2020年2月3日 更新

愛犬家殺人事件とは?アフリカケンネルを経営した犯人達の生い立ちも

アフリカケンネルというペットショップを経営し、順風満帆に思えた夫婦。しかし、経営危機によって、とんでもない犯罪行為を行います。この記事では、愛犬家殺人事件と呼ばれた殺人事件の犯人と、等事件を題材にした冷たい熱帯魚の詳細についてご紹介していきましょう。

目次

会社役員男性は関根元に殺害されたと確信した暴力団男性は、警察に届けず関根元を脅すようになりました。金銭を要求したり、新しく建設した犬の繁殖用施設の権利証を要求し始めます。このままでは、財産全てが暴力団男性に取られてしまうと考えた関根元は、暴力団男性の口封じを計画しました。

この計画には、暴力団男性の送迎者を運転していた、当時21歳の男性の殺害も含まれています。21歳の男性まで殺害しようとしたのは、常に行動を共にしていたため、事件が明るみになることを防ぐ狙いがありました。

1993年8月行田市の主婦が買い物に出かけたまま失踪

Shopping Spending Till Slip - Free photo on Pixabay (642401)

暴力団組員及び、その運転手が失踪してからわずか1カ月後、再び行田市の主婦が失踪します。買い物に出かけた後、消息が分からなくなりました。失踪した主婦は、アフリカケンネルから度々、犬を購入しています。さらに、次男はアフリカケンネルに勤めていましたし、失踪した主婦と関根元は肉体関係も持っています。

関根元は、女性に高額な料金で犬を販売していましたし、さらにアフリカケンネルの株主になるように迫っていました。いずれ、株主の話がでたらめであること、高額な金額で販売した犬の返金を求められると考えた関根元は、女性の殺害を計画します。

1994年12月山林から失踪した会社員が発見される

Forest Mist Nature - Free photo on Pixabay (642406)

1993年4月に失踪した会社役員男性の家族は、警察に捜索願を提出します。会社役員男性の失踪は一般的な家出と見られ、積極的な捜査は行われませんでした。

しかし、当時男性が使用していた車が駅の駐車場に乗り捨てられていたことから、事件性が考えられるようになり、失踪した会社役員男性とトラブルを起こしていた関根元と風間博子に目を付けます。尾行や周辺捜査を行ったものの、この期間中2人は、警察の目をかいくぐり前項3件の殺人を犯していました。

警察が周辺捜査を行い証拠を集めていた1994年2月、マスコミが報道を始めます。きっかけは、大阪で発生した愛犬家連続殺人事件でした。「犬」という共通点から、埼玉で発生した失踪事件も、愛犬家連続殺人事件なのではないかと報道を始めたのです。
Skull Bones Skeleton - Free photo on Pixabay (649136)

マスコミの報道では、関根元らが積極的に出演し、自身の潔白を主張し続けました。警察は捜査を続けるものの、失踪や殺人に関与した証拠が見つからないため、逮捕に踏み切ることができません。この頃、関根元や風間博子らと共に殺人に関与した山崎永幸が、別件で逮捕されます。

山崎永幸の逮捕によって、ようやく事件の進展が望めるようになりました。逮捕直後は、失踪について黙秘を貫いていましたが、次第に供述を始め、遺体を遺棄した場所などを話し始めたのです。1994年12月、山崎永幸の供述通り、山林から失踪していた会社役員男性の遺骨が発見されました。

1995年1月河川などから4人の遺体や遺留品が発見される

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山崎永幸は、会社役員男性の失踪に関することだけではなく、他3件の失踪に関する自供も始めます。1995年1月、警察は山崎永幸の証言をもとに大規模な捜査を決行しました。

山崎永幸の供述通り、失踪者3人の遺骨や遺品が次々に発見され、見つかった証拠品と、山崎永幸の供述によって、関根元と風間博子は逮捕されます。

容疑は、死体損壊及び遺棄でした。1995年4月までに、4件の失踪事件全てにおいて殺人罪及び死体損壊容疑で起訴されます。4件の失踪事件以前に、関根元の周辺で発生していた失踪に関しては、立件されることはありませんでした。

関根元の生い立ち

Pregnant Maternity Unborn - Free photo on Pixabay (642410)

愛犬家連続殺人事件の主犯格とされ、逮捕された関根元は、殺人に関する驚きの発言を残しています。「世の中のためにならないやつを殺す」といった発言や、「殺しのオリンピックがあれば俺は金メダル間違いなし」などの過激な発言です。

これらの殺人哲学と共に、関根元は自身が不要だと感じた人々を次々に殺害していきました。関根元はなぜ、このような過激な思想を持ち、忠実に実行していったのでしょうか。ここからは、関根元の生い立ちと殺人哲学を持ったきっかけについて、解説していきます。

1942年埼玉県生まれ

Hand Baby Child - Free photo on Pixabay (642409)

関根元は、1942年1月埼玉県秩父市で誕生します。父親は、華やかな商店街の一角で、下駄屋を経営していました。それほど裕福な家庭ではなく、関根元の家族は小さな長屋で生活します。

戦前まで、日本では下駄が主流でしたが、昭和30年代からゴム製のサンダルが普及し始め、父親の家業は衰退していきました。この様子を間近で見ていた関根元は、事業をするという事、そして事業の衰退がどのような結末を招くのか幼心に考えたのではないかと思われます。

虚言癖があり「ホラ元」と呼ばれていた

Feet Children'S Baby - Free photo on Pixabay (642420)

関根元は、幼い頃から虚言癖があったと言われています。虚言癖が発生する理由は様々ありますが、関根元は、貧しい家庭で育つ自分を隠し、大きく見せることによって、自尊心を保ちたいがために虚言癖を加速させていったと考えられるでしょう。

しかし、子供のつく嘘は、それほど巧妙ではありません。すぐに嘘がバレてしまい、他者から批判的な発言を浴びせられることがほとんどでした。当時の関根元のあだ名は、「ホラ元」です。尊重されない自分を慰めるように、関根元はさらに虚言癖を加速させていきました。

目立ちたがりで嘘が多く周囲からの評判は良くなかった

Child Kid Play - Free photo on Pixabay (642421)

幼少期から虚言癖があり、嘘でもいいから人々の注目を集めたかった関根元の言動は、学生になっても変わることはありませんでした。目立ちたがり屋で、責任感のない発言が多く、教師や同級生の評判も悪かったようです。しかし一方で、ユーモアがあり、人間心理を読むことに長けていたという情報もあります。

関根元は、人間の心理を読み、巧みな話術で惹きつけるという特技を持っていました。のちに、多くの人々からお金を集める際も、この特技が活かされることとなります。

19歳で1度目の結婚をする

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家庭が貧しかったことや、人間関係が良好ではなかったことから、関根元は高校進学を諦めます。関根元は高校へ進学せず、中学を卒業と同時にラーメン店に就職しました。

勤めたラーメン店に勤務していた同僚女性と意気投合し、19歳という若さで1度目の結婚をすることとなります。その後も複数の女性と関係を持ちますし、事件発生当時も不倫相手の女性がいたことから、関根元は異性にモテる素質を持っていたと言えるでしょう。

1男2女に恵まれ夫婦仲も良好

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19歳で結婚した関根元は、女性との間に1男2女をもうけます。夫婦仲も良好で、幸せな家庭生活を送っていました。しかし、結婚後しばらくすると、関根元は不倫相手を作るようになります。

一番初めの不倫相手は、市内の病院に勤務する看護師でした。これまで、子供や妻を大切にしていた関根元は、不倫相手の女性に夢中になり、頻繁に外出するようになります。家族と時間を作ることがなくなり、妻や子供は不満を募らせていきました。

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