2019年10月14日 更新

座間市事件とは?事件の概要や犯人のその後についても

2007年(平成29年)10月、行方不明になっていたとある女性の捜索中に発覚したのが「座間市事件」です。逮捕された男の部屋からは、9人分の頭と大量の人骨が発見されたことで、世間に大きな衝撃を与えました。今回は、座間市事件の概要や事件後の犯人について紹介します。

目次

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2019年(令和元年)4月25日(木)になって、白石隆浩の第1回公判前整理手続きが行われていますが、裁判は未だ1度も開かれていません。

先程も少し触れましたが、検察は白石隆浩を「殺人罪」で起訴する為、念入りな調査をしていました。十分な証拠などを集める為、勾留期間を引き延ばせるよう「殺人容疑」や「死体損壊容疑」に「遺棄容疑」など、再逮捕を9人分取り続け、取り調べ期間を400日以上取りました。

その為、裁判が開かれていない現在も、白石隆浩はまだ容疑者であり正式な判決は下されていません。

行われた精神鑑定結果

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勾留期間を引き延ばす意味もあったのでしょうが、東京地方検察庁立川支部では、白石隆浩に刑事責任を問えるか否かも確認するべく、2018年(平成30年)4月3日(火)~9月3日(月)の5か月間に亘る鑑定留置申請をして、白石容疑者の精神鑑定を行いました。

その結果、白石には十分刑事責任能力が認められることが分かり、白石に対して9件分の「強制性交等殺人」や「強盗殺人」、そして「死体損壊、死体遺棄罪」なども合わせた罪状で、検察は勾留期限最後の日になってようやく一括起訴を行ったのです。

彼女が面会に訪れていた

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白石隆浩が起訴され、留置所から拘置所に移送された2018年(平成30年)9月11日以降、弁護士やマスコミなどの多くが白石の話を聴こうと接見に訪れていました。

その中で、白石隆浩の誕生日である10月9日(火)には、白石と以前付き合っていた元彼女が、ケーキを携えて面会に来ていたのです。

差し入れは許可されていない為、ケーキを渡すことは出来なかったようですが、部屋に入って行く前に彼女は、唇にグロスを塗り直していたと言われています。

被害者への謝罪の言葉はない

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白石隆浩は逮捕後から現在まで、1度たりとも被害者や遺族達に謝罪の言葉を発していません。記者達には金を請求し、支払いに応じない社には多くを語ることもしていないので、今も情報が錯乱しているのです。

その中で、先程触れた白石の元カノが面会に来ていたところを目撃していた「NEWSポストセブン」の記者は、金を払ったのか白石から様々な事を聞き出しています。

記者によると、白石は犯罪の方法や動機、そして「被害者達に対する反省の気持ちは無い」などは饒舌に語りましたが、唯一元カノのことだけは「大切な人」だと口を閉ざしてしまったようです。

犯人・白石隆浩の家族

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どんな鬼畜な犯罪者も、生まれた時はただの赤ん坊です。生まれつき、感情や欲望をコントロール出来ないという障害を抱えて生まれてしまった者以外は、育った環境や親の性格などが影響を及ぼし、後天的に悪になる可能性が大きいと言えるのです。

白石隆浩がどちらに当てはまるのか正確には決定出来ませんが、思春期以降の環境が彼に悪の芽を開かせた可能性が高いのかもしれません。このことを確認する為に、ここでは白石の家族について紹介します。

父親

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大事件が起きた時、いつもであればマスコミが犯人の家族などをハイエナのように嗅ぎまわり、情報が多く流出するものですが、白石隆浩の家族についてはほとんど情報がありません。

実家は白石が殺人を行う為に借りたシーバスハイムから、わずか3kmほどしか離れていない場所にあり、車で約10分徒歩で約40分くらいの距離にあります。しかし、事件発覚直後から、父親はこの実家から姿を消してしまいました。この父親は、自動車整備工場の下請けで働くサラリーマンでしたが、独立して部品の設計などの仕事を自宅でしていたという話もあります。

近所の評判ではにこやかに挨拶をしたり、息子の話をするような気さくな父親だったと言われています。息子とも仲が良かったのではないか?と言われていますが、仕事が忙しく白石が幼い頃からあまり家にいる時間が無かったという話や、白石が事件前実家に引きこもり、ゲームばかりしていたことを叱っていたという話もあって、外面の良い父だった可能性も窺えます。

母親

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白石は母親のことを「キレイで料理上手、完璧な人だった」と評しています。専業主婦だったらしく、白石が小学生の頃はPTA活動などにも参加していたようですが、近所からの評価は父親と違い「無愛想な人」と、あまり評判は良くないのです。

この母親は、妹が高校または大学入学時期になって、突如妹だけを連れて家を出て行ってしまいました。父親と離婚したという話もありますが、ただの別居だったという話もあって原因はよく分かっていません。

しかし、白石が荒れ始めたのは母親が出て行った時期頃からと言われており、もしかすると母親は妹のみを可愛がっていた可能性があります。

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妹はほとんど情報がありません。白石といくつ年が離れているのか、今現在何をしているのかなど不明な人物です。当初白石も、兄妹はいないという嘘の自供をしているなど、2人の関係性もいまいちハッキリしていません。

この兄妹がまだ幼少時代だった頃を知る近所の人の話によれば、白石は小さな妹の面倒を見つつ、一緒に遊んであげる優しいお兄ちゃんだったようです。

また、妹はとても勉強好きで頭が良かったという白石本人の供述や、実際有名私立大学を卒業したと言われていることもあって、妹の方が頭は良かったのでしょう。出来の良い方の子供を可愛がる親は、わりと世の中に多く存在しています。白石の母親もそのタイプの人間だったのかもしれません。

犯人・白石隆浩の生い立ち

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白石隆浩の両親の年齢や、いつ結婚したのかは不明です。しかし、2人が出逢い白石隆浩は、1990年(平成2年)10月9日(火)に白石家の長男として誕生しました。

時期的にバブル景気が崩壊した直後で、今も言われ続けている失われた20年という不景気の始まりに、白石隆浩は生まれたのです。

しかし、そのような状況の中でも、白石が2歳になった頃に父は狭いながらも2階建ての一軒家を建て、一家は神奈川県座間市小松原の住宅街に引っ越してきました。この頃は、まだ幸せな家族だったのでしょうか?ここでは、白石隆浩の生い立ちから彼の人物像を探っていきます。

幼少期

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父と母が行方をくらませている為、幼少期の白石を知るには近所の人達の証言しかありません。何歳から入園したのかは不明ですが、白石は小松原幼稚園に入園しサッカーをしていたと言われています。幼少期は大人しい印象や、良い子だったという印象を持つ近所の人達の声が多い為、悪ガキタイプでは無かったということでしょう。

変化が出てくるのは、やはり妹の誕生以降だった可能性が高いのかもしれません。親も未熟な大人ですから、平等に愛を注いでいるつもりでも、兄妹が出来た時から何かと比較したり、手が掛かる下の子を優先する為、上の子を放置してしまいがちです。

また、搾取子(さくしゅご)や愛玩子(あいがんし)と呼ばれるような、子によって差別する親もいることも珍しくないのです。のちの母親の行動を考えると、白石は「お兄ちゃん」故の我慢をさせられていたのかもしれません。

小学校時代

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