2019年6月8日 更新

上申書殺人事件の詳細!犯人三上静男と後藤良次の生い立ちとその後

2013年に山田孝之が主演し数々の賞を受賞した映画「凶悪」。この事件のモデルとなった上申書殺人事件。死刑が確定していた男が告発し明るみになった3つの事件を総じて上申書殺人事件と呼びます。巧妙に隠されていたこの事件には『先生』と呼ばれる男が暗躍していたのです。

上申書殺人事件

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2005年10月、既に別の事件で死刑が確定していた後藤良次が弁護士を通して、自分がある殺人事件に関与しており、それに関与している人間はまだいる旨の上申書を提出しました。

そのことにより、知られざる3つの殺人事件が白日の下に晒されたのです。死刑囚が告発した新たな殺人事件に日本中が騒然となり、時期を同じくして以前から後藤良次を取材していた記事を掲載した「新潮45」が発売されました。

後藤良次が告発した3つの事件は総じて「上申書殺人事件」と呼ばれ、日本中の注目を集めることになったのです。

そもそも上申書とは?

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官公庁や警察等に対し、法的な手続きなどによらず申し立てや報告などを行う為の書類や報告書の事を『上申書』といいます。

1回目の裁判(初公判)の後に不服申し立てを行うことを控訴、2回目の裁判(控訴審)の後に不服申し立てを行うことを上告といいます。

後藤良次は一審・二審共に死刑が確定しており最高裁に上告中のタイミングで、自らが不利になるかもしれないにも関わらず上申書を提出しました。

上申書殺人事件

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後藤良次が提出した上申書には時期や場所、被害者の名前と殺害に関わった人物の名前、どのように殺害して遺体をどのように始末したのかというところまで、詳細に記されていました。

上申書殺人事件とは、後藤良次が上申書を提出したことで明るみに出た、石岡市焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件の3つの事件のことをいいます。

後藤が告発した3つの事件はいずれも事件性はないとして処理されていた事件でしたが、上申書を提出したことで真相が浮き彫りになり、新たな犯罪者が炙りだされることになったのです。

きっかけは「新潮45」の記者との出会い

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あるスキャンダルの鍵を握るとされ新潮社の記者とやりとりを続けていた死刑囚に、後藤良次が記者を紹介して欲しいことを打ち明けたことから始まり、「新潮45」の記者と出会ったのでした。

以降、その記者は後藤良次の手となり足となり取材を繰り返して確信へと辿り着き、後藤良次と共に上申書を書き上げました。

上申書を出した後藤良次の生い立ち

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後藤良次という男は若い頃から素行が悪く逮捕歴も数多くあり、宇都宮監禁殺人事件という事件で逮捕され死刑が確定していました。

そのような男が何故、明るみに出ていない事件を告発するに至ったのでしょうか?ここからは後藤良次という男の生い立ちについてお伝えしていきます。

中学生からグレ始め暴力団員へ

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14歳の頃に窃盗と暴力事件を起こし初等少年院に入り、16歳で稲川系幹部とのパイプができ暴力団の組に入ります。17歳には窃盗と器物破損で中等少年院に、19歳の時には器物破損で特別少年院に入っています。

筋金入りの犯罪者と揶揄されることもある後藤良次ですが、それも納得いってしまう犯罪歴です。この犯罪歴も彼にとっては華々しい経歴なのでしょうか…。

数々の悪行を繰り返す

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成人を過ぎても後藤良次の悪行は更に凶悪性を増します。傷害、窃盗、恐喝などの犯罪はもちろんのこと、対立する暴力団組織の組長も射殺しました。

22歳の時に所属していた組が解散し、35歳で「後良組」を構え組長になりますが、同じ年に暴力と銃刀法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反などの罪により懲役4年が言い渡され福島刑務所に収監されます。

39歳で仮出所し後良組を「後藤組」に改めたものの再興には至らなかったようです。同じ組の人間にとっては良い兄貴だったそうですが、善良な市民にとっては脅威でしかなかったはずです。

先生との出逢い

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後藤良次は40歳になり、そろそろ堅気になろうと考えていた。堅気になるにあたり、不動産の勉強をしようと考えていた後藤は、知り合いの元暴力団組員から不動産ブローカーをしている『先生』を紹介されました。

先生は後藤良次に不動産ブローカーとしてのノウハウを教え、二人の関係は日に日に親密になったのです。しかし、この出会いが陰惨な事件を生み出すことになってしまうのでした…。

内縁の妻がいた

Portrait Photography Woman - Free photo on Pixabay (317509)

後藤良次には内縁の妻がいましたが、上申書を提出する前に縁を切っています。理由は「自分のどうしようもない人生に巻き込みたくない」というものでした。

それでも差し入れをしに面会に来る内縁の妻に向かって「他の女から差し入れがあるからいらない」と突き放しましたが、本当は後藤良次の舎弟が差し入れに来ていたのです。

数々の悪行を重ねてきた鬼のような男ですが、惚れた女には幸せになって欲しいという人間の心も残っていたのでしょうか。

死刑を求刑される

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