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34年越しに無罪が確定した松橋事件
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松橋事件で逮捕された宮田浩喜さんは冤罪にもかかわらず無罪が言い渡されるまでに34年もかかりました。日本の冤罪事件は無罪が証明されるまでに長い時間を要するものが多いです。
松橋事件の概要や再審の内容、無罪までに34年もかかった理由について見ていきましょう。他にも有名な冤罪事件として免田事件や財田川事件などが挙げられます。
どの事件も無罪が確定するまでに長い年月を要していて濡れ衣を着せられた人たちは辛い思いをしました。
松橋事件の概要や再審の内容、無罪までに34年もかかった理由について見ていきましょう。他にも有名な冤罪事件として免田事件や財田川事件などが挙げられます。
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松橋事件の概要
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松橋事件は1985年に熊本県で発生した殺人事件に伴う冤罪事件です。被害者と口論になっていたことで犯人として疑われ自白を強要されました。
無罪を主張しましたが懲役13年の判決を受けて服役しています。服役した後に成年後見人によって再審請求がなされました。松橋事件の概要を見ていきましょう。
無罪を主張しましたが懲役13年の判決を受けて服役しています。服役した後に成年後見人によって再審請求がなされました。松橋事件の概要を見ていきましょう。

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1985年熊本県で男性の遺体発見
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1985年1月8日に熊本県下益城郡松橋町で59歳の男性の遺体が発見されました。推定死亡時期は1月4日から6日の間で、死因は頸部を刃物で刺されたことによる失血死でした。
1月5日の夜に被害者の自宅で将棋仲間4名が宴会を開いており、その中の一人である宮田浩喜さんが被害者と激しい口論になっていたことが判明します。
口論の末に宮田さんは被害者宅を追い出されていたことから警察は1月8日の夜から事情聴取を始めました。
1月5日の夜に被害者の自宅で将棋仲間4名が宴会を開いており、その中の一人である宮田浩喜さんが被害者と激しい口論になっていたことが判明します。
口論の末に宮田さんは被害者宅を追い出されていたことから警察は1月8日の夜から事情聴取を始めました。
宮田浩喜さんが自白を強要されて逮捕となる
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警察は8日から20日までの間に9日間も任意で厳しい取り調べをしました。容疑は否認していましたが長時間の取り調べと警察の厳しい態度に疲れてしまい「否認したまま逮捕してくれ」と懇願するほどになっていました。
追い詰められた結果、1月20日に自白をして逮捕されます。任意の取り調べを断った日にも警察が訪れ持病の腰痛がある宮田さんは苦しい思いをしました。
2月10日に殺人罪、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反で起訴されています。殺人罪以外の容疑でも起訴されたのは拳銃と実包を所持していることを供述したからです。
追い詰められた結果、1月20日に自白をして逮捕されます。任意の取り調べを断った日にも警察が訪れ持病の腰痛がある宮田さんは苦しい思いをしました。
2月10日に殺人罪、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反で起訴されています。殺人罪以外の容疑でも起訴されたのは拳銃と実包を所持していることを供述したからです。
裁判では無罪を主張
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国選弁護人の弁護方針に従い1985年4月8日に開かれた初公判では起訴事実を認めました。しかし6月25日に開かれた第4回の公判では曖昧な供述に変わり8月13日の第5回公判では起訴内容を否認するように態度が変化していきます。
目撃者がいないことや物証がないこともあり、裁判では宮田さんの自白をどう評価するかが争点となりました。宮田さんが殺害を否認するようになったため国選弁護人は三角修一弁護士に交代しています。
目撃者がいないことや物証がないこともあり、裁判では宮田さんの自白をどう評価するかが争点となりました。宮田さんが殺害を否認するようになったため国選弁護人は三角修一弁護士に交代しています。
懲役13年の判決が下される
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1986年12月22日に懲役13年の判決が下されました。犯行の動機は口論がきっかけであることは不自然ではないとし、自白についても供述内容は変わっているものの基本的なところは一貫していると判断されて自白の信用性が認められたためです。
さらに自白は強制的なものではなかったと判断され任意性も認められました。控訴、上告をして無罪を主張しましたが控訴も上告も棄却されて1990年2月14日に有罪が確定します。
さらに自白は強制的なものではなかったと判断され任意性も認められました。控訴、上告をして無罪を主張しましたが控訴も上告も棄却されて1990年2月14日に有罪が確定します。
1999年刑期満了
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宮田さんは服役することになり1999年3月26日に仮釈放され7月22日に刑期を満了しました。上告審で国選弁護人となっていた齊藤誠弁護士は再審請求を視野に入れていました。
かつて国選弁護人を務めた三角修一弁護士の息子である三角恒弁護士も弁護団に加わり自供内容や証拠物の調査を始めます。調査を進めていく中で自供内容におかしいところがあることや警察が証拠物を隠ぺいしていたことが明らかになりました。
再審の申し立て時には宮田さんは認知症を患っていたため、衛藤二男弁護士が成年後見人にとなり2012年3月12日に再審請求をしました。
かつて国選弁護人を務めた三角修一弁護士の息子である三角恒弁護士も弁護団に加わり自供内容や証拠物の調査を始めます。調査を進めていく中で自供内容におかしいところがあることや警察が証拠物を隠ぺいしていたことが明らかになりました。
再審の申し立て時には宮田さんは認知症を患っていたため、衛藤二男弁護士が成年後見人にとなり2012年3月12日に再審請求をしました。
警察に自白させられた内容
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宮田さんは無実にもかかわらず自白を強要されて逮捕されました。警察は被害者と口論になっていた宮田さんが殺意を抱いて殺害したのだと決めつけていたため殺害方法についても詳しく自白させています。
自白通りに証拠物が出てこなかった場合は供述を変更させて、切り出し小刀で殺害し巻き付けていた布片は燃やしたことにさせました。
警察に自白させられた内容を見ていきましょう。
自白通りに証拠物が出てこなかった場合は供述を変更させて、切り出し小刀で殺害し巻き付けていた布片は燃やしたことにさせました。
警察に自白させられた内容を見ていきましょう。
被害者と口論になったことがきっかけで殺意を抱く
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逮捕された後の供述では被害者と口論になったことがきっかけで殺意を抱いたとしています。供述したと言われている内容は、「口論の際に俺には暴力団がいっぱいついとるからお前を殺すのはわけなかぞと脅されたため自転車で帰宅しました」
「しかし口論の内容を思い出して怒りが再燃し、殺される前に殺してやろうと考えて被害者の家近くに戻りました。ちょうど他の将棋仲間を被害者が家まで送るところだったので後をつけ、切り出し小刀で首を刺して殺しました」です。
「しかし口論の内容を思い出して怒りが再燃し、殺される前に殺してやろうと考えて被害者の家近くに戻りました。ちょうど他の将棋仲間を被害者が家まで送るところだったので後をつけ、切り出し小刀で首を刺して殺しました」です。
切り出し小刀で殺害
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