目次
- マスコミが犯人を暴いた愛犬家殺人事件
- 愛犬家殺人事件の詳細
- 関根元・風間博子がペットショップ「アフリカケンネル」を経営
- 山崎永幸はアフリカケンネルの役員として勤務
- ペットブームを利用し高級犬を売り成功
- バブル崩壊と共に経営が悪化する
- 悪質な商売を繰り返す
- 顧客とのトラブルが絶えなかった
- トラブルとなった顧客計4人を殺害
- 1994年2月大阪で愛犬家連続殺人事件として報道される
- 遺体なき殺人と呼ばれた
- 犯人2人が行った悪質な商売内容
- つがいを高額な金額で販売
- 子犬を高額な金額で売買
- 売り先の自宅に忍び込み犬を殺す
- 再度犬を売りつける
- 被害者の時系列
- 1993年4月行田市の会社員が帰宅途中に失踪
- 1993年7月熊谷市の暴力団幹部及び運転手が失踪
- 1993年8月行田市の主婦が買い物に出かけたまま失踪
- 1994年12月山林から失踪した会社員が発見される
- 1995年1月河川などから4人の遺体や遺留品が発見される
- 関根元の生い立ち
- 1942年埼玉県生まれ
- 虚言癖があり「ホラ元」と呼ばれていた
- 目立ちたがりで嘘が多く周囲からの評判は良くなかった
- 19歳で1度目の結婚をする
- 1男2女に恵まれ夫婦仲も良好
- 関根元の不倫により離婚
- 不倫相手と再婚
- ペット店を始めメディアに出演
- マッサージ師の別の女性と暮らし始める
- アフリカケンネルを経営
- 風間博子の生い立ち
- 1957年熊谷市生まれ
- お嬢様育ち
- 大の犬好き
- 保育士をしたり父親の仕事を手伝う
- 若くして結婚し2人の子宝に恵まれる
- 離婚後関根元と知り合う
- 犯人たちが犯行に及ぶまで
- 1983年関根元は1人でアフリカケンネルを経営
- 関根元は6回の結婚・離婚を繰り返していた
- 客として訪れた風間博子と意気投合し結婚
- 風間博子の財産目当ての結婚とも言われている
- 風間博子の連れ子に暴力を振るうことがあった
- お互いに能力を認めあいアフリカケンネルの経営を続けた
- 1993年1月協議離婚するも税金対策の偽装離婚であった
- ドッグショーで関根元と山崎永幸が出会う
- 経営哲学を学ぶため山崎永幸はアフリカケンネルの役員となる
- 犯行内容
- 会社役員に返済の目途がたたない
- 殺害を決意しガレージに呼び出す
- 硝酸ストリキニーネを飲ませ殺害
- 山崎永幸に指示し遺体を移動
- 遺体を解体し焼却後山林に遺棄
- 会社役員の失踪に疑いを持った暴力団組員が金銭を要求
- 口封じのため暴力団組員及び運転手殺害を計画
- 硝酸ストリキニーネを飲ませ殺害
- 山崎永幸宅で遺体を解体及び焼却
- 関根元が交際していた主婦の殺害を計画
- 動機は交際の煩わしさと金銭関係
- 硝酸ストリキニーネを飲ませ殺害
- 殺害後関根元は屍姦
- 遺体を解体及び焼却し遺棄
- 異臭が発生しないよう慎重に解体し慎重に焼いた
- 愛犬家殺人事件の裁判と判決
- マスコミによって愛犬家失踪事件が話題となる
- 1994年11月山崎永幸の妻を詐欺容疑で逮捕
- 山崎永幸が出頭し愛犬家殺人事件を自供
- 1995年1月死体損壊・遺棄容疑で関根元及び風間博子逮捕
- 関根元と風間博子はお互いに罪を擦り付け合う
- 検察と山崎永幸の間で密約が交わされる
- 山崎永幸に懲役3年の実刑判決が下る
- 関根元及び風間博子に死刑判決が下る
- 関根元及び風間博子は判決を不服とし控訴
- 最高裁は上告を棄却し死刑が確定する
- 愛犬家殺人事件のその後
- 関根元の周辺では他にも失踪者がいるが追求されず
- 震災やオウム真理教の事件が続いた事により事件の報道は終息
- 2017年3月関根元は病死
- 風間博子は冤罪を主張し続けている
- 冷たい熱帯魚
- アフリカケンネルは廃墟となっている
- 身勝手な要求を満たすために次々に殺人を起こした夫婦の末路
関根元の不倫により離婚
via pixabay.com
これまで、家族や子供たちを大切に思い、頻繁に家族と出かけていた関根元。しかし、市内の病院に勤めていた女性と、思いが通じ合うと、その女性に日々夢中になっていきました。妻や子供たちへの興味が完全に失われ、女性との時間を優先するようになっていきます。
こういった姿に呆れ、諦めた妻は、関根元の不倫を理由に離婚を迫りました。この時、慰謝料や養育費等の支払いはほとんどなかったと言われています。当時から、金への執着心が強かったと言えるでしょう。
こういった姿に呆れ、諦めた妻は、関根元の不倫を理由に離婚を迫りました。この時、慰謝料や養育費等の支払いはほとんどなかったと言われています。当時から、金への執着心が強かったと言えるでしょう。
不倫相手と再婚
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妻と離婚し、子供たちも引き取らなかったことから、関根元は晴れて独り身となります。前妻との離婚からほどなくして、関根元は当時不倫関係を持っていた看護師女性と再婚しました。再婚相手の女性は、私鉄の駅長を父親に持つ一般的な女性です。
1970年代に2人は再婚し、その後市内のアパートに引っ越し生活します。関根元と再婚相手の女性との間に、子供の情報は確認されていません。また、元妻が引き取った子供の状況も、あまり多く出回っていませんでした。
1970年代に2人は再婚し、その後市内のアパートに引っ越し生活します。関根元と再婚相手の女性との間に、子供の情報は確認されていません。また、元妻が引き取った子供の状況も、あまり多く出回っていませんでした。
ペット店を始めメディアに出演
via pixabay.com
2度目の結婚を果たした1970年代頃から、関根元は動物を使った商売を始めるようになります。ライオンを自宅で飼育し、「ライオンを飼う夫婦」として、看護師だった妻と共にテレビに出演したこともありました。こうした出演によって、関根元は知名度を上げていきます。
飼育していたライオンやトラの調教が的確だったことから、関根元は猛獣の扱いに長けていると評価されるようになっていきました。しかし、この夫婦生活も長くは続きません。
飼育していたライオンやトラの調教が的確だったことから、関根元は猛獣の扱いに長けていると評価されるようになっていきました。しかし、この夫婦生活も長くは続きません。
マッサージ師の別の女性と暮らし始める
via pixabay.com
猛獣を飼育する夫婦としてメディア出演をしていた関根元でしたが、同時期に別の女性と暮らし始めました。マッサージ師として働いている女性と、その娘と共に暮らします。
マッサージ師の女性との生活も長くは続かず、次に交際した女性は、当時16歳の女性でした。この女性は、高校を1年で中退し、その後関根元と共に生活を始めます。また、この女性は、最初に結婚した女性との間に誕生した長女の顔見知りでした。関根元は、自身の娘の友人に手を出していたのです。
マッサージ師の女性との生活も長くは続かず、次に交際した女性は、当時16歳の女性でした。この女性は、高校を1年で中退し、その後関根元と共に生活を始めます。また、この女性は、最初に結婚した女性との間に誕生した長女の顔見知りでした。関根元は、自身の娘の友人に手を出していたのです。
アフリカケンネルを経営
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1975年頃、関根元はペットショップを開業します。愛犬家連続殺人事件の現場となる、アフリカケンネルです。そのペットショップでは、珍しい犬種をはじめ、トラやライオンなども販売していました。あまり知られていないことですが、日本ではライオンなどの猛獣を一般家庭で飼育することが可能です。
ライオンなどの猛獣は、特定動物として定められており、飼育する際は飼育許可を取る必要があります。飼育許可は審査が厳しく、近隣住民の許可も必要です。さらに、絶滅の可能性が高い動物は、商業目的での輸入が禁止されているため、購入することも難しいことから、現在猛獣を飼育することは、ほぼ不可能と言えます。
ライオンなどの猛獣は、特定動物として定められており、飼育する際は飼育許可を取る必要があります。飼育許可は審査が厳しく、近隣住民の許可も必要です。さらに、絶滅の可能性が高い動物は、商業目的での輸入が禁止されているため、購入することも難しいことから、現在猛獣を飼育することは、ほぼ不可能と言えます。
風間博子の生い立ち
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次にご紹介するのは、風間博子という女性の生い立ちです。関根元と同じく、殺人罪や死体損壊容疑で、逮捕されています。愛犬家連続殺人事件では、風間博子が主犯格ではないのかという説も存在するほど、重要な人物です。
風間博子は、関根元のように貧しい幼少期をおくっていたわけではありません。比較的恵まれた生活をおくっていた風間博子がなぜ、殺人という重罪に手を染めたのか、生い立ちから読み解いていきましょう。
風間博子は、関根元のように貧しい幼少期をおくっていたわけではありません。比較的恵まれた生活をおくっていた風間博子がなぜ、殺人という重罪に手を染めたのか、生い立ちから読み解いていきましょう。
1957年熊谷市生まれ
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風間博子は、1957年2月19日埼玉県熊谷市で誕生します。風間博子の父親は、土地家屋調査士として働き、一家を支えていました。土地家屋調査士とは、不動産の表示や登記に必要な情報を、調査し測量する専門家です。収入は年収400万から800万前後であり、それほど低い職業ではありません。
また、風間博子の兄弟に関する情報は、一切ありませんでした。そのため、一人っ子の可能性が高く、幼少期は両親の元何不自由なく生活していたと考えられます。
また、風間博子の兄弟に関する情報は、一切ありませんでした。そのため、一人っ子の可能性が高く、幼少期は両親の元何不自由なく生活していたと考えられます。
お嬢様育ち
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風間博子の幼少期は、お嬢様のように裕福だったと言われています。父親は土地家屋調査士として働いていましたが、その給料のみでは、お嬢様と言われるほどの生活はできなかったでしょう。
つまり、風間博子の実家は、父親の職業以外に収入源を持っていたことになります。風間博子の実家は、資産家でした。資産家とは主に、時価評価が高額な不動産を多数所有している人々のことです。風間博子の実家は、不動産によって定期的な収益を生み出し、それによってお嬢様のような生活をしていたと考えられます。
つまり、風間博子の実家は、父親の職業以外に収入源を持っていたことになります。風間博子の実家は、資産家でした。資産家とは主に、時価評価が高額な不動産を多数所有している人々のことです。風間博子の実家は、不動産によって定期的な収益を生み出し、それによってお嬢様のような生活をしていたと考えられます。
大の犬好き
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風間博子は、お嬢様のように裕福な暮らしを送りながら、犬を愛でていました。たいへん、犬好きだったと言われています。実際に飼っていたこともあり、犬がきっかけでのちに関根元と知り合いました。
風間博子には、犬好きを証明するエピソードがあります。それは、愛犬家連続殺人事件の調書の最中、遺体や殺害方法については無表情で黙秘を貫いていましたが、飼い主が殺され残された犬の話になると涙ぐんだというものです。こういったエピソードから、根本では犬を愛していた事がわかります。
風間博子には、犬好きを証明するエピソードがあります。それは、愛犬家連続殺人事件の調書の最中、遺体や殺害方法については無表情で黙秘を貫いていましたが、飼い主が殺され残された犬の話になると涙ぐんだというものです。こういったエピソードから、根本では犬を愛していた事がわかります。
保育士をしたり父親の仕事を手伝う
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犬好きでお嬢様として育った風間博子は、学校卒業後保育士として働き始めます。保育士として働きながら、父親の仕事である土地家屋調査士を手伝うため、測量の勉強をするなど、勤勉な部分が見られました。
実際に、土地家屋調査士として働くことはありませんでしたが、関根元と知り合いペットショップを経営するまで、ごく一般的な生活をしていたと言えるでしょう。ごく普通に暮らしてきた風間博子は、関根元と出会った事によって、大きく人生が変わることとなります。
実際に、土地家屋調査士として働くことはありませんでしたが、関根元と知り合いペットショップを経営するまで、ごく一般的な生活をしていたと言えるでしょう。ごく普通に暮らしてきた風間博子は、関根元と出会った事によって、大きく人生が変わることとなります。
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