ミイラ船と呼ばれた良栄丸の遭難事故の真相!乗組員たちの10ヶ月

かつて遭難事故に合った漁船・良栄丸は、ミイラ船と呼ばれ、数々の怖い噂が立てられました。おどろおどろしい内容の航海日誌が紹介され、日本やアメリカに戦慄を与えたこの事故ですが、デマも多く含まれているようです。この記事では、この事故の真相に迫っていきます。

目次

良栄丸遭難事故と事故にまつわる怖い噂

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良栄丸遭難事故とは、大正から昭和にかけて起こった、日本の漁船「良栄丸」が遭難した事故です。良栄丸に関しては、発見された時の奇妙な状況から多くの憶測が生まれ、いつしか「ミイラ船良栄丸」という一つの怪談として語られるようになりました。

この良栄丸遭難事故では、乗組員が発狂した末に殺し合ったことや、食人行為があったことなども噂されていますが、果たしてその真相はいかなるものなのでしょうか?

「ミイラ船」と呼ばれ、恐れられた良栄丸遭難事故の謎に迫っていきます。

良栄丸遭難事故

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まずは噂の出どころとなった、この良栄丸遭難事故の概要について見ていきましょう。良栄丸の遭難事故は大正時代末期に起きた良栄丸遭難事故と、昭和35年に起きた第2良栄丸遭難事故という2つの事故が起こっています。

そもそもなぜ、同じ「良栄丸」の名を冠した船で事故が起こったのでしょうか?また、この2つの事故には何かしらの繋がりがあったのでしょうか?

大正と昭和という2つの異なる時代に起きた2つの遭難事故を紹介していきます。

1926年千葉県銚子沖での事故

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1926年の年末、銚子沖で漁をしていた良栄丸は荒天により東へと流されてしまいます。運悪く積んでいた機関も故障し、日本へと帰れなくなった良栄丸は遭難することとなってしまいました。

その後、日本へと帰ることは困難と考えた船長の判断により、良栄丸はアメリカへと向かうことになります。しかし、積んでいた食糧には限りがあり、次第に力尽きていった乗組員たちは1人、また1人と死んでいきました。

結局、アメリカの貨物船に良栄丸が発見された時には、すでに乗組員たちは全員死亡していましたが、この良栄丸遭難事故に関しては、不可解な点もあったことから、多くの噂が生まれることとなります。

1960年静岡県沼津港沖での事故

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良栄丸の遭難事故も忘れ去られていたであろう1960年1月12日、高知県土佐清水市船籍の漁船・第2良栄丸は静岡県沼津港を出港し、その後遭難しました。

乗組員12名のうち、9名は自力で小笠原諸島付近の無人島に泳ぎ着くことができ、その後救助されましたが、残る3名の乗組員は行方不明となっています。

船名や行方不明者数などが、1926年に起きた良栄丸遭難事故と奇妙に一致していることが、当時の日本を騒がせました。

1926年良栄丸遭難事故詳細

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1926年、日本がまだまだ発展途上であった大正時代に、第一の良栄丸遭難事故は発生しています。乗組員が忽然と姿を消したカナダのメアリー・セレスト号を引き合いに出し、和製メアリー・セレスト号とも呼ばれた良栄丸は、果たしてどのような経緯で遭難していったのでしょうか?

ここでは、日本のみならずアメリカをも震撼させたミイラ船良栄丸の怪談が生まれるきっかけとなった、1926年の良栄丸遭難事故について書いていきます。

良栄丸の船について

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良栄丸は1924年に建造された和歌山県船籍の42トン小型動力漁船で、当時としては最先端の動力であった無水式焼玉機関が積まれていました。当時の小型漁船には無線が付いていないことが多く、この良栄丸にも無線設備は無かったといいます。

また、最新式のエンジンを積んでいるとは言っても、当時のエンジン出力は現在のそれより遥かに弱いため、動力補助として1本のマストが付いていました。

船主は藤井三四郎という人物。船長である三鬼登喜造、機関長の細井伝次郎をはじめ、出港当時には12名の乗組員が乗っていたと記録されています。

12月12日航行の自由を失う

Beach Dry Crust - Free photo on Pixabay (710800)

12月5日、良栄丸は神奈川県の三崎漁港を出港し銚子沖100キロほどのところでマグロ漁を行っていましたが、12月7日には西寄の季節風が強まったことで海は荒れ始めます。

良栄丸は三崎漁港に戻ろうとしますが、12月12日には機関のクランクシャフトが折れてしまい航行の自由を失ってしまいます。

このように機関の故障により良栄丸は遭難してしまうのですが、機関の故障は全くの想定外というわけではなく、船の建造段階で不調が見られていたようです。制作した造船会社は良栄丸の遭難前後に倒産しています。

季節風で戻れず

Wave Atlantic Pacific - Free photo on Pixabay (710803)

季節風によって西に流されているうえ、動力である機関を失ってしまった良栄丸はその後も数日間流され続けます。当初吹き荒れていた季節風は15日には収まりましたが、良栄丸はその時既に銚子の東1600キロのあたりまで流されていました。

乗組員らは西に戻るべく、補助動力として装備してあったマストを上げるなどして操船しようとしましたが、そこに再び季節風が吹き始めたことで、良栄丸はさらに東に流されて行ってしまうこととなります。

漂流を決意

Ship Sea Sunset - Free photo on Pixabay (710813)

その後も良栄丸は帆での操船を試みましたが、季節風が吹き荒れ続け、西に戻ることはできませんでした。無線も積んでいないため連絡を取ることはできず、運悪く他の漁船などに出会うことも無かった良栄丸は、一切の救援を得ることができません。三鬼船長は悩んだ末、漂流することを決意します。

船長は船に積んでいた食糧や漁獲した魚などから4か月はどうにか食いつないでいけるだろうと考え、船員らにもこれを提案、同意を得ます。

アメリカへの漂着を目指す

Globe Map Country - Free photo on Pixabay (710814)

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