2019年10月23日 更新

永野 一男の最期とは?豊田商事事件の概要と殺害した犯人達のその後も

豊田商事による大規模な詐欺事件が起きたのは1980年代のことです。「金」を使ったペーパー商法で、高齢者を狙った詐欺でした。その豊田商事の会長である永野一男の死は非常に衝撃的で残酷なものでした。豊田商事の詐欺の内容、そして何故永野が死んだのかについて解説します。

目次

永野一男がこのように惨殺されたことについて、当日現場にいたマスコミには多くの批判が寄せられました。殺害されているところを生放送で中継してしまったのです。いや、厳密には2人の男が永野を刺している瞬間の様子はさすがに放送されていないのです。外にいる報道陣からは、見えていなかったのですから。そうだったとしても、これは一体報道と呼ぶことができるものなのでしょうか。

マスコミを批判した多くの声について以下に解説します。

人が殺されているのに見ているだけ

Dog Snow Portrait - Free photo on Pixabay (708465)

2人の男が現場に現れてから、血塗れの姿で出てくるまで、マスコミは黙ってそれを見ているだけでした。実際には警察に通報した者はいたのですが、2人を止める者はいませんでした。そこに大勢の人間がいたのに、この惨たらしい殺害は起きてしまったのです。

このことについてマスコミの言い分は次の通りです。「中で何をしているかわからなかった」「止めようとすれば自分たちが殺されていたかもしれない」。もちろん自分の身を守る必要はあります。この話は筋が通っているように思えますが、その場にいたのに動かずカメラを回していただけというのはやはり批判されても仕方がないことです。

テレビ中継された暴力表現

Children Tv Child - Free photo on Pixabay (708474)

先述のとおり、永野が刺されている瞬間が放送されたわけではありません。しかし、犯行を終えた2人の男が返り血を浴びて血塗れの姿で出てきたところは生放送で中継されていました。永野の自宅の中で何が起きたのか、誰が見てもすぐにわかってしまう状況が放送されたのです。

NHKではアナウンサーが「子供には見せないでください」と発言したそうですが、なぜ中継ごとやめなかったのでしょうか。民放ではそのような警告もなく、ただ放送が続けられました。現代であれば考えられないことですし、当時でも異例であったと考えられます。見てしまった視聴者からすれば、トラウマになってもおかしくないような映像なのですから。

窓ガラスを壊す際に使用されたのは報道陣のパイプ椅子

Glass Shattered Window - Free photo on Pixabay (708501)

2人の男が永野の自宅に押し入ろうとしたときに、窓ガラスを割るために使われたのはその場にあったパイプ椅子だったそうです。そしてそのパイプ椅子は、当日集まっていた報道陣が持っていたものだったといいます。

殺害されるとは思わなかったのかもしれません。しかしそれでも、2人が永野の自宅に入っていこうとすることを止める必要はあったのではないでしょうか。主犯格の飯田が「マスコミに煽られた」と発言し、そのことは証明されませんでしたが、あるいはこのパイプ椅子についても飯田が報道陣から無理やり奪ったのではなく、唆すように見せていたのかもしれません。いずれにしても証拠はないことですが。

犯行を止めるよりも「報道が第一」という考え

Old Newspaper Retro - Free photo on Pixabay (708507)

マスコミには「報道が第一」という考えがありました。犯人を止めるよりも、いま起こっていることを世間に知らしめることの方が重要だということです。それはもちろん、多くの被害者がいたり傷ついた人がいた豊田商事の事件において、永野の悪事がどんなものであったかごまかさず詳らかにすることは報道の精神に則っているでしょう。

しかし永野が殺されるのを見過ごすどころか撮影して放送するというのは、報道などという言葉で表現されるべきものなのでしょうか。エキセントリックな状況に、その場にいた全員が興奮していたとは言えないでしょうか。この出来事があってから、なおさら豊田商事の悪事は表に出ないものとなりました。これでは却って報道の精神にそむく結果になったと考えられるのです。

警察を非難し責任逃れ

Metaphor Tug Rope - Free photo on Pixabay (708518)

マスコミは、警察を批判することで、この事件に関してマスコミに向けられた批判をかわしました。そのような逃げる姿勢自体もおおいに批判されたのです。

確かに警察に責任がないとは言えません。この事件が起きてしまう前に、豊田商事についてきちんと捜査し、しかるべき対処をとる必要があったのに、それを社会問題として有名になるまで放置していたために、詐欺の首謀者が殺されてしまったのですから。

しかし、マスコミが批判されたのはそれとは別のベクトルからであって、それを逸らそうとして警察を批判したことは卑怯だといえます。自分たちが犯してしまったことについて十分に認識し、本来の報道のあるべき姿について真摯に向き合ってもらいたいものでした。

豊田商事事件の謎

Backlit Conifers Dark - Free photo on Pixabay (708538)

会長の永野一男が殺されてしまったことによって、この「豊田商事事件」には解明されないままの謎がたくさん残ることになりました。

永野一男がもし生きていれば、豊田商事の金の流れやどういう組織とつながっていたかということも法廷で語っていたかもしれません。永野が死んだためにうやむやになった部分は多く、だからこそ永野の殺害を指示した人物がいたのではないかという説も囁かれました。

どのような謎があったのか、考えられる可能性は何かについて以下で解説します。

2000億円の行方

Euro Coins Currency - Free photo on Pixabay (708546)

まず最も大きな疑問として、2000億円ものお金はどこに消えたのか?ということがあります。豊田商事が被害者から騙し取ったお金は総額2000億円を超えていたとも言われるのですが、会長の永野が亡くなったときに所持していたのは711円だけでした。

このことについては様々に憶測が語られていますが、莫大なお金を集めながら、現状を維持するために莫大な費用をかけていたためほとんど残っていなかったのではという説が有力です。

自社のオフィスを豪奢に飾りたて、多くの支社を持ち、成績の良い社員には月給1000万円が支給されたとの噂もあります。新規の客を取れば古い顧客を騙し続けるための利子を払い、テレビCMまで流していたのですから、お金が残らなかったのも理解できます。

会長の貧相な暮らし

Resting Park Having A Rest - Free photo on Pixabay (708563)

派手な企業活動をしていた豊田商事ですが、実は会長の住まいはドアの前までマスコミがやって来られるような大衆向けマンションでした。その時の所持金も少なく、競売にかけられたスーパーカーの他にお金になるような所有物は大きなテレビくらいで、暮らし自体は貧相なものだったようです。

小型飛行機やクルーザーなども購入したと言われていますが、乗り回して遊んでいたという話は聞きません。急に多くのお金を持って、うまい使い方ができなかったのかもしれません。

黒幕の存在

Hands Open Candle - Free photo on Pixabay (708577)

この豊田商事会長刺殺事件には、黒幕がいたのではないかとも言われています。豊田商事の被害者救済のために動いた弁護士がいたのですが、豊田商事とつながりのあった企業を辿って資金を回収しようとすると暴力団から妨害を受けたことがあったそうです。こういったことから、豊田商事の隆盛の裏には、反社会的存在とのつながりもあったのではないかと言われているのです。

しかしその辺りも裁判で明らかになっているわけではなく、噂の域を出ません。

殺害動機

Psycho Shower Scene - Free vector graphic on Pixabay (708586)

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