目次
- ビートたけしは昔事件を起こしていた?
- フライデー襲撃事件の概要
- 1986年12月8日記者が女性に取材
- 1986年12月9日たけし軍団でフライデー編集部へ
- 編集部内で乱闘
- 事件に関わったたけし軍団
- 柳憂怜
- 大森うたえもん
- ガダルカナル・タカ
- ダンカン
- 東国原英夫
- サード長嶋
- キドカラー大道
- グレード義太夫
- 松尾伴内
- 大阪百万円
- 水嶋新太郎
- 著名人の反応
- 横山やすし
- 田中康夫
- 筒井康隆
- タモリ
- 番組への影響
- たけし軍団!ヒット&ビート
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!
- スーパーJOCKEY
- ビートたけしのスポーツ大将
- 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
- オレたちひょうきん族
- 世界まるごとHOWマッチ
- ビートたけしのオールナイトニッポン
- たけしの挑戦状
- アサヒビール
- フライデー襲撃事件によるビートたけしへの影響
- 半年間の活動自粛
- 懲役6ヶ月
- 執行猶予2年
- フライデー襲撃事件の後日談
- 抗議をするだけで殴るつもりはなかった
- 一発殴って終わりにして、編集部員も含めてみんなで飲みに行くつもりだった
- 編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至った
- 1987年約7ヶ月ぶりに生放送へ復帰
- 1988年草野球の交流試合が行われ、正式な和解
- フライデー襲撃事件で残したビートたけしの名言
- こいつら(軍団)には手錠しなくてもいいでよくね?
- 悪かったな。お前らには感謝してるぜ…
- 俺が一生面倒見てやるから
- マスコミの反応
- フライデー
- FOCUS
- 週刊ポスト
- スポーツ紙
- ビートたけしの記者会見への評判は良かった?
- ビートたけしの人間力が凄い
ビートたけしは昔事件を起こしていた?
via pixabay.com
ビートたけしさん(本名・北野武)さんは、東京都出身のお笑い芸人です。バラエティや報道番組の司会者、映画監督など幅広いジャンルで活躍しています。
タモリさん、明石家さんまさんと共にお笑いBIC3に並んでいる1人です。1989年に「その男、凶暴につき」で映画監督デビュー。8年後の1997年には「HANA-BI」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。
あらゆる舞台で才能を発揮しているビートたけしさん。実は過去に日本中が注目した事件を起こしたことがあったのです。
タモリさん、明石家さんまさんと共にお笑いBIC3に並んでいる1人です。1989年に「その男、凶暴につき」で映画監督デビュー。8年後の1997年には「HANA-BI」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。
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バナナマン日村がフライデーで淫行報道!日村擁護派が多い理由は? - POUCHS(ポーチス)
バナナマンの日村さんは現在結婚されていますが、16年前の淫行報道がフライデーされました。淫行したというのは悪いことですが、日村さんだけに非があるとは思えないような報道でした。その件で日村さんを擁護する意見が多いといいます。その理由についてもご紹介します。
フライデー襲撃事件の概要
via pixabay.com
ビートたけしさんが過去に起こした事件を知っていますか?その事件は1986年(昭和61年)にフライデー編集部にて発生しました。その事件の名は「フライデー襲撃事件」。
好感度が命も言われる芸能界において、このような事件を起こせば活躍の場を一気に失いそうなものですが、ビートたけしさんは半年の謹慎生活で表舞台に姿を現しました。
その時代の風潮もあったかもしれませんが、何よりもビートたけしさんの人柄を評価した声が多かったこともこの事件の特徴です。まずは事件の詳しい概要についてみていきましょう。
好感度が命も言われる芸能界において、このような事件を起こせば活躍の場を一気に失いそうなものですが、ビートたけしさんは半年の謹慎生活で表舞台に姿を現しました。
その時代の風潮もあったかもしれませんが、何よりもビートたけしさんの人柄を評価した声が多かったこともこの事件の特徴です。まずは事件の詳しい概要についてみていきましょう。
1986年12月8日記者が女性に取材
via pixabay.com
フライデー襲撃事件のきっかけとなったのが、事件が起きた1986年12月8日前日の出来事でした。当時ビートたけしさんがその時に交際していたと言われる専門学生の女性に取材した記者が、強引な取材を行ったことが理由です。
当時の交際相手とされる女性の学校前で待ち伏せをし、強行取材を実行。無言で立ち去ろうとした彼女に対して、録音機器を顔に押し付けたり手を掴み引っ張ったりすることで、全治2週間の怪我を負わせました。
この事件が起きる前もプライベートに踏み込んだ取材が横行し、我慢の限界に来ていたようです。
当時の交際相手とされる女性の学校前で待ち伏せをし、強行取材を実行。無言で立ち去ろうとした彼女に対して、録音機器を顔に押し付けたり手を掴み引っ張ったりすることで、全治2週間の怪我を負わせました。
この事件が起きる前もプライベートに踏み込んだ取材が横行し、我慢の限界に来ていたようです。
1986年12月9日たけし軍団でフライデー編集部へ
via pixabay.com
突撃取材をされて怪我をした女性から話を聞いたビートたけしさんは、フライデー発行元である講談社へ電話で抗議をしました。本来であれば電話だけの話で済ませるつもりでしたが、解決の糸口は見えずビートたけしさん宅へさらなく取材をされる可能性があったため、襲撃を決意。
1986年12月9日深夜3時ころに、たけし軍団を引き連れて講談社フライデー編集部へと向かいました。その際、タクシー3台で講談社へと乗り付けたと言われています。
1986年12月9日深夜3時ころに、たけし軍団を引き連れて講談社フライデー編集部へと向かいました。その際、タクシー3台で講談社へと乗り付けたと言われています。
編集部内で乱闘
via pixabay.com
ビートたけしさんが講談社へと向かったのは、その事件となるきっかけを作った記者と話をするためでした。電話口では「いる」と言われていた記者本人は不在。どちらかともなくもみ合いになり、傘や消火器を使い怒鳴り合いながら暴行に及んでしまいました。
後の供述によるとビートたけしさんは、暴行はせずに話し合いで決着をつける旨をたけし軍団に話していたようです。しかし当時その現場にいた編集部員による挑発によりカッとなり、手を出してしまったと言われています。
後の供述によるとビートたけしさんは、暴行はせずに話し合いで決着をつける旨をたけし軍団に話していたようです。しかし当時その現場にいた編集部員による挑発によりカッとなり、手を出してしまったと言われています。
事件に関わったたけし軍団
via pixabay.com
芸能人の生活やスキャンダルを暴露することを生業とすることが多い週刊誌。それは良くも悪くもターゲットとなった芸能人の印象を大きく左右します。
その週刊誌の発行元である編集部へ”物言い”をするということは、かなりの勇気の要る行為と言えるでしょう。ビートたけしさん本人だけではなく、たけし軍団メンバーも相当な決意のもの実行したものと思われます。
そして決意だけではなく、お互い強固な信頼関係が無いとここまでの出来事を共に行動にしなかったはずです。フライデー襲撃事件に携わったたけし軍団メンバーは次の11人でした。
その週刊誌の発行元である編集部へ”物言い”をするということは、かなりの勇気の要る行為と言えるでしょう。ビートたけしさん本人だけではなく、たけし軍団メンバーも相当な決意のもの実行したものと思われます。
そして決意だけではなく、お互い強固な信頼関係が無いとここまでの出来事を共に行動にしなかったはずです。フライデー襲撃事件に携わったたけし軍団メンバーは次の11人でした。
柳憂怜
via pixabay.com
現在は柳憂怜さんという名前で俳優として活躍していますが、事件当時はお笑い芸人「柳ユーレイ」でした。この芸名はビートたけしさんが「幽霊みたいだ」と彼の印象を離したことから、そのまま芸名として採用されました。
1990年にビートたけしさんが監督する映画に出演して以降、俳優としての才能を見出され活躍の場が拡大。特にホラー映画での出演が多く「呪怨ーTHE MOVIE」や「リング」など日本中で注目された作品にも出演しています。
1990年にビートたけしさんが監督する映画に出演して以降、俳優としての才能を見出され活躍の場が拡大。特にホラー映画での出演が多く「呪怨ーTHE MOVIE」や「リング」など日本中で注目された作品にも出演しています。
大森うたえもん
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たけし軍団の2番手の弟子とも言われているのが、大森うたえもんさん。現在は宮崎県で声優や俳優を育成する学校の校長を努めています。学生時代は教師を目指していたが、試験に落ちたことでお笑い芸人への道を決意しました。
学校卒業後はTV局ADを経てお笑い芸人となり、そのまんま東さんとコンビを組みバラエティ番組がきっかけでたけし軍団入り。軍団入りした後は、他のメンバーには無い個性を活かし替え歌芸などで活躍していました。
俳優を目指すために、たけし軍団から脱退することを決意。話し合いはスムーズにいかず、喧嘩別れのような状態での脱退となりました。
学校卒業後はTV局ADを経てお笑い芸人となり、そのまんま東さんとコンビを組みバラエティ番組がきっかけでたけし軍団入り。軍団入りした後は、他のメンバーには無い個性を活かし替え歌芸などで活躍していました。
俳優を目指すために、たけし軍団から脱退することを決意。話し合いはスムーズにいかず、喧嘩別れのような状態での脱退となりました。
ガダルカナル・タカ
via pixabay.com
コメンテーターとして現在も目にすることが多い、ガダルカナル・タカさんもフライデー襲撃事件関係者の1人です。俳優としても活躍していて、様々なドラマにも出演しています。
同郷の後輩である、つまみ枝豆さんと共にコンビを組み2人でたけし軍団入りしました。同時期に入団したにも関わらず、つまみ枝豆さんはフライデー襲撃事件には参加していません。
これはビートたけしさんが、本当に怖い人間だと評しあえて呼ばなかったからだと言われています。
同郷の後輩である、つまみ枝豆さんと共にコンビを組み2人でたけし軍団入りしました。同時期に入団したにも関わらず、つまみ枝豆さんはフライデー襲撃事件には参加していません。
これはビートたけしさんが、本当に怖い人間だと評しあえて呼ばなかったからだと言われています。
ダンカン
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