2020年2月3日 更新

愛犬家殺人事件とは?アフリカケンネルを経営した犯人達の生い立ちも

アフリカケンネルというペットショップを経営し、順風満帆に思えた夫婦。しかし、経営危機によって、とんでもない犯罪行為を行います。この記事では、愛犬家殺人事件と呼ばれた殺人事件の犯人と、等事件を題材にした冷たい熱帯魚の詳細についてご紹介していきましょう。

目次

関根元の不倫により離婚

Love My Carrot Will - Free photo on Pixabay (642428)

これまで、家族や子供たちを大切に思い、頻繁に家族と出かけていた関根元。しかし、市内の病院に勤めていた女性と、思いが通じ合うと、その女性に日々夢中になっていきました。妻や子供たちへの興味が完全に失われ、女性との時間を優先するようになっていきます。

こういった姿に呆れ、諦めた妻は、関根元の不倫を理由に離婚を迫りました。この時、慰謝料や養育費等の支払いはほとんどなかったと言われています。当時から、金への執着心が強かったと言えるでしょう。

不倫相手と再婚

Adult Couple Holding Hands - Free photo on Pixabay (642434)

妻と離婚し、子供たちも引き取らなかったことから、関根元は晴れて独り身となります。前妻との離婚からほどなくして、関根元は当時不倫関係を持っていた看護師女性と再婚しました。再婚相手の女性は、私鉄の駅長を父親に持つ一般的な女性です。

1970年代に2人は再婚し、その後市内のアパートに引っ越し生活します。関根元と再婚相手の女性との間に、子供の情報は確認されていません。また、元妻が引き取った子供の状況も、あまり多く出回っていませんでした。

ペット店を始めメディアに出演

Camera Photography Photograph - Free photo on Pixabay (642438)

2度目の結婚を果たした1970年代頃から、関根元は動物を使った商売を始めるようになります。ライオンを自宅で飼育し、「ライオンを飼う夫婦」として、看護師だった妻と共にテレビに出演したこともありました。こうした出演によって、関根元は知名度を上げていきます。

飼育していたライオンやトラの調教が的確だったことから、関根元は猛獣の扱いに長けていると評価されるようになっていきました。しかし、この夫婦生活も長くは続きません。

マッサージ師の別の女性と暮らし始める

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猛獣を飼育する夫婦としてメディア出演をしていた関根元でしたが、同時期に別の女性と暮らし始めました。マッサージ師として働いている女性と、その娘と共に暮らします。

マッサージ師の女性との生活も長くは続かず、次に交際した女性は、当時16歳の女性でした。この女性は、高校を1年で中退し、その後関根元と共に生活を始めます。また、この女性は、最初に結婚した女性との間に誕生した長女の顔見知りでした。関根元は、自身の娘の友人に手を出していたのです。

アフリカケンネルを経営

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1975年頃、関根元はペットショップを開業します。愛犬家連続殺人事件の現場となる、アフリカケンネルです。そのペットショップでは、珍しい犬種をはじめ、トラやライオンなども販売していました。あまり知られていないことですが、日本ではライオンなどの猛獣を一般家庭で飼育することが可能です。

ライオンなどの猛獣は、特定動物として定められており、飼育する際は飼育許可を取る必要があります。飼育許可は審査が厳しく、近隣住民の許可も必要です。さらに、絶滅の可能性が高い動物は、商業目的での輸入が禁止されているため、購入することも難しいことから、現在猛獣を飼育することは、ほぼ不可能と言えます。

風間博子の生い立ち

People Baby Belly - Free photo on Pixabay (642503)

次にご紹介するのは、風間博子という女性の生い立ちです。関根元と同じく、殺人罪や死体損壊容疑で、逮捕されています。愛犬家連続殺人事件では、風間博子が主犯格ではないのかという説も存在するほど、重要な人物です。

風間博子は、関根元のように貧しい幼少期をおくっていたわけではありません。比較的恵まれた生活をおくっていた風間博子がなぜ、殺人という重罪に手を染めたのか、生い立ちから読み解いていきましょう。

1957年熊谷市生まれ

Baby Child Small - Free photo on Pixabay (642504)

風間博子は、1957年2月19日埼玉県熊谷市で誕生します。風間博子の父親は、土地家屋調査士として働き、一家を支えていました。土地家屋調査士とは、不動産の表示や登記に必要な情報を、調査し測量する専門家です。収入は年収400万から800万前後であり、それほど低い職業ではありません。

また、風間博子の兄弟に関する情報は、一切ありませんでした。そのため、一人っ子の可能性が高く、幼少期は両親の元何不自由なく生活していたと考えられます。

お嬢様育ち

Child Tower Building Blocks - Free photo on Pixabay (642505)

風間博子の幼少期は、お嬢様のように裕福だったと言われています。父親は土地家屋調査士として働いていましたが、その給料のみでは、お嬢様と言われるほどの生活はできなかったでしょう。

つまり、風間博子の実家は、父親の職業以外に収入源を持っていたことになります。風間博子の実家は、資産家でした。資産家とは主に、時価評価が高額な不動産を多数所有している人々のことです。風間博子の実家は、不動産によって定期的な収益を生み出し、それによってお嬢様のような生活をしていたと考えられます。

大の犬好き

Doberman Woman And Dog Love - Free photo on Pixabay (642506)

風間博子は、お嬢様のように裕福な暮らしを送りながら、犬を愛でていました。たいへん、犬好きだったと言われています。実際に飼っていたこともあり、犬がきっかけでのちに関根元と知り合いました。

風間博子には、犬好きを証明するエピソードがあります。それは、愛犬家連続殺人事件の調書の最中、遺体や殺害方法については無表情で黙秘を貫いていましたが、飼い主が殺され残された犬の話になると涙ぐんだというものです。こういったエピソードから、根本では犬を愛していた事がわかります。

保育士をしたり父親の仕事を手伝う

Teddy Bear Soft - Free photo on Pixabay (642509)

犬好きでお嬢様として育った風間博子は、学校卒業後保育士として働き始めます。保育士として働きながら、父親の仕事である土地家屋調査士を手伝うため、測量の勉強をするなど、勤勉な部分が見られました。

実際に、土地家屋調査士として働くことはありませんでしたが、関根元と知り合いペットショップを経営するまで、ごく一般的な生活をしていたと言えるでしょう。ごく普通に暮らしてきた風間博子は、関根元と出会った事によって、大きく人生が変わることとなります。

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