2019年10月23日 更新

永野 一男の最期とは?豊田商事事件の概要と殺害した犯人達のその後も

豊田商事による大規模な詐欺事件が起きたのは1980年代のことです。「金」を使ったペーパー商法で、高齢者を狙った詐欺でした。その豊田商事の会長である永野一男の死は非常に衝撃的で残酷なものでした。豊田商事の詐欺の内容、そして何故永野が死んだのかについて解説します。

目次

飯田は当初「知人に頼まれた」と発言していました。犯行当日、永野の自宅に集まっていた報道陣に対して「被害にあった知人からたのまれた、金はもういいから永野をぶっ殺してくれと」という内容のことを話しています。

この発言によると、自分が雇っていた人間ではないにしても、飯田には豊田商事の詐欺被害にあっていた知人がいたということになります。しかし、それが誰であるのか、本当にそう言って飯田に頼んだのかははっきりわかっていません。

高齢者をターゲットにしたやり方が気に入らなかった

Frustrated Annoyed Person - Free photo on Pixabay (708415)

飯田は、次のようにも語っています。「高齢者をターゲットにした詐欺のやり口が気に入らなかった」と。

飯田自身は鉄工所で高齢者を積極的に雇っていましたので、日ごろから高齢者と接することが多かったのです。高齢者のもつ大きな寂しさにも飯田は気がついていたのでしょう。本来であれば尊重すべき年長者にあたる高齢者を、判断力の弱った食い物としてとらえた豊田商事のやり口が気に入らないのは当然です。しかしそれが、殺害するほどまでの恨みになるのでしょうか。

殺すつもりはなかった

Despair Alone Being - Free photo on Pixabay (708419)

飯田本人は、殺すつもりがなかったとも言っています。これまでの発言と矛盾があるようですが、飯田は殺すつもりはなく、永野を脅しにいくつもりで自宅まで行ったが、そこで大勢集まっていたマスコミに唆されて中に入り、殺したというのです。

飯田はこの主張を続け、判決が言い渡された後もこの点で控訴しましたが、飯田の訴えは棄却されました。つまり、マスコミが飯田を煽ったり、唆したりしたという確証はなかったということです。

出所後妻と一緒に暮らしている

Couple Hands Holding - Free photo on Pixabay (708427)

飯田には妻がいました。10年の刑期を終えて出所した後は妻とふたりで暮しているといいます。

どのような罪を犯した人間であっても、更正して立ち直るチャンスは等しく与えられるべきです。飯田は法定の刑期を全うして出所したのですから、これ以上騒ぎ立てるべきではないとも言えます。なにより永野を殺害した1985年の時点で56歳だったのですから、現在はもはや90歳になろうかという年齢です。そっとしておくのが本人のためにはいいのでしょう。

永野 一男を殺害した動機【矢野正計】

Question Mark Why Problem - Free photo on Pixabay (708433)

もうひとり、永野の殺害に関与した人物がいます。矢野正計という男で、当時30歳でした。こちらも永野を殺害した罪に問われ、懲役8年の刑が実刑として確定しました。

もともと飯田と知り合いだったようですが、2人はどのような関係だったのでしょうか。そして、矢野の方には明確な殺害の動機があったのでしょうか。飯田が懲役10年であるのに対して少ない刑期ですが、理由は何だったのでしょうか。矢野については非常に情報が少ないのですが、以下に少し来歴と人物をご紹介します。

建設作業員

Camion Volqueta Work - Free photo on Pixabay (708438)

矢野は、建設現場で作業員として働いていました。30歳の建設現場作業員というと、豊田商事や永野一男とは無縁の人間のようにも考えられます。本人が豊田商事の詐欺被害者であったという事実も、被害者の身内であったという事実もありません。飯田のように、高齢者と身近な付き合いがあったとすら確認されていません。

ではこの矢野は、一体どういう理由があって、永野を殺害するに至ったのでしょうか。実は矢野の行動は飯田との関係にポイントがあったのです。

飯田に恩があった

Tulips Flowers Pink - Free photo on Pixabay (708444)

矢野正計は、飯田篤郎に恩があったそうです。それがどのような恩だったのか、具体的には明らかにされていません。

しかし飯田は自分の鉄工所で障害を持つ人や高齢者を積極的に雇用していましたので、矢野が何か恩を受けていたとしても不思議ではありません。社会的弱者に対して真摯に向き合ってきたはずの飯田ですから、矢野自身が飯田に雇われていたのではなくても、矢野の身内や友人の中に困っている人がいて、それを飯田が助けた経緯などがあったのかもしれません。

このように、飯田に恩があったので断れずにこの殺害にも加担したのだと本人は供述しています。

「自分はやっていない」が口癖

No Negative Finger Touch - Free image on Pixabay (708449)

矢野は「自分はやっていない」と口癖のように繰り返し言っていたようです。

確かに、矢野自身が豊田商事や永野一男に対して恨みや殺意を抱いた経緯はありません。やはり、恩人の飯田に頼まれて、ついていったというのは本当のところなのかもしれません。ここで飯田が言っていた「殺すつもりはなかった」という言葉を思い出してみると、飯田でさえそう主張していたのですから、飯田に連れてこられた矢野にも明確な殺意はなかったのではないかと推測できます。

「自分はやっていない」というのがどこまで本当のことなのかはわかりませんが、やろうと思ってやったことではないのかもしれません。

出所後結婚し5人の子宝に恵まれた

Baby Feet Father - Free photo on Pixabay (708453)

殺害当時30歳だった矢野には、懲役8年の実刑が確定しました。そして出所後、しばらくは大阪で暮らしていました。それから広島に移り住み、結婚をしたということです。5人の子宝にもめぐまれ、現在は穏やかに暮らしていると言われています。

現在60歳を超えている矢野ですが、罪を償った後にまっとうな生活ができたことは彼の人生にとって良かったといえるでしょう。

自分はやっていないと主張していた矢野が本当に殺害するつもりはなく、飯田に恩があって断れずついていった先で巻き込まれる形でこの殺害に関わったのだとすれば、それはもちろん殺人には違いないのですが同情できる点もあります。

出所後飯田と仲違いし現在は交流がない

Checkmate Chess Resignation - Free photo on Pixabay (708456)

矢野は出所後、飯田とは仲違いしたため現在は交流はないそうです。

考えてみればそれは当然のことかもしれません。飯田が何故自分ひとりではなく矢野を連れて永野のところに行ったのかはわかりませんが、矢野にしてみれば迷惑な部分の方が大きかったはずです。いくら恩人の頼みとはいえ、殺人事件に巻き込まれる(しかも自分とは関係のない人を殺す)ことになるなど矢野は想像もしていなかったのでしょう。

永野を殺害するにあたって、2人の間にどのようなやりとりがあったのかはわかっていませんが、矢野には永野を殺害する動機がありません。殺人犯にさせられてしまったとさえ思っているのではないでしょうか。

永野 一男殺害に関してマスコミへ多くの批判が集まった

Shame Criticism Child - Free image on Pixabay (708460)

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