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そのため、その共産主義国家を実現しようとすると、必ず行く手を阻む人物が出てくるのは当たり前で、そのほとんどが資本主義から共産主義国家に変えたくないという地位や名声を確立した経営者や資本家のはずです。
だからこそ、そういった反対勢力をも共産主義に巻き込むには「暴力的に転覆する」以外に方法はないと断言されているのです。
だからこそ、そういった反対勢力をも共産主義に巻き込むには「暴力的に転覆する」以外に方法はないと断言されているのです。
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そのため、社会主義を提唱する若者たちは、爆破テロや無差別テロなどを起こし、社会を変えようとしたのかもしれません。
共産党による国家を独占
共産主義を始めるためには、まず共産党による国家を独占する必要があります。共産党以外は労働者にならないとこの共産主義は成立しないため、まず今現在の政府をすべて排除し、新たに共産党主導の国家を作る必要があるのです。
そのためには、一度すべて暴力でつぶしてしまう必要があるという結論に至った共産主義という思想は非常に危ない思想とも受け取れるのです。そのため、1990年以降は日本赤軍の後を継ぐ人があまり出てこなかったのかもしれません。
そのためには、一度すべて暴力でつぶしてしまう必要があるという結論に至った共産主義という思想は非常に危ない思想とも受け取れるのです。そのため、1990年以降は日本赤軍の後を継ぐ人があまり出てこなかったのかもしれません。
共産党以外の人々は全て労働者
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共産党以外の人々は全員労働者となり、決められたお金をみんな平等に受け取ることができて、使う分も平等という貧富の差のない社会の実現は、可能となりますが、共産党の人々はこれらを一挙に管理しており、これはある種の独裁国家のようなものとも考えられます。
労働者は、いくら頑張っても怠けていてもそこから上に行くことも下に行くこともできず、労働者の労働意欲がある一定のところで止まってしまうことが懸念されます。
労働者は、いくら頑張っても怠けていてもそこから上に行くことも下に行くこともできず、労働者の労働意欲がある一定のところで止まってしまうことが懸念されます。
日本赤軍が目指した世界
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日本赤軍が目指した世界とは、貧富の差がないみんな平等に生きられる世界でした。そのためマルクスレーニン主義の「国際根拠地論」を掲げ、過激な暴力で世界の平等を手に入れ、彼らは世界を変えようとしたのです。
拠点を中東へ移し、日本以外の国で軍事演習を積み、武器や物資を現地で調達しながら過激テロ事件を何度も繰り返し起こしました。しかし、メンバーの高齢化と後を継ぐ人の減少に伴い、その勢いは徐々に弱まっていきました。
拠点を中東へ移し、日本以外の国で軍事演習を積み、武器や物資を現地で調達しながら過激テロ事件を何度も繰り返し起こしました。しかし、メンバーの高齢化と後を継ぐ人の減少に伴い、その勢いは徐々に弱まっていきました。
日本共産党と同じ理念
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日本共産党もかつては暴力的破壊活動を展開しており「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」という軍事方針を決定したことが昭和27年ごろ起こりました。
昭和20年、終戦から間もない頃に日本共産党も、全国的に警察に対する襲撃事件などの破壊活動を繰り返してきましたが、こういった闘争は同じ日本の国民から批判をされるようになり、昭和27年には衆議院で日本共産党の面々は全員落選してしまいました。
昭和20年、終戦から間もない頃に日本共産党も、全国的に警察に対する襲撃事件などの破壊活動を繰り返してきましたが、こういった闘争は同じ日本の国民から批判をされるようになり、昭和27年には衆議院で日本共産党の面々は全員落選してしまいました。
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そして、現在日本共産党はその当時の暴力行為は党から分裂した一部の人間が勝手に起こしたことだとしていますが、日本にもかつてそういった共産党による政党が活動していた時もありました。共産主義社会は、こういったかつての日本共産党と同じ理念なのです。
共産主義による犠牲者
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共産主義体制の下では多くの弾圧や抑圧で死亡した犠牲者が多数存在します。ロシア革命後のソ連では、レーニンによって世界で初めて共産主義国家(社会主義国家)が成立しました。
共産党主導で武力の力で強制的に政権を奪還した共産党が、それまで地主や貴族、教会の土地だったところを奪い、経営者からは工場などを奪い、すべて国有化してしまいました。
共産党主導で武力の力で強制的に政権を奪還した共産党が、それまで地主や貴族、教会の土地だったところを奪い、経営者からは工場などを奪い、すべて国有化してしまいました。
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そして、実際に共産党が実験を握った社会は平等な社会などではなく、共産党幹部による独裁政治だったのです。共産党に文句を言うと、共産党によって抑圧され処刑された人がいたり、強制労働所という刑務所にも送られ、死亡した人もいました。
日本赤軍が関与した事件
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日本赤軍がかかわった事件は、日本国内にとどまらず、海外でも多数ありますが、どのような事件に彼らは関与していたのでしょう?
ここでは、日本赤軍が関与した事件のなかでも世の中を震撼させたり、もしくは人々の記憶に残っている世界でも有名な事件の数々をご紹介します。
ここでは、日本赤軍が関与した事件のなかでも世の中を震撼させたり、もしくは人々の記憶に残っている世界でも有名な事件の数々をご紹介します。
あさま山荘事件
まず日本赤軍が起こした代表的な事件といえばこの「あさま山荘事件」です。この事件が起こったのは、1972年2月19日から2月28日までの間です。
当時、長野県の軽井沢にある日本赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に保養所だった保養所「あさま山荘」に、立てこもった事件です。犯人グループは散弾銃やライフル銃で武装し、警察の機動隊とのにらみ合いが続きました。10日後には機動隊が、クレーン車の鉄球で山荘の壁を打ち破るという強硬手段に出ました。
当時、長野県の軽井沢にある日本赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に保養所だった保養所「あさま山荘」に、立てこもった事件です。犯人グループは散弾銃やライフル銃で武装し、警察の機動隊とのにらみ合いが続きました。10日後には機動隊が、クレーン車の鉄球で山荘の壁を打ち破るという強硬手段に出ました。
この事件は、日本中でとても有名となり、ニュースの映像で機動隊員が「カップヌードル」を食べている姿も世間で話題となりました。この事件をモデルにした小説や映画などもその後、つくられました。
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