2019年5月27日 更新

ディアトロフ峠事件とは?9人が不可解な死を遂げた謎の遭難事件

9人の若者が不可解な死を遂げた「ディアトロフ峠事件」とは?様々な説が浮上し、そして多くの不可解な点は、捜査官をうならせました。また、異様な状況で発見された9人の若者達に、一体何が起きたのでしょうか?様々な説、そして原因など詳しくご紹介していきます。

ディアトロフ峠事件とは?

Snow Mont Blanc Mountains - Free photo on Pixabay (294417)

「ディアトロフ峠事件」とは、1959年に旧ソ連にある、ウラル山脈のオトルテン山の山頂を目指して、10人の若者が冬山登山に出発しましたたが、不可解な死を遂げたという事件です。

そして、彼らの遺体は異様な状況で発見されました。当時、マイナス30度という極寒のなか、防寒着を着ていなかったことや外傷など、不可解な点が多くあり、この不可解な点から様々の説が浮上しました。

冬山のエキスパートの彼らの身になにが起きたのでしょうか?

9人を襲った謎の死

Mountaineering Climbers Storm - Free photo on Pixabay (293881)

冬山のエキスパートである彼らが、なぜ、異様な死を遂げたのでしょうか?命をおとした9人の若者について、ご紹介していきます。

死亡者一覧

Cemetery Graveyard Grave - Free photo on Pixabay (293896)

「イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ」当時23歳で、慎重で深慮深い人物で、登山隊の隊長でした。「ユーリー・二コラエヴィチ・ドロシェンコ」熊をハンマーで追い払ったという武勇伝があります。

「ユーリーアレクエヴィチ・クリヴォ二シチェン(ゲオルギー)」当時24歳で、放射能について高度な知識を持つ技能者でした。

「ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ(ジーナ)」当時22歳で、ウラル工科大学の4回生でした。「ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン」当時23歳で、物静かな人物でした。

「リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ(リューダ)」当時20歳で、ウラル工科大学の3回生でした。「セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ”サシャ”」当時37歳の彼は、謎の多い不可解な人物で、本名でない可能性もあります。

「アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ」当時24歳で、ウラル工科大学の4回生でした。「ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ(コリャ)」当時23歳で、ウラル工科大学の卒業生です。

彼らは捜索隊よりも雪山に詳しかった

Ice Climbing Climb Extreme - Free photo on Pixabay (293907)

ディアトロフ達は、全員が登山や長距離スキーの経験者で、トレッキング第二級の資格を持っており、冬山のエキスパートでした。

「イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ」は、登山の経験が豊富な優秀なアスリートでした。「ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ(ジーナ)」は、毒蛇にかまれても、トレッキングを完遂したほどの精神力を持っており、経験豊富なハイカーでした。

「ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン」は、非常に優れたアスリートで、「バランスマン」と評されていました。

このように彼らは、捜索隊よりも雪山に詳しかったのです。

資格取得のためのテスト中

Actor Actress Art - Free vector graphic on Pixabay (293935)

ディアトロフ達の登山の目的は、単なるレクレーションではなく、当時のソ連で、トレッカーの最高資格の第三級の取得を目指し、困難なルートを選んでいました。

この、第三級とは、「スポーツマスター」として、アスリートを指導することができるというものです。そして、今回のオトルテン山のアタックが成功すれば、ディアトロフ達全員がこの「スポーツマスター」の資格を取得することができるもので、極めて重要なテスト中でした。

9人と最後に話した者

Mountain Highland Valley - Free photo on Pixabay (294001)

ディアトロフ達9人と最後に話した、ユーリー・ユーディンについて、ご紹介していきます。

ユーリー・ユーディン

Book Embossing Leather - Free photo on Pixabay (293982)

「ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン」は、当時21歳で、ディアトロフ達と一緒にオトルテン山の山頂を目指していましたが、1月29日、リュウマチなど持病をもっていたため、腰と脚が痛みだし、リタイヤせざる得なくなりました。

そして彼は、グループでただ一人の生存者で、「ディアトロフ財団」の理事長を務め、事件の記録保存、ディアトロフ達の事件の謎の解明を目的に活動を行っていましたが、ユーディンは2013年に亡くなりました。

ディアトロフ峠とは

Rough Horn Alpine Tannheimer - Free photo on Pixabay (294027)

「ディアトロフ峠事件」と呼ばれているこの事件は、ホラチャフリ峠で起きました。ではなぜ、ディアトロフ峠と呼ばれているのでしょうか。

ディアトロフ峠についてご紹介していきます。

ホラチャフリ峠

Winter Mountain Climbing - Free photo on Pixabay (294040)

ホラチャフリ峠とは、樹木も生息しておらず、さえぎるものがなにもない雪原のことです。近年撮影されたホラチャフリ峠の写真でも、近くに山もなく、あるのはただなだらかな丘だけが確認されました。

そして、ディアトロフ達が目指していたウラル山脈のオトルテン山の山頂への最後のポイントの峠で、ディアトロフ達はここにテントを張りました。ホラチャフリ峠は、後に、彼らのリーダーである、ディアトロフの名前から、「ディアトロフ峠」と名付けられました。

死の山

Composing Woman Fantasy - Free image on Pixabay (294045)

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