2019年5月27日 更新

ディアトロフ峠事件とは?9人が不可解な死を遂げた謎の遭難事件

9人の若者が不可解な死を遂げた「ディアトロフ峠事件」とは?様々な説が浮上し、そして多くの不可解な点は、捜査官をうならせました。また、異様な状況で発見された9人の若者達に、一体何が起きたのでしょうか?様々な説、そして原因など詳しくご紹介していきます。

ディアトロフ達が挑んだホラチャフリ峠とは、先住民マンシ族のあいだでは「死の山」と呼ばれています。また、ディアトロフ達と遭遇したマンシ族は、「ホラチャフリ峠には気をつけろ」「我々のあいだでは、死の山と呼ばれている」と忠告したほどです。

昔から住んでいるマンシ族が、「死の山」と呼ぶほどの何かがこのホラチャフリ峠にはあり、そして、それはディアトロフ達9人が、不可解な死を遂げることになった原因に関係しているのでしょうか?

事件の経緯

Book Open Leaf - Free photo on Pixabay (294064)

ディアトロフ達に何が起きたのでしょうか?日記などに彼らの行動が記されていました。彼らはどのような行動をしていたのでしょうか。事件の経緯についてご紹介していきます。

1月25日

Trains Sweden Stockholm - Free photo on Pixabay (294067)

ディアトロフ達は、ウラル山脈で、スノートレッキングを計画していました。最終目的地はオトルテン山に設定しており、このルートは難易度が極めて高いものでしたが、メンバーは登山に熟知しており、反対する者はいませんでした。

そして、1月25日、一行は列車に乗り、スヴェルドロフスク州北部中心地のイヴデリに到着しました。ここで彼らは、トラックをチャーターして、イヴデリからさらに約80㎞ほど北方にある、有人集落のヴィジャイへと向かいました。

1月27日

Photo Camera Photography Old - Free photo on Pixabay (294073)

25日にヴィジャイに到着した彼らは、27日ヴィジャイから、オトルテン山へ向け出発しましたが、翌日にメンバーの一人ユーディーンが、体調不良により離脱しました。

この時点でメンバーは9人となり、これから先に彼らと出会った人物は存在しません。これから先の内容は、事件後に発見された日記や、カメラに撮影されていた写真などにより、推測されたものになります。

そして、9人になった彼らは、再びオトルテン山を目指して出発しました。

2月1日

Indian Art Petroglyph Native - Free photo on Pixabay (294084)

9人になったディアトロフ達は、再びオトルテン山を目指して出発しましたが、このとき彼らは、マンシ族に遭遇したとされ、マンシ族は「この先のホラチャフリ峠には気をつけろ」と彼らに忠告をしたとされています。そして、ディアトロフ達はオトルテン山の山頂の最後のポイントであるホラチャフリ峠に到着しました。

当初、一行がヴィジャイに戻り次第、リーダーであるディアトロフが、所属するスポーツクラブに電報を送ることになっていました。

2月12日までには、送られてくるだろうと思われていましたが、2月12日を過ぎても電報が送らてはきませんでした。

2月20日

Lookout View Scenic - Free photo on Pixabay (294094)

当初、ディアトロフ達がヴィジャイに戻り次第、電報を送る手はずになっていたため、2月12日までには電報が送られてくると思われていましたが、電報が送られてきませんでした。

そのため、20日におかしいと思ったユーディンと、ディアトロフの妹は、ウラル大学に捜索を要請し、ウラル工科大学の教師と学生からなる捜索隊が、捜査を開始しました。

その後、警察と軍が捜索隊を結成し、ヘリコプターでの大規模な捜索活動が開始されました。

2月26日

Casa Irish Air Corps Search And - Free photo on Pixabay (294102)

26日、捜索隊がテントを発見しましたが、テントは内側から切り裂かれ、荷物は置きざりにされたままになっていました。

そして、山の麓の森林地帯で、ドロシェンコとクリヴォ二シチェンコの二人の遺体は発見され、ディアトロフ、スロボディン、コルモゴロワの三人は、テントと大きなヒマラヤ杉の間で、遺体で発見されました。

それから約2ヶ月後の5月には、大きなヒマラヤ杉から約75mほど先にある谷の中で、コレヴァトフ、ドゥビニナ、ゾロタリョフ、ブリニョーリーの四人の遺体が、4mの雪に埋もれた状態で発見されました。

先住民族マンシ族

America American Indian - Free vector graphic on Pixabay (294112)

ディアトロフ達を、襲撃したという説も浮上した先住民族マンシ族とは、どのような民族なのでしょうか。マンシ族についてご紹介していきます。

温厚な民族で捜査にも協力的

Boomerang Man Australia - Free vector graphic on Pixabay (294142)

マンシ族とは、大昔から、ウラル山脈の南に住んでる先住民のことです。狩りを中心に素朴な生活をしています。また、閉鎖的で縄張り意識が強く、土地に侵入することを嫌います。

当時マンシ族は疑われ、部族の大勢が連行されて拷問にかけられたとされていますが、マンシ族はディアトロフ達に、「ホラチャフリ峠には気をつけろ、死の山と呼ばれている」と忠告をしたと言われています。

そして、マンシ族は温厚な民族で、捜査にも協力的だったとされています。

死因や外傷

Peak Summit Top - Free photo on Pixabay (294164)

異様な状況で発見された、ディアトロフ達の死因や外傷はどのようなものだったのでしょうか。ご紹介していきます。

低体温症

Snow Mountain Hiking - Free photo on Pixabay (294172)

2 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪

日本や世界の不思議な事件まとめ!中には未解決の事件も?

日本や世界の不思議な事件まとめ!中には未解決の事件も?

日本や世界では不思議な事件が多く起きています。未解決の事件もたくさんあり、発生理由がわからなかったり行方不明のまま見つからなかったりするものもあります。どのような事件が起きているのか日本編と世界編に分けて詳しくご紹介していきます。
光市母子殺害事件の詳細と判決!大月孝行の壮絶な生い立ちと現在は?

光市母子殺害事件の詳細と判決!大月孝行の壮絶な生い立ちと現在は?

1999年に発生した光市母子殺害事件の犯人は大月孝行(旧姓・福田)という男性でした。犯人の男は18歳という若さで主婦・乳幼児を殺害したのです。今回は光市母子殺害事件について詳細を紹介すると共に、死刑に至るまでの経緯、そして大月孝行の生い立ちを紹介して参ります。
ホモフォビアの意味と原因とは?同性愛の歴史と日本で起きた事件

ホモフォビアの意味と原因とは?同性愛の歴史と日本で起きた事件

性について寛容と言われる日本でも多く存在する『ホモフォビア』という思想をご存じでしょうか。同性愛などの性的思考と関係が深いその言葉が生まれた歴史的背景や、原因について、また世界での捉え方も同時に触れて、性的志向への議論に関しても考えて行きます。
アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アル・カポネは、20世紀のアメリカを代表するギャングです。アメリカで禁酒法が施行された時代に犯罪組織の近代化に成功し、絶大な権力を誇りました。その影響は現在まで続いています。今回は、アメリカ史上最も有名なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。
底なし沼は日本にも実在する?沼の仕組みや脱出法と死亡事故も

底なし沼は日本にも実在する?沼の仕組みや脱出法と死亡事故も

底なし沼は国外だけのものではなく、日本にも実在しています。ここでは、底なし沼の深さや仕組みについて解説、脱出方法・救助方法や悲しい死亡事故、また、底なし沼がある場所の特徴や底なし沼がでてくる映画や童話なども紹介していきます。

この記事のキーワード