2019年7月23日 更新

寝屋川事件の判決とその後は?山田容疑者の生い立ちについても

2015年に発生した「寝屋川事件」を覚えていますか?犯人の山田容疑者の生い立ちや、発達障害だったのか?寝屋川事件の判決内容と、その後を詳しく解説していきます。寝屋川事件の真相は…今後の展開はどうなっていくのかを知るためにも、事件を初めから見直していきましょう。

目次

不良グループに入っていたわけではないが、成績も運動も最下位レベルだった山田浩二容疑者が唯一できることが犯罪行為だけだったため、中学生時代から窃盗や傷害事件を起こし少年鑑別所の入退所を繰り返しています。

弱いものしか標的とせず、いじめた相手が驚いたり泣いたりする姿に奇妙な笑顔を浮かべていたようです。また、スーパーのレジをレジごと盗んだり、万引きなんてものは日常茶飯事だったとも言われています。道を尋ねる振りをして、中学生に声を掛け首にナイフを突きつけて金を奪うといった犯罪を何度も繰り返しています。

傷害や窃盗事件を繰り返して、すでに前科8犯にも及んでいます。この後に、寝屋川事件を連想させる誘拐事件を何度も起こすことにもなります。

同じ中学生を監禁した事も

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (495739)

傷害や窃盗事件を繰り返している最中に、同じ中学生を監禁していたことも明らかとなっています。とにかく、自分よりも弱い立場の人間をいたぶることで自分の弱さや社会に適合できない自分を正当化しようとしていたのではないかと、山田容疑者の生い立ちから感じることができます。

しかしながら、これだけの犯罪を犯しておきながら家族はもちろんのこと、誰一人山田容疑者に手を差し伸べることがなかったは幼少期からの奇行が原因となっているのでしょう。

いい年をした大人ではあるが、全ては家庭環境の悪さ両親に子供を育てる能力がなかったことが山田容疑者の犯罪を止めることができなかったのではないでしょうか。

少年鑑別所の入退を繰り返す

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (495741)

中学生時代から、窃盗や傷害を繰り返し少年鑑別所の入退所を繰り返してきた山田容疑者。長いときは、窃盗罪で1年間も鑑別所に収用されていたこともあるようです。

中学生時代のほとんどを、少年鑑別所で過ごしていたということです。そのため、長期間学校を休むことが多く中学生になっても、一人で過ごすことが多かったと同級生は話しています。

しかし、少年鑑別所に収用されたからといって反省し更正することはありませんでした。友達を惹きつけようと、万引き自慢や親の金を盗んで友達に奢ってあげたりと、物でしか人を惹き付けられない危ない奴だという印象が強かったようです。

進学せず仲間とバイクを乗り回す

Biker Motorcycle Ride - Free photo on Pixabay (495742)

中学校を卒業した山田容疑者は、進学せず暴走族ではなくただのグレた子供が集まるようなグループの仲間になりバイクを乗り回すようになります。また、山田容疑者自身でグループを作り、バイクで走り回っていたこともあったようです。

ですが、自分でバイクを運転するわけではなく後ろに乗っているだけで、山田容疑者は変なメイクをして来たりとここでも奇行と思える行動をとっています。仲間に気持ちが悪いと言われても笑ってごまかし止めることはなかったようです。

このときもまだ、家族と暮らしていましたが金銭面で親に頼ることはなく、犯罪行為を続けて稼いでいたこともわかっています。この時点でもわかるように、山田容疑者の奇行や犯罪を止める手立てはなかったということではないでしょうか。

同性愛に目覚めたのは中学卒業後

Homosexuality Rainbow Man - Free image on Pixabay (495748)

バイク仲間の証言によると、この頃から同性愛に目覚めていったのではないかと話しています。山田容疑者は、男性の性器にとても興味があったとも証言しています。

特に、年下の男の子に興味があり声を掛けたりすることもあったようです。しかし、女性とも普通にセックスはしていたため、どちらでも大丈夫な両刀だったことを伺わせます。

男性への興味もさることながら、女性とのセックスで欲望を満たしたりと山田容疑者の性に対して異常なまでの執着も、この頃から芽生えだしたのかもしれません。

麻薬の横流し等次々に犯罪に手を染める

Drugs Cocaine User - Free photo on Pixabay (495751)

中学校を卒業し、高校に進学しなかった山田容疑者はお金を稼ぐために犯罪を重ねていきます。そのなかには、シンナーの密売や麻薬の横流しといった犯罪にまで手を伸ばしていきました。

そのときに、暴力団関係者との関わりができてきたのでしょう。そのことを、仲間に自慢気に稼げているの話していたようですが、危ない事に手を出している割にはという額だったようです。

そんなバイクを乗り回している姿や、犯罪にまで手を染めていることは、近所の住人に話が回るのも早く小学生の頃同様に、家族は居づらくなり転居せざる負えなくなります。

2001年犯行現場となる寝屋川市のマンションに移り住む

Skyscraper Houses City - Free photo on Pixabay (495869)

そんななか、家族が次の転居先に選んだのが山田容疑者が帰省しようとしていた寝屋川市のマンションです。もともと、寝屋川に住んでいたわけではなく山田容疑者の素行の悪さ、奇行さが近所に知られるたびに引っ越し最終的に移り住んだのが、のちに事件を起こしてしまう寝屋川市だったのです。

しかし、山田容疑者自身が自分のせいで家族みんなが引っ越しをしているとは微塵も感じていないため、犯罪に手を染めることを止めることには残念ながら繋がっていくことはなかったのです。

2002年男子中学生に性的暴行を行い懲役12年の判決を受ける

Hammer Court Justice - Free photo on Pixabay (495870)

転居先である寝屋川市で、山田容疑者は重大な事件を起こしてしまうのです。それは、翌年の2002年に当時中学二年生だった少年を駅前で道を尋ねる振りをして近づき、少年が答えようとすると首にナイフを突きつけて脅迫し車の中に監禁したのです。

車の中に少年を連れ込むと、少年の手に手錠をかけ口には粘着テープを張りつけ抵抗できないようにし、少年のズボンの中に手を入れ下半身を触るなどの性的なイタズラをされたのです。

その4時間後に、少年は目隠しをされた状態で駐車場に放置されます。まさに、寝屋川事件を彷彿とさせる事件です。この少年を監禁し性的暴行に及んだことで、山田容疑者は懲役12年の判決を受けます。

前科8犯だったことや、この少年を監禁した前後にも高校生2人を監禁した余罪を含めての懲役刑で、刑務所に入ることとなったのです。

2014年出所

Annual Financial Statements New - Free photo on Pixabay (495873)

2002年~2014年まで、少年に対する監禁と性的暴行の容疑で徳島刑務所で服役していた山田容疑者は2014年10月に出所しています。刑期を満了し更正しているかと思いきや、刑務所内でも奇行を繰り返していたと同じ刑務所にいた人物は語っています。

刑務所でも、タオルを便器に流して困らせたりなどの弱い者いじめをしていたり、判決が下る前の大阪拘置所で未決囚が綴る冊子に投稿し、その内容には反省を伺わせるどころか冗談にしてはキツイ悪ふざけの言葉が綴られていたそうです。

山田容疑者は、札付きのワルであり何度も刑務所に入っているが刑期が終わり出所してくるたびに、良くなるどころか悪くなっていき犯行がエスカレートしていっていることが伺えます。

服役中に獄中結婚し紫原浩二へ姓を変更・その後離婚

Flowers Bridal Bouquet Wedding - Free photo on Pixabay (495874)

2002~2014年まで、徳島刑務所にて服役していた山田容疑者ですが、服役中に獄中結婚をし「柴原浩二」となったのです。そして、妻となった女性には連れ子がおりなんと被害者となった星野くんと平田さんと同い年だというのです。

山田容疑者は、獄中から妻に手紙を書いていてそのなかには「もう一人身ではない、早く娘に会いたい」「小学校の卒業式には間に合いそうです、今頑張れのも娘の存在があるからです」などと書かれていたようです。

妻の連れ子である娘をとても可愛がっていたことが伺える内容です。しかし、山田容疑者は出所前に獄中離婚もしています、そして、出所後1年も経たずして寝屋川事件を引き起こしているのです。

このようなことからも、山田容疑者の供述に信憑性がないと断定されるのは仕方のないことだと言えるでしょう。

服役中にヤクザと養子縁組し山田浩二となる

Weapon Beretta M9 Handgun - Free photo on Pixabay (495877)

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