目次
- 麻薬王ホアキン・グスマン
- ホアキン・グスマン(エルチャポ)について
- エルチャポはチビの意味
- メキシコのシナロア・カルテル
- 生まれた家は農家
- 父親はギャンブル狂
- 麻薬組織に加入した経緯
- 信頼を勝ち取り組織をのし上がる
- 輸入される麻薬の管理に任命
- 組織の経過について
- ルートの開拓・権益の引継で組織巨大化
- アメリカ麻薬取締局の動き
- カマレナの裏切り
- グスマンの捜査が始まる
- ガシャルド逮捕時に偽名を利用
- アメリカ当局がグスマンの実態を掴む
- グスマンの精巧な麻薬輸送手口
- グスマンの脱獄劇
- 看守に賄賂を仕込み脱獄
- その後も麻薬関係で行動
- 身柄を拘束される
- 地下トンネルから2度目の脱獄
- 銃撃戦後に再び捕まる
- グスマンが脱獄に使用した費用の説
- 裁判の行方とエルチャポの現在
- 10の罪全てに有罪判決
- 罰金と終身刑
- グスマンの(エルチャポ)の息子の行動
- 異質な写真をSNSに投稿
- 拉致されたグスマンの息子
- グスマンの性格とその他の事件
- グスマンの婚約者の殺害
- 言葉では表せないほど疑り深い
- 影響力が強く、メキシコ内10位の富豪
- 人望が厚く、逮捕時にはデモも起きた
- 有名歌手が応援ソングを歌うことも
- 麻薬王エルチャポの半生はNetflixで観れる
- クスリと人間の関係は難しい
グスマンが所属する麻薬組織グアダラハラ・カルテルは次第に巨大化していきます。1970年代から1980年代にかけて、アメリカとメキシコ間でのコカイン輸送仲介、またカリブ海からフロリダ半島のルートも開拓していくことになるのです。
グアダラハラ・カルテルの拡大の経緯と、それを追うアメリカ麻薬取締局の動きとは一体どんなものだったのでしょうか。
グアダラハラ・カルテルの拡大の経緯と、それを追うアメリカ麻薬取締局の動きとは一体どんなものだったのでしょうか。
ルートの開拓・権益の引継で組織巨大化
via pixabay.com
まず1980年代中頃、グアダラハラ・カルテルの取引相手であり同業者であったコロンビアマフィア、メデジン・カルテルとカリ・カルテルが相次いで勢力を失いました。これはアメリカ軍とコロンビア軍による攻撃による衰退でした。
このことをきっかけに、グアダラハラ・カルテルはコロンビアマフィアが牛耳っていた権益を引き継ぐことで勢力を拡大させました。この巨大化したメキシコ初の麻薬組織カルテルは、アメリカの司法省に「最も大きく脅威的な犯罪組織」と位置付けられるようになります。
実際現在のアメリカ国内に入る外国製麻薬のうち70パーセントはメキシコの麻薬カルテルの支配下によるものとされています。また、麻薬に関わる暴力事件も依然として増加傾向にあるのです。
このことをきっかけに、グアダラハラ・カルテルはコロンビアマフィアが牛耳っていた権益を引き継ぐことで勢力を拡大させました。この巨大化したメキシコ初の麻薬組織カルテルは、アメリカの司法省に「最も大きく脅威的な犯罪組織」と位置付けられるようになります。
実際現在のアメリカ国内に入る外国製麻薬のうち70パーセントはメキシコの麻薬カルテルの支配下によるものとされています。また、麻薬に関わる暴力事件も依然として増加傾向にあるのです。
アメリカ麻薬取締局の動き
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そんな中、アメリカ麻薬取締局(通称DEA)はメキシコの麻薬カルテルによるアメリカへの大量麻薬密輸を阻止しようと動き出します。グアダラハラ・カルテルの撲滅およびグスマン含む主要幹部を逮捕するために、DEAはエージェントを何人か麻薬組織に潜入させました。
結果としてこの潜入捜査は成功します。1984年11月にメキシコの軍隊と共同戦線を張ったDEAは、メキシコのチワワにあるグアダラハラ・カルテルが所有する1000ヘクタールにも及ぶマリファナ畑の襲撃に成功します。また、この襲撃によってグアダラハラ・カルテルは80億ドルの損失を受けます。
結果としてこの潜入捜査は成功します。1984年11月にメキシコの軍隊と共同戦線を張ったDEAは、メキシコのチワワにあるグアダラハラ・カルテルが所有する1000ヘクタールにも及ぶマリファナ畑の襲撃に成功します。また、この襲撃によってグアダラハラ・カルテルは80億ドルの損失を受けます。
カマレナの裏切り
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DEAによるグアダラハラ・カルテルへの襲撃成功の鍵となったのが、キキ・カマレナでした。彼はDEAからカルテルに送り込まれたエージェントの1人でした。
カマレナはカルテルのボス、ガジャルドガボス(ガジャルド)に近づくことに成功し、彼の情報によって奇襲攻撃は成功したのでした。しかし裏切り行為を疑われたカマレナは、奇襲攻撃から約3ヶ月後の1985年2月7日の白昼に誘拐され、その後30時間に及ぶ拷問の後殺害されました。
カマレナは薬物を注入され、意識のある状態で拷問されていました。プラスチックに包まれたカマレナの遺体は、メキシコ郊外で1985年3月5日に発見されました。
カマレナはカルテルのボス、ガジャルドガボス(ガジャルド)に近づくことに成功し、彼の情報によって奇襲攻撃は成功したのでした。しかし裏切り行為を疑われたカマレナは、奇襲攻撃から約3ヶ月後の1985年2月7日の白昼に誘拐され、その後30時間に及ぶ拷問の後殺害されました。
カマレナは薬物を注入され、意識のある状態で拷問されていました。プラスチックに包まれたカマレナの遺体は、メキシコ郊外で1985年3月5日に発見されました。
グスマンの捜査が始まる
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カマレナへの残虐な拷問及び殺害を受け、アメリカ政府は激怒しました。そしてアメリカ政府はカマレナ殺害犯、殺害を指示したグアダラハラ・カルテルメンバーを逮捕すべく、大規模な捜査に乗り出したのです。
ガシャルド逮捕時に偽名を利用
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捜査の甲斐あって、1989年にグアダラハラ・カルテルの当時のボスであるガジャルドは逮捕されました。元メキシコ連邦警察のエージェントであったガジャルドは、実質メキシコ麻薬カルテルの礎を気づいた人物でした。ガジャルドの逮捕は、敵対する麻薬カルテル間の本格的利権争いの始まりでもありました。
一方グスマンはガジャルド逮捕時、捜査の網をくぐるため偽名を使って活動していました。依然として麻薬の密売・輸送は続けるかたわら、マリファナやケシの農園を多数所有し、その農園で貧しい住民を働かせることで金銭を蓄えていたのです。
一方グスマンはガジャルド逮捕時、捜査の網をくぐるため偽名を使って活動していました。依然として麻薬の密売・輸送は続けるかたわら、マリファナやケシの農園を多数所有し、その農園で貧しい住民を働かせることで金銭を蓄えていたのです。
アメリカ当局がグスマンの実態を掴む
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ガジャルドが逮捕され、グアダラハラ・カルテルはティファナ・カルテル、ファレス・カルテル、そしてシナロア・カルテルの3つに分割されます。グスマン率いるシナロア・カルテルはメキシコの最重要指名手配犯となるほど拡大します。
1987年、アメリカ当局によるグスマンの正式な捜査が初めて行われました。そして数々の証言からホアキン・グスマンこそがシナロア・カルテルの実質的なボスと判明します。
アメリカ当局の捜査によると、グスマンがマリファナやコカインのアメリカへの輸入により上げていた利益は1987年〜1990年で約15億円でした。また、その麻薬量はなんと2トンにも及んでいました。
1987年、アメリカ当局によるグスマンの正式な捜査が初めて行われました。そして数々の証言からホアキン・グスマンこそがシナロア・カルテルの実質的なボスと判明します。
アメリカ当局の捜査によると、グスマンがマリファナやコカインのアメリカへの輸入により上げていた利益は1987年〜1990年で約15億円でした。また、その麻薬量はなんと2トンにも及んでいました。
グスマンの精巧な麻薬輸送手口
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グスマンは慎重な男でした。摘発を免れるために、彼は精巧に麻薬密輸手段を選びます。まず、空路は摘発の可能性が上がるため避け、陸路を必須とします。麻薬を食品の缶詰に入れて隠し電車で輸送することもあれば、メキシコとアメリカの国境付近の地下にトンネルを掘って輸送することもありました。
アメリカから輸送されるお金も税関職員に賄賂を渡すことで摘発を免れ、堂々とお金が詰まったスーツケースを荷物チェックも無しに受け取っていました。
アメリカから輸送されるお金も税関職員に賄賂を渡すことで摘発を免れ、堂々とお金が詰まったスーツケースを荷物チェックも無しに受け取っていました。
グスマンの脱獄劇
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慎重で警戒心の強いホアキン・グスマンですが、1993年についにグアテマラで逮捕されます。罪状は殺人及び麻薬密輸の罪で、懲役20年の罪でした。グアテマラで逮捕されたグスマンはメキシコのアルティプラ刑務所に移送され、その後2度にわたり、世界中から注目を浴びる脱獄劇を繰り広げることになります。
そんなグスマンは実は1993年の逮捕よりも以前の、1991年にも逮捕されています。しかもこの時も、10万ドルで警察を買収し脱獄を成功させているのです。
現在は身柄が拘束されているグスマンですが、彼は一体どのようにして何度も脱獄を成功させたのでしょうか。
そんなグスマンは実は1993年の逮捕よりも以前の、1991年にも逮捕されています。しかもこの時も、10万ドルで警察を買収し脱獄を成功させているのです。
現在は身柄が拘束されているグスマンですが、彼は一体どのようにして何度も脱獄を成功させたのでしょうか。
看守に賄賂を仕込み脱獄
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グアテマラで逮捕されたグスマンはメキシコのアルティプラ刑務所に移送されましたが、その後、より厳戒態勢が敷かれているプエンテ・グランデ刑務所に移動しました。
ホアキン・グスマンは、このプエンテ・グランデ刑務所からの脱獄を成功させます。2001年、グスマンは洗濯物を入れる台車の下に隠れて脱獄したと言われています。しかしそれは表向きな脱獄方法で、実際は刑務所の所長含め多くの看守に賄賂を渡すことで成功させていました。
グスマンから賄賂を受け取っていた看守の数は実に78人にも及び、数名はその後逮捕されています。脱獄時も、看守の制服に着替えたグスマンは、コソコソすることなく白昼堂々刑務所を後にしたと言われています。
ホアキン・グスマンは、このプエンテ・グランデ刑務所からの脱獄を成功させます。2001年、グスマンは洗濯物を入れる台車の下に隠れて脱獄したと言われています。しかしそれは表向きな脱獄方法で、実際は刑務所の所長含め多くの看守に賄賂を渡すことで成功させていました。
グスマンから賄賂を受け取っていた看守の数は実に78人にも及び、数名はその後逮捕されています。脱獄時も、看守の制服に着替えたグスマンは、コソコソすることなく白昼堂々刑務所を後にしたと言われています。
その後も麻薬関係で行動
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