2019年8月16日 更新

左翼集団の代表格日本赤軍!その活動の全貌とメンバーの現在

新左翼系団体として、かつて世界同時革命を目指した日本赤軍という団体の名前を、あなたも一度は耳にしたことがあるかもしれません。この日本赤軍のメンバーは今も国際指名手配中です。ここでは、彼らが当時どのような活動をしていたのかを詳しく紹介していきます!

目次

そして、初公判から32年後の2007年の判決で、無期懲役が決定しました。現在は、熊本刑務所に収監されています。

他の日本赤軍の主要メンバー【逃亡者】

Adam Chen Chinese Symbol on Instagram: “#JapaneseRedArmy #日本赤軍 #FusakoShigenobu #重信房子” (560969)

ほかの日本赤軍の主要メンバーだった人には、今でも逮捕されずに逃亡している人も何人かいます。その人たちは一体どのような人なのかをここでは詳しくみていきましょう。

彼らは、今も国際指名手配をされていますが、有力な手掛かりは今だ見つかってないといいます。指名手配の写真を最近新しくしたというニュースもありましたが、果たして逮捕に至るのか今後の動向に注目しましょう!

岡本公三

Man Caught Mourning - Free image on Pixabay (561108)

岡本公三は、元日本赤軍のメンバーで、熊本県出身です。同じ日本赤軍でよど号ハイジャック事件の犯人の1人だった岡本武とは実の兄弟でした。

そして、1972年5月に当時最高幹部だった奥平純士、そして安田安之と共にテルアビブ空港乱射事件を実行しました。多くの死傷者が出る中、岡本はたった1人だけ現地の警察に逮捕されました。
Barbed Wire Court - Free photo on Pixabay (562122)

岡本公三はその後、現地で終身刑を受け、今でも海外で暮らしています。2003年に共同通信のインタビューに応じ「日本に帰って昔の友人たちに会いたい」と帰国したい旨を語っていました。

その時、岡本公三は健康に問題があり、この症状を岡本公三が現在いるレバノンの政府は「イスラエルの獄中で治安機関から拷問を受けた後遺症による精神疾患」という風に説明しています。この拷問によって岡本公三は、その後発語などに障害を負ったそうです。

坂東國男

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (561110)

坂東國男は、新左翼活動家であり、日本赤軍に幹部として参加する前もテロリストとして活動していました。大学中退後、連合赤軍として山岳ベース事件に関与し、1972年にはあさま山荘事件を複数のメンバーと共に起こしますが、2月28日に警察に逮捕され、40日間の黙秘を続けました。

しかし、その後事件中に自殺してしまった父親の位牌を見せられてしまい、徐々に山岳ベース事件やあさま山荘事件の詳細についての供述を始めたのです。
Camels Magi Desert - Free photo on Pixabay (561125)

しかしその後、海外で1975年に日本赤軍に参加し、幹部の重信房子の側近となったこともありました。2001年に重信房子が日本赤軍の解散宣言をした際に、大道寺あや子と一緒に日本赤軍解散宣言無効宣言を表明しました。今も坂東は指名手配されていますが、中東に拠点を置き世界各地でいまだ活動を続けているようです。

大道寺あや子

Ground Zero World Trade Center New - Free photo on Pixabay (561138)

大道寺あや子は、かつて美人テロリストとも呼ばれており、世間で話題になりました。もともとは新左翼武装組織東アジア半日武装戦線の元メンバーとして、連続企業爆破事件を起こします。

そしてダッカ日航機ハイジャック事件から日本赤軍に参加し、世界各地に日本赤軍の拠点を置くため、日夜活動を続けました。しかし、その後三菱重工爆破事件の犯人として夫と共に1975年に逮捕されますが、わずか2年後の1977年に釈放されましたが、その後の消息は知られていません。

佐々木規夫

Open Book Library Education - Free photo on Pixabay (561145)

佐々木規夫は、佐々木規夫は、大学入試に失敗し、家業を手伝った後に上京して兄がかかわっていた仕事と関りを持ち、それがきっかけで1967年頃から齋藤和と「朝鮮革命研究会」を結成します。

そして、1974年に大道寺将司からの勧誘がきっかけで部隊の一部として連続企業爆破事件に関与します。そして、三菱重工爆破事件では、犯行予告の電話をかけた犯人を任されました。
Plane Aircraft Take-Off - Free photo on Pixabay (561148)

しかし1975年5月にいったん佐々木は逮捕されてしまいますが、8月には釈放されました。そして、ダッカ日航機ハイジャック事件などにも関与したといわれており、現在も逃走中のため、国際指名手配をされています。

日本赤軍の現在

Summer Weather Fluffy Current - Free photo on Pixabay (529743)

しかし、1980年代以降にメンバーの何人かが警察に逮捕され、赤軍派の思想が時代遅れとなり、資金援助も困難になったことがきっかけで、1990年以降の日本赤軍は事実上の解散となりました。

さらに時を経てメンバーたちが徐々に高齢になった今どのように過ごしているのかみていきましょう。

2000年最高幹部重信房子の逮捕によって活動は下火になる

Police Crime Scene Fingerprint - Free image on Pixabay (561047)

1990年以降の日本赤軍は事実上解散したとされていましたが、一部でまだ活動は続いていました。しかし、これまで最高幹部としてグループをけん引してきた重信房子が、潜伏していた大阪の西成区で逮捕されたことがきっかけとなり、一気に活動は下火となっていき、沈静化されたといいます。

逮捕のきっかけは、公安にもたらされた「重信房子に似た女がいる」という情報と、その女性の指紋が一致したことと、たばこを吸うときの仕草が彼女と似ていたことでした。

解散宣言

Microphone Mic Words - Free image on Pixabay (561059)

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