2019年10月22日 更新

ミイラ船と呼ばれた良栄丸の遭難事故の真相!乗組員たちの10ヶ月

かつて遭難事故に合った漁船・良栄丸は、ミイラ船と呼ばれ、数々の怖い噂が立てられました。おどろおどろしい内容の航海日誌が紹介され、日本やアメリカに戦慄を与えたこの事故ですが、デマも多く含まれているようです。この記事では、この事故の真相に迫っていきます。

目次

1960年1月12日、戦後の高度経済成長期の真っただ中で、日本中に活気が溢れていた頃のこと。高知県土佐清水市の漁船・第2良栄丸が、静岡県の沼津港を出港し、その後、1月21日の夜に遭難しました。

この第2良栄丸の乗組員は12名で、結果としてそのうちの3名が行方不明となり、残る9名は自力で小笠原諸島の無人島に泳ぎ着くことができました。9人は遭難から90時間後には、近くを通った巡視船「むろと」によって無事救助されています。

名前と人数の一致

Lighthouse Light Sea - Free photo on Pixabay (710933)

1926年に起きた良栄丸遭難事故で、出港時乗組員は12名だったにも関わらず、アメリカの貨物船に発見された時には遺体の数は9体しかありませんでした。つまり3名は行方不明となっています。

そして1960年の第2良栄丸事故では、同じ「良栄丸」という名前の船において遭難事故が起こり、当初の乗組員は12名。良栄丸と違い、9名は生存した状態で発見されましたが、やはり3名の行方不明者が出ています。

このように、船名、乗組員数、行方不明者数などが奇妙に一致しているとして、2つの事故の関連性を怪しむ意見が出るなど、当時この第2良栄丸遭難事故は世間を騒がせる出来事となりました。

恐怖のミイラ船良栄丸の遭難は悲しい事故だった

Sea Sailing Vessel Ocean - Free photo on Pixabay (710928)

事故発生当時から現在に至るまでの長きに渡って、良栄丸の遭難事故はオカルト的な脚色をされ続け、一つの娯楽的読み物としての扱いを受けてきました。

しかし、実際にはその多くの部分がデマであり、そのデマによって遺族の人々が苦しんできたという事実が背景にあることを忘れてはなりません。

この良栄丸遭難事故の事実は、遭難という危機的状況に合いながらも、力を合わせて、いつしか祖国に戻ることを願っていた乗組員たちの、悲しい事故だったといえるでしょう。

5 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪