目次
- リョウメンスクナとは?
- 漢字表記は「両面宿儺」
- 第16代天皇「仁徳天皇(にんとくてんのう)」の時代に現れた
- 異形の人・鬼神
- 武振熊(たけふるくま)に討伐された凶賊
- 大昔に日本へ渡った外国人という説もある
- リョウメンスクナの外見
- 八本の手足と首のない二つの顔
- 日本書紀・風土記の土蜘蛛に類似
- つまがけを履いた飛騨の山岳民
- 高山市の伝承での「リョウメンスクナ」
- 飛騨国に宿儺という人がいた
- 身の丈十八丈
- 頭に両手両足を持っていた
- 救世観音の化身として千光寺を開く
- 善久寺の建設にも関わったとされ両面宿儺の木像が安置されている
- 下呂市金山町の伝承での「リョウメンスクナ」
- 武振熊が討伐に来ることを知った宿儺は37日間鎮守山に留まる
- 高沢山でさらに立てこもったが敗れた
- 異伝として37日間陀羅尼 (だらに)を唱えたという説も
- 関市下之保の伝承での「リョウメンスクナ」
- 飛騨国に居た異人が毒龍を制伏した
- 毒龍を倒した異人は霊夢のお告げにより観音の分身になった
- リョウメンスクナと東日本大震災の関係
- 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震
- リョウメンスクナ(蠱毒)がある場所では災害が起きる
- 東北地方の廃寺にあった蠱毒を開けたため東日本大震災が発生した
- 東日本大震災前各地のおかしな形の雲が発生していたという噂
- 各地の神社や寺で不可解な事が多数発生する
- リョウメンスクナに関する怖い話・後日談
- 岩手県の古い寺を解体することに
- 白い紙が貼られた木箱を見つける
- アルバイト2人が木箱を開けてしまう
- 「可哀そうだけどあんたら長生きできないよ」
- 住職の息子からリョウメンスクナの話を聞く
- 住職の息子からリョウメンスクナと呼ばれる蠱毒の話を聞く
- 住職とは現在連絡が取れていない
- リョウメンスクナの神話より蠱毒という人間の呪いの方が恐ろしい!
リョウメンスクナに関する怖い話・後日談
via pixabay.com
リョウメンスクナと名付けられたミイラの話が、具体的にはどのようなものであったかをお届けします。それに当たっての注意点としては、事実としてその話はされているものの、創作である可能性が非常に高いことであります。
また、伝承のリョウメンスクナとは基本的には関係のないお話であり、それらと履き違えることがないようご注意下さい。
また、伝承のリョウメンスクナとは基本的には関係のないお話であり、それらと履き違えることがないようご注意下さい。
岩手県の古い寺を解体することに
via pixabay.com
岩手県のもう使用されていない古い寺を解体する、建築業者の一人が語り手となり、その人の視点から話が進められます。その語り手が寺の解体に勤しんでいる中で、黒ずんだ長い木箱が発見されたようです。
それを見付けたのは語り手の同僚であったらしく、見付かった場所は本堂の奥の密閉された部屋だと言うのであります。もちろん、そのようなものを見付けたのであれば、責任者に連絡するべきで、その寺の管理者である住職に連絡を入れたようであります。
それを見付けたのは語り手の同僚であったらしく、見付かった場所は本堂の奥の密閉された部屋だと言うのであります。もちろん、そのようなものを見付けたのであれば、責任者に連絡するべきで、その寺の管理者である住職に連絡を入れたようであります。
白い紙が貼られた木箱を見つける
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見付かった木箱は2mほどであり、白い紙が貼り付けられていたようです。その紙には古い文字で何かしらが書かれているらしく、辛うじて読み取れる部分に「両面宿儺」や「封ズ」というものがあったようです。
住職に連絡を取った所、絶対に開けるなと凄い剣幕でのお言葉があったらしく、そして、木箱は住職が自分で引き取るという話しになったのであります。それまで、「両面宿儺」と書かれた木箱は開けられず、放置されるはずでありました。
住職に連絡を取った所、絶対に開けるなと凄い剣幕でのお言葉があったらしく、そして、木箱は住職が自分で引き取るという話しになったのであります。それまで、「両面宿儺」と書かれた木箱は開けられず、放置されるはずでありました。
アルバイト2人が木箱を開けてしまう
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しかし、アルバイトの二人がその連絡が行き届く前に開けてしまい、二人はその場で放心したまま、言葉の受け答えもできぬ状態となったようであります。そして、木箱の中身を見てみれば、奇形な形のミイラが存在しました。
そのミイラの形は頭が二つくっついていて、左右に二本ずつの腕があるものであり、伝承にあるリョウメンスクナの姿に酷似したものであったのであります。アルバイトの二人は病院に送られて、現場の人々はそのミイラに困惑する中、住職が現れました。
そのミイラの形は頭が二つくっついていて、左右に二本ずつの腕があるものであり、伝承にあるリョウメンスクナの姿に酷似したものであったのであります。アルバイトの二人は病院に送られて、現場の人々はそのミイラに困惑する中、住職が現れました。
「可哀そうだけどあんたら長生きできないよ」
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住職は木箱を開けたことに対し、またも凄い剣幕で責め立てて、連れ添っていた息子にも、そのミイラの搬送を怠ったとして怒鳴ったようであります。その一連の会話が終わると、木箱開けたアルバイトの二人が助からないことを述べつつ、そこにいる建設業者達をお祓いしました。
お祓いが終わった後、帰途に付く住職が「可哀そうだけどあんたら長生きできないよ」という言葉を残すこととなりました。その言葉を表すかの如く、アルバイトの二人は死に、解体に関わった人々は様々な不運に遭いました。
そのようなこともあって、語り手はそれまでの情報だけでは満足できず、住職に連絡を取ろうとしました。しかし、連絡はつかず、変わりに息子さんと電話で話をする約束を取り付けました。またここでは、語り手がリョウメンスクナとスクナ族というものについての話などを述べています。
お祓いが終わった後、帰途に付く住職が「可哀そうだけどあんたら長生きできないよ」という言葉を残すこととなりました。その言葉を表すかの如く、アルバイトの二人は死に、解体に関わった人々は様々な不運に遭いました。
そのようなこともあって、語り手はそれまでの情報だけでは満足できず、住職に連絡を取ろうとしました。しかし、連絡はつかず、変わりに息子さんと電話で話をする約束を取り付けました。またここでは、語り手がリョウメンスクナとスクナ族というものについての話などを述べています。
住職の息子からリョウメンスクナの話を聞く
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電話で語り手が受けた、息子さんの話によれば、リョウメンスクナのミイラは大正時代に見世物小屋に出されていた奇形な人間であったようです。その人物は親に売られて見世物小屋に行き、そこで、ある人物に買い取られたそうであります。その人物が邪教の教祖だということです。
では、なぜその邪教の教祖がそのような奇人を買い取ったのかというと、実は、呪いのための道具として利用するためであったようです。その道具として成立させるためには、一つの手順が必要でありました。
では、なぜその邪教の教祖がそのような奇人を買い取ったのかというと、実は、呪いのための道具として利用するためであったようです。その道具として成立させるためには、一つの手順が必要でありました。
住職の息子からリョウメンスクナと呼ばれる蠱毒の話を聞く
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それは蠱毒のような精製法でありました。蠱毒とは、一つの壺に複数の虫を入れ、生き残った一匹を呪いの道具として使うものであり、それと似た選別法を人間に行ったのであります。
つまり、複数の人間を一つの部屋に閉じ込めて、その中の生きて居る人間が一人になるまで閉じ込め続けるというものです。その結果、生き残った奇形の人間を殺して、ミイラとし、邪教の教祖は道具として使用するようになったとのことであります。
つまり、複数の人間を一つの部屋に閉じ込めて、その中の生きて居る人間が一人になるまで閉じ込め続けるというものです。その結果、生き残った奇形の人間を殺して、ミイラとし、邪教の教祖は道具として使用するようになったとのことであります。
住職とは現在連絡が取れていない
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その邪教の教祖が各地に奇形の人間のミイラを持ち運び、その度に災害が起こったことを住職の息子さんは語り手に伝えます。大正何年のいつの災害という明確な情報が伝えられ、最後に関東大震災の話となりました。
そのときに、邪教の教祖は自殺してしまい、以後は経緯などはわからぬものの最終的には寺で保管されるようになったようであります。それが息子さんの話であり、最後にそのミイラを持った住職さんとは連絡が付かなくなったことが語られました。
そのときに、邪教の教祖は自殺してしまい、以後は経緯などはわからぬものの最終的には寺で保管されるようになったようであります。それが息子さんの話であり、最後にそのミイラを持った住職さんとは連絡が付かなくなったことが語られました。
リョウメンスクナの神話より蠱毒という人間の呪いの方が恐ろしい!
via pixabay.com
上記までの内容はネットで検索すれば、詳しく知ることができるものであります。その話が最近のリョウメンスクナの注目を集めた原因と言えるものであり、創作としては面白い話であります。もし、事実であったとするならば、どこかでリョウメンスクナによる呪いが行使されるかもしれません。
なぜなら、人間に蠱毒と同じような残酷な仕打ちをしたのですから、それが何らかの形であがなわれるべきであるからです。ただ、それも大正時代のことでありますし、呪いの対象はもうこの世には存在しないでしょう。
なぜなら、人間に蠱毒と同じような残酷な仕打ちをしたのですから、それが何らかの形であがなわれるべきであるからです。ただ、それも大正時代のことでありますし、呪いの対象はもうこの世には存在しないでしょう。
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