2019年10月22日 更新

ミイラ船と呼ばれた良栄丸の遭難事故の真相!乗組員たちの10ヶ月

かつて遭難事故に合った漁船・良栄丸は、ミイラ船と呼ばれ、数々の怖い噂が立てられました。おどろおどろしい内容の航海日誌が紹介され、日本やアメリカに戦慄を与えたこの事故ですが、デマも多く含まれているようです。この記事では、この事故の真相に迫っていきます。

目次

良栄丸の航海日誌には、良栄丸側から他船への救難信号を出したがコンタクトを取れなかったとありますが、このことと矛盾するような証言もあります。

アメリカの貨物船ウエスト・アイソン号のリチャード・ヒーリィ船長は、「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で漂っている良栄丸を発見した。救助信号を送って近づいていったが甲板などにいた乗組員らはこっちを見ているだけで誰も答えることがなかったので、馬鹿らしくなって引き上げた」と証言しています。

しかし、奇妙なことに良栄丸の航海日誌には、この件のことは一切記されていません。

最後の航海日誌が奇妙

Journal Write Blank - Free photo on Pixabay (710918)

良栄丸に関しては、あえておどろおどろしい内容で書かれた航海日誌が紹介されており、これは捏造されたものであるというのが一般的な見解です。

しかし、実際に書かれていた航海日誌にしても、その最後の内容はどこか不自然なものになっているというのも事実で、その内容は、「NNWの風強く浪高し、帆巻き上げたまま流船す。SSWに船はどんどん走っている。船長の小言に毎日泣いている。病気」というものでした。

おそらく、最後まで生き残った松本源之助によって書かれたものと思われます。すでに彼も栄養失調でまともな文章が書けない状態にあったと思われますが、どこか不自然な内容になっています。

発見時の船内に現金や書類が無かった

Dollar Currency Money - Free photo on Pixabay (710912)

乗組員が死亡して漂っていた良栄丸は、やがてアメリカの貨物船によって発見されました。しかし、奇妙なことに発見当時には既に船内から現金や書類が無くなっていたといいます。

仮にこの貨物船より前に、良栄丸を発見した船があったとして、その船に乗っていた人物が現金を奪っていくということは考えられますが、書類まで奪っていくというのは強盗目的としては辻褄が合いません。

他に考えられるのは、良栄丸の乗組員たちが自ら処分したという可能性ですが、そのようなことをする動機も不可解です。

残り3名の遺体

Skeletons Funny Hear No Evil Speak - Free photo on Pixabay (710818)

出港した当初、良栄丸に乗っていた乗組員の人数は12名でしたが、発見された時に船内にあった遺体の数はミイラ化していた三鬼船長、松本源之助らを含めて9名分しかありませんでした。

残り3名の遺体について、デマとして拡散した航海日誌の中では「水葬にした」との記述がありますが、実際の航海日誌においてはそのような記述はありません。

こまめに日誌を書き続けていた乗組員らが、仲間の遺体を水葬にしたことを書かないというのは考えにくいと言えますが、真相は闇の中です。

良栄丸に関する噂

Hand Fear Despair - Free photo on Pixabay (710829)

良栄丸に関しては、先述のように不可解な点が多いことから、謎が謎を呼び、様々な噂が囁かれるようになりました。そしてこれらの噂こそが、この良栄丸遭難事故を不気味な怪異譚へと変貌させることのきっかけとなったのです。

それらはまるでホラー映画のストーリーのような恐ろしい内容で、ミイラ船としての良栄丸を世に知らしめました。ここでは、世の人々を震え上がらせた良栄丸遭難事故に関するいくつかの噂を紹介していきます。

乗組員が狂ってしまった

Beauty Charm Eroticism - Free photo on Pixabay (710833)

噂にあがる良栄丸の航海日誌には、3月15日付けの「それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。代わって松本源之助が筆を執る」という部分までは乗組員が飢えや病気で弱って死んでいく様が書かれています。

ところが、3月27日の日誌によると、寺田初造と横田良之助の2人が狂いながら死んでいったと、一転尋常ならざる状況に変わっています。日誌によると、「2人は『おーい富士山だ。アメリカに着きやがった。ああ、虹が見える』などと意味不明なことを言い始め、左舷の板にがりがりと歯を喰いこませて悶死した」とのことです。

切り刻まれた遺体

Psycho Shower Stabbing - Free vector graphic on Pixabay (710831)

さらに狂気は他の乗組員らにも伝染し、3月29日にはメバチを釣り上げた吉田藤吉を見て、三谷寅吉は突然逆上し、彼の頭を斧でめった打ちにしたそうです。その地獄のような光景を前にしても、他の船員らは立ち上がる気力も無く、その様子をただ茫然と見ていたといいます。

さらに4月14日には「沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し、死骸を切り刻む姿は地獄か」と、沢山勘十郎という人物が、死亡した乗組員らの遺体を切り刻むさまが書かれています。

食人行為が行われた

Still Life Wine Bottle - Free image on Pixabay (710835)

沢山勘十郎はこの際、切り刻んだ遺体を食べていたというような記述もあり、いよいよ飢えた船員らが食人行為にまで及んだ様が伺えます。

4月19日の日誌では、富山和男と沢山勘十郎の2人が料理室で人肉を巡って殺し合いをし、その結果2人とも血だるまになって死亡した、とあります。

加えて、良栄丸が発見された後に調査に入ったアメリカ人の医師によると、最後に生き残った三鬼船長と松本源之助らも、食人行為をしていた可能性があったとの証言をしたそうです。

良栄丸に関する怖い噂の真相

Skull Cemetery Genoa - Free photo on Pixabay (710816)

このように、良栄丸に関しては常識では考えにくいような恐ろしい噂が存在していますが、果たしてこれらの噂は本当にあったことなのでしょうか?

確かに、飢餓という極限状態に置かれた人間が狂気に走り、人肉を食したというような事件は、世界史上にもたびたび見受けられますが、良栄丸においてもそのようなことが起こっていたのでしょうか?

ここでは、良栄丸における数々の恐ろしい噂の真相について書いていきたいと思います。

ネット上にある情報の多くはデマ

Fake News Media - Free image on Pixabay (710839)

これらの良栄丸に関する恐ろしい噂話は、近年になってネットが普及したことにより広まった事実無根の話です。この良栄丸遭難事故の話に限ったことではありませんが、ネット上では実際にあった事件や事故の内容が誇張されて描かれることがたびたびあります。

良栄丸遭難事故に関しても、真偽不明の創作のような情報が、いつしか真実かのように語られるようになっていき、「ミイラ船」や「食人行為」といった、オカルト色を纏うようになりました。

デマの航海日誌が拡散

Writing Write Fountain Pen - Free photo on Pixabay (710917)

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