を聞くことはありませんでした。また、大きく報道された事件で傍聴希望者が多かったため、特別措置として法廷にテレビカメラが設置され、別室のテレビモニターで傍聴もされました。
公判中に、遺族や被害者らの気持ちを逆なでするようにあくびや貧乏揺すりをし、遺族や裁判長らを睨みつけたりしていたため、傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」などの怒号が飛び交いました。
開廷時に騒ぎ退廷命令を受けていた宅間守は、裁判長による死刑判決を聞くことはありませんでした。また、大きく報道された事件で傍聴希望者が多かったため、特別措置として法廷にテレビカメラが設置され、別室のテレビモニターで傍聴もされました。
公判中に、遺族や被害者らの気持ちを逆なでするようにあくびや貧乏揺すりをし、遺族や裁判長らを睨みつけたりしていたため、傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」などの怒号が飛び交いました。
宅間守は早期執行を希望していた
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死刑確定後、9月10日に宅間守の弁護人が控訴しましたが、9月26日に宅間自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させ『刑事訴訟法』第475条第2項で規定された「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を訴えました。
宅間守は、死刑が6カ月以内に執行されないと「精神的苦痛」を理由とする国家賠償請求訴訟と、特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしており、担当弁護士に「ケジメをつけるためにご協力お願いします」という年賀状を送るなど一刻も早い処刑を望んでいました。
宅間守は、死刑が6カ月以内に執行されないと「精神的苦痛」を理由とする国家賠償請求訴訟と、特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしており、担当弁護士に「ケジメをつけるためにご協力お願いします」という年賀状を送るなど一刻も早い処刑を望んでいました。
法定での宅間守の暴言
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法定での宅間守の暴言は「宅間暴言集」とまとめられているほどです。もし、自分が遺族や被害者なら?怒りで震えるほど気持ちを逆なでするためだけに放たれた言葉の暴力と感じるものです。
宅間守は『暴力』により支配されてきたため、自分に使われてきた『暴力』を応用して、さらに酷い『暴力』に変えて使える、暴力使いの達人でもありました。
そのため、放たれた言葉は「本心」ではなく、相手をさらに傷つけようという『暴力』として使われた言葉だと理解することができます。
宅間守は『暴力』により支配されてきたため、自分に使われてきた『暴力』を応用して、さらに酷い『暴力』に変えて使える、暴力使いの達人でもありました。
そのため、放たれた言葉は「本心」ではなく、相手をさらに傷つけようという『暴力』として使われた言葉だと理解することができます。
「殺したガキ共はワシの自殺の為の踏み台の為に生きていた」
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もはや意味不明な言葉の暴力しか使わない、頭のおかしな男の言葉の意味を知る『価値』もないのですが「殺したガキ共はワシの自殺の為の踏み台の為に生きていた」と自分に言い聞かせることで、優位な立場になり得なかった自分が優位な立場になれたと感じられて救われるのでしょう。
強烈なジェラシーしか感じなかった「立場の違い」を、自分の力で覆す努力もせずに「なぜこんな家族に生まれたのか」「なぜこのような自分にしたのか」恨んでねたむだけの人生でした。
強烈なジェラシーしか感じなかった「立場の違い」を、自分の力で覆す努力もせずに「なぜこんな家族に生まれたのか」「なぜこのような自分にしたのか」恨んでねたむだけの人生でした。
「死刑になるだけなら3人で十分だった、残りの5人はおまけ」
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被害者や遺族の気持ちを逆なでにして嬉しがる宅間守は「相手が悲しむほど嬉しい」と感じる人間です。37年もそうやって生きてきた人間の言うことをまともに聞く『価値』などありません。
生きている『価値』がこれっぽっちもない、もはや死ぬだけの人間から発せられる言葉の暴力など、ただの「独り言」です。なるべく傷つけたいだけで意味不明に「死刑になるだけなら3人で十分だった、残りの5人はおまけ」暴力なると思った言葉を発しただけです。
生きている『価値』がこれっぽっちもない、もはや死ぬだけの人間から発せられる言葉の暴力など、ただの「独り言」です。なるべく傷つけたいだけで意味不明に「死刑になるだけなら3人で十分だった、残りの5人はおまけ」暴力なると思った言葉を発しただけです。
「反省や申し訳ない気持ちは無い」
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