2019年7月24日 更新

無罪確定までに34年を要した松橋事件とは?事件の概要と問題点

無罪が言い渡されるまでに34年間も要した冤罪事件である松橋事件をご存知でしょうか。捜査に問題点が多かったので担当刑事や国選弁護士までが批判を受けることになりました。警察が犯人を決めつけていたため未だに真犯人は捕まっていません。

目次

Knife Sharp Blade - Free photo on Pixabay (505428)

切り出し小刀で殺害した後に、使用した軍手は川に投げ捨てて自宅のお風呂場で切り出し小刀についた血を洗い流して砥石で研いだと供述しました。

また被害者宅を出る時に被害者の自転車にぶつかり、怒りが収まらなかったため土手に投げ捨てたとも話しました。切り出し小刀は逮捕された1985年1月20日に犯行に使ったものだとして提出しています。

しかし川から軍手が見つからなかったことや切り出し小刀から血液反応がでなかったことを指摘されて供述内容を変更しました。

切り出し小刀に巻きつけていた布片は燃やした

Fire Flame Carbon - Free photo on Pixabay (505430)

軍手は川へ投げ捨てておらず風呂の釜口で燃やしたと供述を変更しています。凶器から血液反応が出なかったことについては、犯行時血がつかないように古いシャツを切った左袖部分の布を切り出し小刀に巻き付けていたからだとしました。

布も軍手と一緒に燃やしたと供述しています。犯行を行った際にはゴム底靴を履き、宴会に出かけた時に履いていた革底靴は1月18日に燃やして残った金具は石油缶の中に捨てたと話しました。

供述を変えたのは1985年2月5日で同時に拳銃や実包の所持についても話しています。

自白の矛盾点

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無理やり自白をさせたため供述内容には事実と異なる点が浮上しました。燃やしたと供述していた布片が見つかったり凶器が切り出し小刀ではないことが明らかになったのです。

さらに警察が証拠を隠ぺいしていたことがわかりました。犯行時刻より後の被害者の目撃証言をなかったことにしただけではなく犯行時履いていたとされる靴の足跡が見つかっていないことを隠していたのです。

自白の矛盾点を見ていきましょう。

燃やしたとされる布片が見つかる

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1997年9月1日に弁護団が証拠物の閲覧をしていた時に燃やしたと話していたシャツの布片を見つけました。残されていた布片を組み合わせるともとのシャツの形と一致し、血液反応がないことも判明しました。

残されていた布片5点のうち3点は1985年1月21日に領置され、残りの2片も2月6日と2月14日には領置されていまた。警察は燃やしたと自白していた布片が残っていることを知っていたにもかかわらず裁判では存在を明らかにしていなかったことがわかったのです。

切り出し小刀が凶器ではないことが判明

Kitchen Knife Blade - Free image on Pixabay (505439)

弁護団は1993年に日本医科大学の大野曜吉教授に法医学鑑定を依頼していました。事件直後に遺体の司法解剖をしていた人物は鑑定書を完成させる前に死亡していて裁判で証拠として採用されたのは警察の捜査報告書だったからです。

解剖時に作成していた鑑定書の控えが残されていたため大野教授は鑑定書控を元に傷の検討を始めます。2007年に鑑定書は完成し、傷のうち2か所は切り出し小刀より幅が狭いものが使われていて切り出し小刀は凶器ではないことが明らかになりました。

さらに小刀が刺さって血があふれ出したのを見たと自供していましたが致命傷となった傷は服の上から刺されたもので自供と矛盾することがわかりました。

犯行時刻より後に被害者が目撃されていた

Time Timer Clock - Free photo on Pixabay (505440)

自供により犯行時刻は1月6日の午前1時30分頃だとされていましたが、翌朝に被害者を見かけたとする目撃証言があることが判明しました。

目撃者は警察にも証言していましたが激しく追及をうけて被害者を見かけたのは事実ではないとする文書を書かされていました。

宮田さんは将棋仲間を見送った被害者の後をつけて行って、深夜でも遠くまでよく見えたと供述していましたが実際には満月の夜でも遠くまで見ることはできないことも判明します。

土足のまま上がり込んだのに足跡がない

Shoe Print Sole Reprint - Free photo on Pixabay (505442)

ゴム底靴を履いたまま部屋に上がり込んで犯行に及んだと供述していましたが、室内からも被害者宅の周辺からもゴム底靴の足跡は検出されていないことがわかりました。

他にも被害者の後をつけていく時に通った家の電気がついていたと供述したのは犯人しか知り得ないことだと裁判では主張されていたことについて、自供する前から警察が情報を知っていたことが明らかになりました。

事実を把握していた警察が情報を隠したまま自白を強要した可能性は十分に考えられます。

2016年再審決定

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2016年に再審が開かれることが決定しましたが再審の初公判が行われたのは2019年です。再審請求中に父の無実を信じていた長男が病死したり宮田さん自身も寝たきりになったりと困難に襲われました。

ようやく2019年に行われた再審で宮田さんの無罪が確定することになります。事件からは34年の月日が経っていました。無罪が確定するまでの間に起きたことを見ていきましょう。

検察が即時抗告や特別抗告をしたため再審が開かれたのは2019年

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弁護団は燃やしたと供述していたシャツの布片が見つかったことや切り出し小刀と遺体の傷が矛盾すること、致命傷となった傷は服の上から刺されたもので血が出るのが見えたとする供述と矛盾することなどから無罪は明らかだとして再審開始を求めました。

しかし検察側は証拠に明白性がないとして争い、シャツの布片についても別の布片だった可能性があると主張しました。裁判所と検察、弁護団の三者協議は19回にもおよび2012年11月27日から2015年12末まで続くことになります。

2016年6月30日にようやく再審開始が決定しましたが検察は7月2日に即時抗告をして、2017年11月29日に即時抗告を棄却された後12月4日に特別抗告をしています。2018年10月10日に特別抗告が棄却されて2019年2月8日に再審初公判が開かれました。

父の無実を信じていた長男は2017年に病死

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宮田さんの長男は再審請求中に高齢の父親が亡くなる可能性に備えて、成年後見人の弁護士だけでなく長男自身も再審を請求していました。

2015年9月17日の再審請求は家族に迷惑をかけられないとして離婚した上での請求でした。しかし即時抗告審が行われていた2017年9月に病死しています。

死亡したことで長男の再審請求手続きは終了しましたが、父親の無罪を証明するためにずっとそばで支えてきた人物でした。誰よりも無罪の判決を聞きたかったのは長男であるため無罪判決が確定する前に亡くなることはとても悔しかったでしょう。

宮田浩喜さんは認知症を患い寝たきりの状態

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