2019年8月4日 更新

メキシコの麻薬王ホアキン・グスマン通称エルチャポの所業と現在は?

メキシコの巨大麻薬カルテルのボス、ホアキン・グスマン。2度の脱獄を経て2019年7月、長い裁判の末ついに判決を下されました。そんなホアキン・グスマンの半生と現在、SNSでの異質な写真で有名なグスマンの息子についてまで、グスマンについて丸ごと紹介します!

麻薬王ホアキン・グスマン

Day Of The Dead Skull Sugar - Free vector graphic on Pixabay (526063)

麻薬王ホアキン・グスマン(本名ホアキン・アルチバルド・グスマン・ロエーラ)は、アメリカのフォーブス誌で「史上最大の麻薬王」と呼ばれるほど悪名高く、世界中から恐れられている人物です。

巨大な総資産額や数々の脱走劇で世間を騒がせたグスマンは、2019年現在身柄を拘束されています。アメリカ合衆国連邦政府に「地球上で最も残酷で危険で恐ろしい男」と言わせたグスマンの生い立ち、脱獄劇、逮捕に至るまで詳しく紹介します。

ホアキン・グスマン(エルチャポ)について

Man Portrait Gloomy - Free photo on Pixabay (526065)

ホアキン・グスマン(通称エルチャポ)は1957年4月4日、6人兄弟の長男として貧しい家庭で生まれました。実際にはグスマンは長男ではなく、上に3人兄がいたのですが、貧しさのためか幼くして死亡しています。

幼い頃から家計を助けようと奮闘していたグスマンが、麻薬組織に加入することになった経緯とはどんなものだったのでしょうか。

エルチャポはチビの意味

Balancing Chair Fashion - Free photo on Pixabay (526074)

ホアキン・グスマンは、幼い頃からエルチャポというあだ名で呼ばれていました。エルチャポとはスペイン語で「チビ」という意味です。そんな彼の身長は164センチと言われていますが、155センチという説もあります。

そんな小柄なエルチャポは、後にメキシコ・アメリカ間の麻薬密輸の役4分の1という莫大な量の麻薬を扱う組織のトップになるのです。「チビ」というあだ名とは裏腹にグスマンの残虐性は有名で、対立組織からも恐れられる程だったのです。

メキシコのシナロア・カルテル

Mexico Flag Mexican Of - Free image on Pixabay (526078)

エルチャポは最終的にメキシコのシナロア・カルテルという麻薬密売組織の最高幹部としてその名を轟かせます。シナロア・カルテルはホアキン・グスマンやイスマエル・サンバーダ・ガルシーアなど5人を中心に1989年に結成されました。

カルテルとは中南米もしくは南米諸国で呼ばれる麻薬密売・密輸組織のことです。麻薬の製造・売買を行い、政府や軍並みの大きな武装勢力を持つのが特徴です。シナロア・カルテルはメキシコのシナロア州やソラノ州が本拠地で、後にメキシコ最大の犯罪組織、麻薬カルテルへと成長します。

生まれた家は農家

Nature Landscape Field - Free photo on Pixabay (526079)

そんなエルチャポことホアキン・グスマンはメキシコのシナロア州はバディラグアトという、最寄りの学校からは100Kmも離れているほど田舎の貧しい農家で生まれ育ちました。

教師が月に何回か訪問教育を行いましたが、小学校三年生くらいの教育までしか受けることがないままグスマンは教育を受ける機会を放棄することになります。あまりの貧困と現在の総資産額のギャップなどから、グスマンは現在ロビン・フッドになぞらえられることもあります。

父親はギャンブル狂

Play Card Game Poker - Free photo on Pixabay (526080)

グスマンの父親はマリファナやケシの実を栽培、売買する仕事をしていました。しかしギャンブル狂い、女好きという悪い癖から稼いだお金もすぐに使い、家族のこともよく殴ったと言われています。

父親に代わって家計を助けるためグスマンは教育を受ける機会を放棄し、父親がやっていたマリファナやケシの実を収穫、売買する仕事を始めます。産業もない田舎で他に仕事を探すのも困難な状態でした。結果グスマンは、10代の頃から麻薬栽培を始めることになります。

麻薬組織に加入した経緯

Addict The Dependence Of Drug - Free photo on Pixabay (526081)

成長していくにつれ、だらしなく無能な父親を見限るようになったグスマンは家を出て祖父と暮らすようになります。そんな中、グスマンが20歳くらいの頃に、元警官のミゲル・アンゲル・フェリックス・ガジャルドガボスの麻薬密売組織に加入することになります。

ずっと故郷を出たかったグスマンは1980年、この組織に加入することで故郷を離れることになります。また、この組織に加入したことが、グスマンが今後メキシコ最大の麻薬王になることのきっかけであったことは言うまでもありません。

信頼を勝ち取り組織をのし上がる

Overcoming Victory Crutch - Free image on Pixabay (526771)

ミゲル・アンゲル・フェリックス・ガジャルドガボス率いる麻薬組織はグアダラハラ・カルテルという名で、麻薬密売組織の先駆者的な存在でした。グスタフは、このカルテルでのちのシナロア・カルテルのボスとなるヘクター・ルイス・パルマ・サラザールのもとで働くことになります。

残酷なまでに組織のルールを守るグスタフは頭角を現し、1980年代後半にはグアダラハラ・カルテルのボスの専属運転手を任されるようになります。これはつまり、ボスからの信頼を勝ち取ったということを意味するのです。

輸入される麻薬の管理に任命

Suit Man Dapper - Free photo on Pixabay (526787)

グスタフは専属運転手になる前、組織に加入した当初はメキシコからアメリカに密輸される麻薬の監視する役目を担っていました。メキシコとアメリカの国境で麻薬の空輸状況を監視するグスマンは、密輸業者が1秒でも遅れると容赦なく射殺するなどし、周囲から恐れられていました。

そのような、残酷ながらも身内のルールに忠実なグスマンは上層部からの信頼を得て、アメリカだけでなくコロンビア間の麻薬密輸の管理も任命されるようになります。

組織の経過について

Woman Fashion Portrait Grown - Free photo on Pixabay (526804)

1 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪