2019年9月20日 更新

フライデー襲撃事件の全貌解説!関わったのはたけし軍団

バラエティや報道番組の司会者や映画監督、演者としてまで幅広いジャンルで活躍するビートたけしさん。国内では知らない人はいないくらいの大御所芸能人の一人です。実はビートたけしさん、過去に事件を起こしていたのを知っていますか?フライデー襲撃事件特集です。

目次

作家でもあり元長野県知事の田中康夫さんも、この事件について反応を示しています。田中康夫さんはフライデー襲撃事件の裁判も傍聴していて、事件概要を細かく発信しました。

フライデー編集部へ軍団と共に向かった際には「手を出さないように」と伝えていたことから、話し合いをするために向かったのでは無いかということが考えられます。

しかし「自分は空手が得意だ」という現場にいた編集者の挑発的ともとれる言葉により、暴行に発展してしまったことが明らかになりました。

筒井康隆

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作家である筒井康隆さんは、フライデー襲撃事件について独自の見解を示しています。「良い」「悪い」論じる必要はなく、法に任せておけば良いと世論を一刀両断しました。

筒井さんの手記を要約すると、そもそもビートたけしさんは反社会的な独自性があることから、人気を集めた芸人。芸人を始めとしたタレントは日本において「異人」扱いされていることがほとんどにも関わらず、事件を起こすと良識を押し付けるのはいかがなものかという反応を見せました。

ビートたけしさんや事件についての見解は「噂の真相」にて、長文で綴られています。

タモリ

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お笑いBIC3としてビートたけしさんと肩を並べるタモリさんも、この事件が起きた後は記者たちに囲まれコメントを求められました。その際もタモリ節は炸裂。言いたい事があれば本人に直接伝えるし、友人同士の会話を校内放送する人はいないだろうと多くは語りませんでした。

あまり接点は無さそうな2人ですが、ビートたけしさんが芸能界にいるから自分もいるという話をしている程、深い絆で結ばれています。2人の間で事件について、どのような話しをしていたのかは定かではありません。

番組への影響

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前述しているようにフライデー襲撃事件は、主犯でもあるビートたけしさんが人気絶頂中のさなか起きました。それだけ交際中の女性に対する出来事や、自身の家族に対する加速される取材に対して頭に血が昇ってしまったと容易に想像できます。

人気絶頂中というだけあり、数々のTV番組に影響をもたらしました。それはレギュラー番組だけではなく、ラジオ番組や自身を主役としたゲームソフト、商品のCMなど多岐に渡っています。

主に影響を与えた10種類の媒体について紹介します。対応方法はさまざまでした。

たけし軍団!ヒット&ビート

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たけし軍団にとって初めての冠番組だったのが「たけし軍団!ヒット&ビート」でした。1986年1月から放送されていましたが、フライデー襲撃事件が起きた1986年12月以降は逮捕メンバーを外すことを決定。そのまま番組自体が打ち切りとなりました。

打ち切りが決定した後は、数ヶ月特番を放送していましたが1987年4月より新しい番組をスタート。たけし軍団にとって初めて掴んだ大きなチャンスとも言える冠番組は、わずか1年弱で終了してしまいました。

天才・たけしの元気が出るテレビ!!

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一般人を積極的に採用し、ドキュメントバラエティの元祖とも言われているのが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」です。翌日の仕事のことを考えると憂鬱になってしまう日曜日の時間に元気になってもらおうと、この番組名がつけられました。

ビートたけしさんが謹慎している間は、代役として山田邦子さんが司会を努め番組を守っていたと言われています。その間も「社長(ビートたけしさん)は海外出張中」として、居場所を残していたのはいかにもバラエティ番組らしい策です。

フライデー襲撃事件後も人気はキープしていましたが、ビートたけしさんのバイク事故による半年間の休養で徐々に人気に陰りを見せるようになりました。

スーパーJOCKEY

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毎週日曜日の昼下がり、家族みんなでテレビを見る時間帯に放送されていたのが「スーパージョッキー」です。熱湯に浸かることができた秒数分だけ宣伝ができる”熱湯コマーシャル”は、現在も記憶に残っている人も多いのではないでしょうか?

この番組も「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」と同じように、ビートたけしさんの代わりに山田邦子さんが司会を務めました。数々のコーナーはダチョウ倶楽部や大川興業、事件に携わっていないたけし軍団メンバーでフォローしていたようです。

数あるレギュラー番組の中でも、一番最初に復帰を果たしたのがこの番組です。

ビートたけしのスポーツ大将

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1985年4月からスタートした「ビートたけしのスポーツ大将」。たけし軍団VSたけし軍団セピアや、一般人・スポーツ選手などを巻き込んでのスポート対戦が企画として行われていました。

フライデー襲撃事件後は番組タイトルから、ビートたけしさんの名前を削除し放送を継続していたようです。事件に携わっていないつまみ枝豆さんやラッシャー板前さんにより、番組を続けていましたが惜しまれながら事件翌年3月に番組が終了。

ビートたけしさんの復帰に合わせて、1988年2月から同じ番組をスタートさせました。

痛快なりゆき番組 風雲!たけし城

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視聴者がアトラクション感覚で参加できるバラエティ番組「痛快なりゆき番組風雲!たけし城」。ビートたけしさんらが謹慎している間は、前述している「ビートたけしのスポーツ大将」と同様につまみ枝豆さん、ラッシャー板前さん、井手らっきょさんの3人で番組を守りました。

ビートたけしさんの代役は、影武者としてお面をかぶったラッシャー板前さんが音声無しのジェスチャーのみで対応しました。チャレンジクリアすると100万円獲得できるということもあり、応募者が絶えませんでした。

オレたちひょうきん族

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バラエティ番組の礎を築いたと言っても過言ではない「オレたちひょうきん族」にも、ビートたけしさんはレギュラー出演していました。ビートたけしさんの他に明石家さんまさんや島田紳助さん、片岡鶴太郎さんなどレギュラー出演していたのは現在では大御所と呼ばれる人たちばかり。

フライデー襲撃事件後は明石家さんまさんとビートたけしさんの2人で行うコーナーを、たけしさん扮する”タケちゃんマン”不在のまま放送された。この番組は1981年5月~1989年10月まで放送されています。

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