2019年10月22日 更新

ミイラ船と呼ばれた良栄丸の遭難事故の真相!乗組員たちの10ヶ月

かつて遭難事故に合った漁船・良栄丸は、ミイラ船と呼ばれ、数々の怖い噂が立てられました。おどろおどろしい内容の航海日誌が紹介され、日本やアメリカに戦慄を与えたこの事故ですが、デマも多く含まれているようです。この記事では、この事故の真相に迫っていきます。

目次

先に書いたような「意味不明なことを言い、板に噛り付いて悶死した」「人肉を巡って殺し合いをした」といった航海日誌は後に創作されたものに過ぎず、実際の航海日誌には「鳥を捕まえて食べたが、栄養失調で船員が次々に倒れていった」「脚気に苦しみながらも必死に船を修理した」などというような内容が淡々と書かれています。

そこには乗組員らが狂った様子は全くなく、最後まで必死で生き延びようとする姿のみがありました。

デマが広まった原因

Alone America American - Free photo on Pixabay (710922)

ここまでに、良栄丸に関しての数々の噂はデマであったことを書きましたが、なぜ、このようなデマが世に広まり、あたかも事実であるかのように存在しているのでしょうか。

その背景には、いくつも生み出された噂話同士がお互いに補完し合い、それらの噂話同士で辻褄が合うような形を作りあってしまったことがあるように思われます。

ここでは、このような良栄丸遭難事故のデマが広まった、いくつかの原因について紹介していきます。

児童向けのミステリー事件紹介本

Narrative History Dream - Free image on Pixabay (710819)

このようなデマが拡散した原因の一つに、とある児童書の存在があります。『ミイラ漂流船・良栄丸の怪奇』という、いかにも読み手の恐怖を煽るかのようなタイトルのこの児童書には、「乗組員が狂った」「食人行為が行われた」というようなネット上で拡散している噂と同内容のものが書かれています。

しかし、この児童書を含むシリーズの作品は、あくまで児童向けの創作オカルトを題材としているようで、他の作品を例に挙げてみても信憑性が極めて低いことが分かります。

アメリカの報道

Old Newspaper Retro - Free photo on Pixabay (710820)

良栄丸において食人行為が行われていたという話の発端は、事件当時のアメリカの新聞による報道が原因とみられます。アメリカでは1800年代に起こった開拓民グループの遭難事件「ドナー隊事件」と良栄丸遭難事故が結び付けて考えられ、「遭難した船内で食人行為が行われた」という推測の記事が書かれました。

また、当時のアメリカでは日本人に対する差別的な考えがあり、良栄丸に積んであった大漁旗に関しても、野蛮人の象徴のような紹介がされていたといいます。

ひかりごけ事件との混同

Ink Red Splatter - Free vector graphic on Pixabay (710923)

さらに、良栄丸遭難事故については、1944年に起きた「ひかりごけ事件」と混同された部分があります。

この「ひかりごけ事件」は、真冬の知床付近で日本陸軍の徴用船が難破した事件で、食糧がない極限状態で船長が死亡した船員の遺体を食べて生き延びたというものです。この事件で食人行為をした船長は、釧路地裁において死体損壊の罪で裁かれています。

船の遭難と極限の飢餓状態という部分で、二つの事件が結び付けられ、デマが拡散した原因となりました。

詳しい報道が無かった

Camera Aperture Digital - Free photo on Pixabay (710838)

このようなデマが拡散した最も大きな原因となったのは、当時、この事故に関しての詳しい報道がされなかったことが挙げられます。

良栄丸に関しては、あくまで遭難事故であって、まだまだ設備や通信手段が整っていなかった当時としては、特別珍しいことでもなかったため、正確に繰り返し紹介されるようなことはなかったようです。

そのような不明瞭な状況から、いつしか多くの噂が流れ始め、恐怖の対象としての良栄丸を生み出しました。

多くのデマに苦しんだ遺族

Guy Man People - Free photo on Pixabay (710823)

ミイラ船として好奇の目に晒された良栄丸とその乗組員たちでしたが、当然のことながら、彼らにも帰りを待つ家族がいました。

そんな家族たちは、乗組員らの生還という望みが叶わなかったばかりか、「人喰い鬼」や「自分が生き残るために仲間を殺した鬼畜」というような、彼らに対する誹りによって苦しめられることとなります。

ここでは、良栄丸の乗組員たちに対するその後の報道、そして残された遺族のことについて紹介していきます。

日誌全文が新聞で公開

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1927年11月27日の朝日新聞にて、良栄丸に関する数々の噂が誤報であったことを知らせる記事が掲載されました。また、その記事では、良栄丸の航海日誌全文も掲載されており、船員同士が死亡する直前まで互いにいたわりあって誇り高く生きていた事実が紹介されました。

そこには食人の事実は全くなく、国内のみならず、アメリカでも誤解が解けることとなりました。しかし、これだけ昔に良栄丸の事実が分かっているにも関わらず、容易に情報が入手できる現代社会においても、未だにデマが流布しています。

日誌の内容を知った船長の妻の様子

Girl Sadness Loneliness - Free photo on Pixabay (710822)

良栄丸に関する誹謗中傷は、とりわけ三鬼船長やその家族に対して強く向けられました。

三鬼船長の家族はそれまで、「船長が乗組員を見殺しにして最後まで生き残った」「船員の肉を食った」といった非難に晒され、船長の妻つねは「どうして夫がもっと早くに死んでくれなかったのか」と嘆いていたそうです。

しかし、この新聞記事が伝えられ、そのような噂が虚偽のものだったことが分かると、家族で泣き崩れたといいます。

つねは、「今度一切の真相が分かる日誌を新聞に載せて頂いて、こんなにうれしいことはありません」と記者に感謝の言葉を述べ、ようやく家族に平穏が訪れました。

1960年の第2良栄丸遭難事故

Wave Water Sea - Free photo on Pixabay (710925)

良栄丸が発見され、乗組員たちへの誤解も解けて終わりを迎えたかに思えた良栄丸遭難事故でしたが、良栄丸の遭難から30年以上が経った頃、かつての悪夢を呼び起こすような事故が発生します。

かつての良栄丸と同じ名を冠する「第2良栄丸」の遭難事故は、まるで1926年の良栄丸遭難事故を演出するかのような奇妙な一致を見せます。

ここでは、良栄丸遭難事故の悪夢再来かと思われた、第2良栄丸遭難事故について紹介していきます。

第2良栄丸遭難事故概要

Sailing Ship Rushing Water River - Free photo on Pixabay (710935)

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