2019年9月26日 更新

池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件の概要や犯人の現在についても

残虐極まりない犯行で日本中を震撼させた横浜バラバラ強盗殺人事件。死刑判決が下された池田容之は現在どのような心境で刑の執行を待っているのでしょうか?その生い立ちや高校時代、その後の転落を紹介するとともに、黒幕と噂される工藤明生なる人物についても迫っていきます。

目次

1954年9月、現在の埼玉県川越市で19歳の女性が古屋栄雄という男に殺害されました。古屋は女性の首を絞めて殺害した後、遺体をバラバラにして現場周辺の畑や肥溜めなどに遺棄するという残虐な行為に及びました。

しかし古屋は逮捕後、被害女性とは面識がなく、自分が好意を寄せている別の女性Aだと思い込み、人違いで殺害したと供述しました。

古屋はダンスホールで出会ったAが優しく接してくれたことから、自分に好意を寄せていると勘違いし、以後Aにつきまとうようになります。そして人違いで無関係の女性を殺害することとなりました。

さらに、法廷で行われた控訴審で証人として出廷したAが、「勝手に私のことを恋人と思っているだけで、私には関係ない」と証言すると、古屋は激高、隠し持っていた竹べらでAの胸を刺し、全治2週間の怪我を負わせます。

この事件のこともあって、古屋には死刑判決が言い渡されました。

池田容之は罪を悔いているのだろうか?

Skull Butterfly Beetle - Free photo on Pixabay (663731)

生きたまま被害者の首を切断するという、犯罪史上稀に見る残虐な事件を起こした池田容之。公判に参加した裁判員の男性は、池田の様子について、「公判を重ねていくうちに、明らかにその態度に変化が見られ、涙を流して己の行いを悔いているなど、反省している様子が見て取れた」と語っています。

しかし、犯行時の池田の様子からは、全くもって人間性のようなものは感じられませんでした。そのような邪悪な性質が、果たして公判が行われて判決が出るまでの1年や2年で変化するものでしょうか。自ら控訴を取り下げるなど、一見殊勝な態度も見せている池田ですが、その心の内は池田自身にしか分かりえないことです。

また、現在も国外に逃亡している首謀者の近藤剛郎についても、一日でも早く捕まり、この事件が本当の終結を迎えることを願うばかりです。

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