目次
福島女性教員宅便槽内怪死事件とは?
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福島女性教員宅便槽内怪死事件は、64年間という長い昭和が終わり、元号が平成に変わった1989年(平成元年)2月28日の火曜日に発覚しました。
福島県田村郡都路村(みやこじむら)に住む、女性教員の教員住宅の便槽から、一人の男が遺体で発見されたのです。遺体で発見された男は、同じ村内に住む菅野直之(当時26歳)だと判明。
この事件は、詳しく捜査されず、変態男が覗きの為に便槽に侵入して死亡と片付けられてしまいますが、男の人柄や不信な点が多いことから、遺族達が再捜査を依頼しました。しかし、再捜査は行われず、闇に葬られてしまったのです。
福島県田村郡都路村(みやこじむら)に住む、女性教員の教員住宅の便槽から、一人の男が遺体で発見されたのです。遺体で発見された男は、同じ村内に住む菅野直之(当時26歳)だと判明。
この事件は、詳しく捜査されず、変態男が覗きの為に便槽に侵入して死亡と片付けられてしまいますが、男の人柄や不信な点が多いことから、遺族達が再捜査を依頼しました。しかし、再捜査は行われず、闇に葬られてしまったのです。

日本史上最悪の大量殺人事件、津山事件を知っていますか?「津山30人殺し」という言葉の方が有名かもしれません。今回は、たった1人で集落内の村人を30人も殺した犯人、都井睦雄の生い立ちと、「昭和の鬼熊事件」と報じられていた、戦慄の津山事件について紹介します。
事件概要
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では、福島女性教員宅便槽内怪死事件とは一体どのような事件だったのでしょう。もう少し、事件の概要を詳しく見ていきましょう。
この事件、ネットで話題になっている割には、何故かウィキペディアからも消され(確認したところ2015年前後まではあった形跡があります)、未だに復帰していないことや、かつて検証しようとしていたブログなども消えていることからも、何となく闇の深さを感じる事件なのです。
不可思議なことを検証していく為にも、ここでは、現在語られている当時の事件概要を紹介していきます。
この事件、ネットで話題になっている割には、何故かウィキペディアからも消され(確認したところ2015年前後まではあった形跡があります)、未だに復帰していないことや、かつて検証しようとしていたブログなども消えていることからも、何となく闇の深さを感じる事件なのです。
不可思議なことを検証していく為にも、ここでは、現在語られている当時の事件概要を紹介していきます。
女性教員が遺体に気づく
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事件の発覚は、その家に住む女性教員でした。1989年2月28日火曜日、公式な記録によれば午後5時10分、学校から仕事を終えて帰宅した女性教員は、用を足そうとトイレに入ります。
女性教員のトイレは、所謂ぼっとん便所と呼ばれた、汲み取り式の和式便器でした。汚物を落とす穴を何気なく覗くと、足か靴のような見え、女性教員は慌てて教頭先生や他の男性教員を呼びました。
教員達が外の汲み取り口を確認したところ、蓋が開いていて、人の足のようなものが見えたのです。それを確認してから、同僚の教員が午後18時~18時半頃に警察に通報しました。
女性教員のトイレは、所謂ぼっとん便所と呼ばれた、汲み取り式の和式便器でした。汚物を落とす穴を何気なく覗くと、足か靴のような見え、女性教員は慌てて教頭先生や他の男性教員を呼びました。
教員達が外の汲み取り口を確認したところ、蓋が開いていて、人の足のようなものが見えたのです。それを確認してから、同僚の教員が午後18時~18時半頃に警察に通報しました。
警察が駆け付けた時不審な遺体
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通報を受けて、まず近くの駐在所から巡査が駆け付け、現場を確認しました。この時、バキュームカーが2台到着していたという証言が残されています。遺体を出す為に汚物を処理していたのでしょうか?それとも、何か証拠を隠滅しておく為なのでしょうか?今となっては分かりません。
駐在所員から駆け付けた巡査は、便槽の中に人がいることを確認して、三春警察署へ通報し、署員と村の消防団員たちが到着します。
やはり人がいることを確認した為、救助の為に何とか引っ張り出そうとしましたが、便器の入口も汲み取り口も狭くて出せません。男がいる便槽内も狭く、どうやっても出せそうもなかったのです。遺体は、汚物を溜める便槽の中で、便器側の方に頭を向け、汲み取り口の方に足が見えているという不自然な体勢でした。
駐在所員から駆け付けた巡査は、便槽の中に人がいることを確認して、三春警察署へ通報し、署員と村の消防団員たちが到着します。
やはり人がいることを確認した為、救助の為に何とか引っ張り出そうとしましたが、便器の入口も汲み取り口も狭くて出せません。男がいる便槽内も狭く、どうやっても出せそうもなかったのです。遺体は、汚物を溜める便槽の中で、便器側の方に頭を向け、汲み取り口の方に足が見えているという不自然な体勢でした。
便槽を破壊しての取り出し
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狭い便槽内にはまっている人を、どうやっても引っ張り出すことが出来なかった為、警察や消防団員達は重機で便槽を壊すことにしました。
汲み取り口の周りを重機で掘り起こし、最終的に便槽を破壊して、ようやく引っ張り出すことに成功したのです。本当かどうかは不明ですが、この壊された便槽は遺体の男の父が復元し、保存してあるとも言われています。
ちなみにこの時の現場は酷く、警察や消防団員達の足跡が多く残され、現場の証拠となる写真も撮っていませんでした。三春署から署員が駆け付けた時には、すでに遺体が便槽から出されていたとも言われており、果たして本当にその遺体が便槽の中にいたのかも、疑問が感じられます。
汲み取り口の周りを重機で掘り起こし、最終的に便槽を破壊して、ようやく引っ張り出すことに成功したのです。本当かどうかは不明ですが、この壊された便槽は遺体の男の父が復元し、保存してあるとも言われています。
ちなみにこの時の現場は酷く、警察や消防団員達の足跡が多く残され、現場の証拠となる写真も撮っていませんでした。三春署から署員が駆け付けた時には、すでに遺体が便槽から出されていたとも言われており、果たして本当にその遺体が便槽の中にいたのかも、疑問が感じられます。
遺体を2度も洗浄
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中にいた人をようやく出しましたが、すでに死亡していることが判明。死因を調べる為検死へと回されることとなるのですが、実はこの遺体、発見されてすぐ、そして検死される前と2度洗浄されています。
糞尿のある便槽にいたのですから、当然遺体は汚れているでしょうし、人の心理としては洗うでしょう。しかし、ある意味証拠までも流してしまったとも言えるかもしれません。
実は、この男性の遺体、そんなに汚れていなかったという話も残されています。便槽の中には、ほとんど汚物が無く、警察が駆け付ける前にバキュームカーが来ていたという情報もあり、果たして2度も洗浄する必要があったのかどうかは、今となっては知ることは出来ないのです。
糞尿のある便槽にいたのですから、当然遺体は汚れているでしょうし、人の心理としては洗うでしょう。しかし、ある意味証拠までも流してしまったとも言えるかもしれません。
実は、この男性の遺体、そんなに汚れていなかったという話も残されています。便槽の中には、ほとんど汚物が無く、警察が駆け付ける前にバキュームカーが来ていたという情報もあり、果たして2度も洗浄する必要があったのかどうかは、今となっては知ることは出来ないのです。
発見者の女性教員
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事件の第一次発見者が犯人という定説もありますが、この事件の第一次発見者である、女性教員も疑わしいことはたくさんあります。
女性は当時23歳と匿名になっているものもあれば、2ちゃんねるなどでは、田中ユミという実名らしき名前も出てきます。このあと詳しく説明しますが、実はこの女性は事件発覚の直前まで、家を4日も留守にしていました。ここでは、謎が多いこの女性教員が、事件当日どのような状況だったのか説明していきます。
女性は当時23歳と匿名になっているものもあれば、2ちゃんねるなどでは、田中ユミという実名らしき名前も出てきます。このあと詳しく説明しますが、実はこの女性は事件発覚の直前まで、家を4日も留守にしていました。ここでは、謎が多いこの女性教員が、事件当日どのような状況だったのか説明していきます。
死体発見時の状況
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冒頭でも述べましたが、女性教員が遺体を発見したのは、学校から帰宅した午後5時10分頃です。まだ2月の下旬であれば、帰宅した時間はすでに暗く、トイレの電気も昔は今ほど明るくありません。たいていのぼっとん式トイレは、ドアを開けると目の前に便器があり、便器口が手前に見えます。
昭和生まれの人であればイメージしやすいのでしょうが、穴の中は夜であればそんなにハッキリは見えませんよね?女性教員が最初に見えたものは、足か靴と最初に述べましたが、汚物が落ちていく便器口の穴のサイズも直径20cmと言われており、よく見えなかったと言えます。
しかし、女性全般に言える事なので、これは疑問としていいのか難しいことですが、女性教員は何故すぐに警察に通報せず、他の教員への報告を始めたのでしょう。交通事故や事件など、多くの女性達は自分で警察に連絡するより、まずは彼氏や夫、両親など身内に連絡する傾向が多いのですが、駆け付けた教員達もすぐには通報をしていません。
昭和生まれの人であればイメージしやすいのでしょうが、穴の中は夜であればそんなにハッキリは見えませんよね?女性教員が最初に見えたものは、足か靴と最初に述べましたが、汚物が落ちていく便器口の穴のサイズも直径20cmと言われており、よく見えなかったと言えます。
しかし、女性全般に言える事なので、これは疑問としていいのか難しいことですが、女性教員は何故すぐに警察に通報せず、他の教員への報告を始めたのでしょう。交通事故や事件など、多くの女性達は自分で警察に連絡するより、まずは彼氏や夫、両親など身内に連絡する傾向が多いのですが、駆け付けた教員達もすぐには通報をしていません。
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ぼっとん式を使ったことがある人であれば分かるのでしょうが、汲み取り式トイレの場合、よく物を落とすことがありました。財布やスリッパ、掃除の時に使ったゴム手袋など、うっかり落としてしまうことが多かったのです。
発見された遺体の顔の上には、何故か片足分の靴が乗っていたと言われているので、女性教員が最初に見えたのが靴だったのでしょう。人がいるというより、最初はもしかすると、何か物が落ちているかもしれないと思ったのかもしれません。
その為、他の人に確認してもらおうとした可能性もありますが、そのわりには数人の教員が駆け付けており、やはり不自然さを感じますね。
発見された遺体の顔の上には、何故か片足分の靴が乗っていたと言われているので、女性教員が最初に見えたのが靴だったのでしょう。人がいるというより、最初はもしかすると、何か物が落ちているかもしれないと思ったのかもしれません。
その為、他の人に確認してもらおうとした可能性もありますが、そのわりには数人の教員が駆け付けており、やはり不自然さを感じますね。
男性死亡時は留守だった
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発見された遺体の死亡推定日は、2月26日の日曜日と言われています。女性教員が発見したのは、2月28日の火曜日と遅れているのは、この女性が家を空けていたからなのです。
今では当たり前のような、公立学校の週休二日制度ですが、事件当時の平成元年はまだ実施されていません。1992年(平成4年)から段階的に取り入れ、完全週休二日制度になったのは2002年(平成14年)からです。
事件があったのは、1989年(平成元年)なので、当然週休二日制度は無く、土曜日は半ドンと呼ばれる3~4時間授業だったのです。しかし、この女性教員は何故か24日金曜日から27日の月曜日まで、同じ福島県内にある実家へと帰省していて留守でした。
今では当たり前のような、公立学校の週休二日制度ですが、事件当時の平成元年はまだ実施されていません。1992年(平成4年)から段階的に取り入れ、完全週休二日制度になったのは2002年(平成14年)からです。
事件があったのは、1989年(平成元年)なので、当然週休二日制度は無く、土曜日は半ドンと呼ばれる3~4時間授業だったのです。しかし、この女性教員は何故か24日金曜日から27日の月曜日まで、同じ福島県内にある実家へと帰省していて留守でした。
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