2019年10月2日 更新

池田小事件とは?宇多田ヒカルが被害者に向けて捧げた楽曲がある?

将来を有望されていた小学生やその教師などが「嫌がることをすることが快感で生きがい」という頭のおかしな男に刺し殺されるという事件がありました。被害者たちは宇多田ヒカルさんのファンだったことから、宇多田ヒカルさんは偲ぶ歌を作りました。犯人のなぜ?に迫ります。

目次

池田小事件では、数名の男性教師が命をかけて犯人と渡り合い、警察が到着して犯人を捕まえる前に、刺されたり切られたり血だらけになりながら協力し合って犯人を捕まえ、犠牲者が増えることを防ぎました。

しかし、この事件が発生した時、8人の児童が殺傷された2年生西組の担任は『岩崎真季』という20代の女性でした。平和な学校にある日突然、182cm75kgの髪が黄色で血まみれで息の荒い男が、血に染まった包丁を持って目の前に現れたら?

保護者や関係者から非難されましたが、事件が起こった時子どもたちを置いて逃げたと非難されました。

当時28歳初めて担任をもつ女性教師だった

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池田小事件発生時の2001年、1年間の研修などを経て初めて担任を持った女性教師は、当時28歳でした。まさしく教師人生が始まったばかりの新米教師は、やる気に満ちていたでしょう。

池田小は、国立の素晴らしい学校でしたから、生徒も未来に明るい希望や目標をもつ努力家が多かったでしょうし、毎日充実したフレッシュな日々を送っていました。

しかし、この教師は「若くて未熟な、か弱い女性教師」だったようです。とっさの判断では、その人本来の姿が出てきてしまうのです。

10時10分、南組の教室で凶行が始まる

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犯人は、10時10分過ぎ頃、2時間目の授業が終わって和やかな雰囲気になっていた、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、家から持ってきていた刃渡り15cmの出刃包丁で5名の児童を突き刺し殺しました。

叫び声を上げて逃げる児童たちが、花壇で水やりをしていた担任に助けを求めに向いました。次に、犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て、東に隣接する2年西組の教室に向かいました。

10時15分、宅間守は西組の教室へ侵入

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10時15分、宅間守はテラス側出入口から2年西組の教室に侵入しました。児童は全員前を向いて座っており、このクラスの担任『岩崎真季』教員は犯人の侵入方向を向いて教卓の席に着いていました。
 
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてましたが、とっさのことで訳がわからなかった担任『岩崎真季』教員は反応できませんでした。犯人は侵入すると同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめました。

今何が起こっているのか?ようやく気がついた担任『岩崎真季』教員は悲鳴をあげて、自分が外に飛び出てしまいました。

10時18分、岩崎真季が警察へ通報

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校内放送を用いて誰かに知らせようとしたそうですが、襲われることを怖れて利用できませんでした。パニックになり自分がどうすべきかもわからなくなっていた『岩崎真季』教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見てますますパニックになっていました。

犯人に襲われている児童たちに避難誘導をせず逃げて「とにかく警察へ通報しよう」と、廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走り、10時18分に110番に通報しました。

警察への通報までにかかった時間は7分

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南組の教室で最初の凶行が始まったのが10時10分。担当『岩崎真季』教員の2年西組に犯人が侵入し凶行し始めたのが10時15分。『岩崎真季』教員が事務室から110番に通報したのが10時18分。

110番で警察に事件の詳細を聞かれ、警察が救急車を要請したのは通報されてから5分後でした。110番対応するのにに約8分の時間がかかりました。

ようするに、最初の凶行が始まってから13分後の10時23分に警察が救急車を要請し、15分後の10時26分に110番の電話を終えたわけです。

児童を残して教室を出ていた

School Draw Drawing - Free photo on Pixabay (671388)

『岩崎真季』教員が根っからの教員気質なら、児童を残して教室を出ることもなかったでしょうが、普通のか弱い女性のように怖さが先に立ってしまい生徒と同じ心境になってしまったのでしょう。

事務室に向かう途中、廊下で倒れて苦しんでいる児童を見ていましたが「とにかく110番を!」と思ったそうです。この2年南組児童は他の教員に保護されましたが、約6分間放置されており、懸命の蘇生措置も虚しくなくなってしまったそうです。

世間から「怖くて逃げたのではないか」と非難される

Hand Faust Violent - Free photo on Pixabay (671389)

もし、犯人に刺されている児童たちが自分の子供なら?目の前で刺されているのを見ながら「とにかく110番しなくては」とは思わないでしょう。他の男性教員たちのように、とっさに命をかけてタックルしてくらいついてでも犯人を止めたでしょう。

20代の新人の女性教師に、まだその覚悟はなかったのです。世間から「怖くて逃げたのではないか」と非難されるのは仕方ありません。どんなに素晴らしいことを言っていても、とっさの判断では、その人本来の姿が出てきてしまうのですから。

事件後に心境を告白した岩崎真季

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1年生の男子児童1名と、2年生の女子児童7名が亡くなり、男子児童5名と女子児童8名と教員2名が負傷した事件では「もしあの時」と悔やまれないはずがありません。

また「逃げた」女性教師が新人で1人しかいなかったことで、集中して非難されました。しかし「もし自分がこの教員の立場だったら?」と想像すると、この女性教員がとっさにとってしまった行動を理解できなくはないでしょう。

学校の教員は『聖職』ですが、この学校の教員たちが素晴らしかっただけで、ほとんどの教員は「就職の滑り止め」として教員免許を取得していると言われています。

「悔やみきれない」

Sad Depressed Depression - Free photo on Pixabay (671393)

人生の中のたった10分の出来事で、ここまで世間にさらされて人生が変わってしまった人も珍しいでしょう。被害者や遺族たちが「1日も忘れることなどできなかった」と言っていますが、岩崎真季さんにとっても1日も忘れることなどできずに、自分を責めたでしょう。

事件に慣れている人だったり、しっかり『聖職』という意味を理解できている教員だったり、根っからの「教員気質」で「教師になりたくてなった」という人なら、行動は違ったものであったはずなのですから。

「教室に戻ると女児が倒れていた」

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