目次
- コトリバコの意味
- 2ch発祥の怖い話
- コトリバコとは不気味な細工箱
- 1000を超える体験談が寄せられる怪談話
- 実在するとも作り話とも言われている
- コトリバコの真相を知る前の注意点
- 真相を知った直後体調不良を訴える人々が多数
- 幼い子供の容体が悪化し後悔する人も
- 部落差別を助長しかねない内容
- グロテスクな描写
- コトリバコの体験談
- 友人Sの実家で箱が見つかる
- 面白がった友人Sはその箱を友人A宅へ持ち込む
- 一緒に居た友人Mが怯えだす
- 神主の息子友人Mがお祓いをする
- 友人Sが持ち込んだ箱がコトリバコであり怨念そのもの
- コトリバコ体験談の後日談
- コトリバコが発見された友人Sの納屋解体
- コトリバコの詳細を知る人物Jに話を聞く
- その地区のコトリバコは3つの家系で管理していた
- 3つの家系で代々受け継ぐ理由はコトリバコの中身を薄めるため
- 本来はJ家が受け継ぐはずだったが怖くなりS家に預けたままとなった
- コトリバコの真相
- 作られていたのは1860~80年代前半
- 子供を間引く「子取り箱」
- 迫害を受けていた地域で子供の間引きが行われていた
- 1860年後半に反乱が起こり島帰りとなった人物が作り方を教える
- コトリバコには女性・子供を呪い殺す力がある
- コトリバコの作り方
- 複雑に木を組み合わせた木箱をつくる
- 箱の中に雌の畜生の血で満たし1週間放置
- 子供の身体の一部を入れる
- 閉じ込めた子供の数、子供の年齢で箱の名前が変わる
- 子供八人「ハッカイ」は絶対に作ってはいけない
- 女・子供は絶対に近づけないこと
- 暗く湿った場所に安置する事
- 手に余る時は神社に処理を頼む事
- 箱の効力を薄めるためには110~140年必要
- コトリバコの考察
- 数十年前は各地で独自の風習・儀式などが行われていた
- 理不尽な差別や迫害を受け恨みを持っている人たちも少なくなかった
- 情報が乏しく「呪い」「呪術」など独自の思想が発展した
- 障害を持った子供・双子など間引かれることが少なくなかった
- 恨みを鎮めるもの・成仏を促すものとしてコトリバコ・供養神社などが作られた
- 恨みを晴らすため・人を呪うために強い思いが込められた
- コトリバコは実在する
Mがコトリバコのことを知っていたのは実際にMの祖父と父がコトリバコの処理をしてきたのを見ていたからでした。そして、そのコトリバコを管理する管理簿がMの家にあり、コトリバコがどこに現在あるべきなのかの把握はできている状態でした。
コトリバコはT家、S家、J家の3家で回されていました。MとM父が管理簿を見た際に、本来ならばS家にはもう渡らないはずのコトリバコが何故S家にあったのか、それがどのようなことを意味しているのか怒りを感じつつ話ました。
コトリバコはT家、S家、J家の3家で回されていました。MとM父が管理簿を見た際に、本来ならばS家にはもう渡らないはずのコトリバコが何故S家にあったのか、それがどのようなことを意味しているのか怒りを感じつつ話ました。
3つの家系で代々受け継ぐ理由はコトリバコの中身を薄めるため
via pixabay.com
Mが話し、Jはコトリバコについて話し始めます。チッポウはTの家とJの家、そしてSの家の3家で管理されていたものであり、家主の死後は次の役回りの家の家主が葬儀後に前任者の跡取りから受け取り、また家主が死ぬまで保管し、ということを繰り返します。
その理由は箱の中身を薄めるためという目的がありました。そして、箱を受け取った家主は決して箱を女性や子どもに近づけてはいけない、そして管理していない家は、管理している家を監視するようになっていました。
その理由は箱の中身を薄めるためという目的がありました。そして、箱を受け取った家主は決して箱を女性や子どもに近づけてはいけない、そして管理していない家は、管理している家を監視するようになっていました。
本来はJ家が受け継ぐはずだったが怖くなりS家に預けたままとなった
via pixabay.com
S家の祖父がなくなった時点で、本来ならばJ家が保管をしなければいけませんでしたが、何故かコトリバコはSの家で保管されたままでした。
この理由としてJは、T家の父親が亡くなり、その後コトリバコを受け取ったS祖父が即亡くなったことで、男性に影響はないと言われても、怖くて受け取りにも行けなかったそうです。
本来ならば、亡くなった家の跡継ぎが持ってくるという形になりますが、持ってくる様子もないということが分かり、そのままTと話、箱はそのままS家に頼み、自分達は監視を続けていました。
その結果、S含む家族が見つけたことでSはもちろん、その場に居合わせたKも巻き込まれかけました。コトリバコは一人が間違えると、誰かが殺されてしまう。それは間違いないでしょう。
この理由としてJは、T家の父親が亡くなり、その後コトリバコを受け取ったS祖父が即亡くなったことで、男性に影響はないと言われても、怖くて受け取りにも行けなかったそうです。
本来ならば、亡くなった家の跡継ぎが持ってくるという形になりますが、持ってくる様子もないということが分かり、そのままTと話、箱はそのままS家に頼み、自分達は監視を続けていました。
その結果、S含む家族が見つけたことでSはもちろん、その場に居合わせたKも巻き込まれかけました。コトリバコは一人が間違えると、誰かが殺されてしまう。それは間違いないでしょう。
コトリバコの真相
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体験談にてコトリバコはどのような箱かという話はある程度知ることができたでしょうか。では、コトリバコは実際どこから始まったのでしょうか。
それは200年以上も前の昔に遡ります。そんな昔に何故コトリバコは作られたのでしょう。コトリバコを作った理由は何だったのでしょうか。
コトリバコが出来た経緯は、日本の歴史や人々の差別などが関係していました。コトリバコの出来た真相は何だったのでしょうか。詳しく紹介します。
それは200年以上も前の昔に遡ります。そんな昔に何故コトリバコは作られたのでしょう。コトリバコを作った理由は何だったのでしょうか。
コトリバコが出来た経緯は、日本の歴史や人々の差別などが関係していました。コトリバコの出来た真相は何だったのでしょうか。詳しく紹介します。
作られていたのは1860~80年代前半
via pixabay.com
1860年から1880年代の日本は、差別があり国民全員が平等に生活できるような環境ではありませんでした。コトリバコがきた所ではそこの部落が差別により迫害を受け、貧困を強いられていました
。
これはその部落だけではなく、日本全土の至る所でありました。解放令が原因でもありました。解放令により、部落の生活水準は下降し、差別から解放されることはなく、権利も喪失してしまうなど最悪な状況になったことは間違いありません。
このようなことが原因で、貧困な上に子ども達を育てることもできず、そのような環境から逃げ出したかった部落の人々はコトリバコに頼るしかなかったでしょう。
。
これはその部落だけではなく、日本全土の至る所でありました。解放令が原因でもありました。解放令により、部落の生活水準は下降し、差別から解放されることはなく、権利も喪失してしまうなど最悪な状況になったことは間違いありません。
このようなことが原因で、貧困な上に子ども達を育てることもできず、そのような環境から逃げ出したかった部落の人々はコトリバコに頼るしかなかったでしょう。
子供を間引く「子取り箱」
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コトリバコはパッと浮かぶとすれば小鳥箱という漢字でしょうが、この場合は子どもを犠牲にし、子孫を残さないような呪いがかかるため、子取り箱と書きます。
子どもの犠牲というのは、コトリバコを作る際に、子どもを殺し、子どもの一部を入れることで出来ています。そこからコトリバコが生まれます。
また、コトリバコが最初に出来た地域の部族内では、貧困と迫害により子どもを十分に育てることができず、コトリバコを知る前から子どもを間引いていました。
そのため、間引く必要があった部族は、コトリバコに子どもを使うことにしました。
子どもの犠牲というのは、コトリバコを作る際に、子どもを殺し、子どもの一部を入れることで出来ています。そこからコトリバコが生まれます。
また、コトリバコが最初に出来た地域の部族内では、貧困と迫害により子どもを十分に育てることができず、コトリバコを知る前から子どもを間引いていました。
そのため、間引く必要があった部族は、コトリバコに子どもを使うことにしました。
迫害を受けていた地域で子供の間引きが行われていた
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間引きとは、貧困などにより出生した赤子を育てられないと考え、死亡させることを言います。これは、奈良時代から江戸時代の農民層の生活苦によって各地で起こった事です。
コトリバコの作り方を教わった地域の住民は、酷い迫害を受け、尚且つ貧困であったことから間引きを行っていたと言われています。
子どもを殺すしかない住民は、どうせ子どもを殺さなければいけないのならと、コトリバコを作ることに使ったとされています。
コトリバコの作り方を教わった地域の住民は、酷い迫害を受け、尚且つ貧困であったことから間引きを行っていたと言われています。
子どもを殺すしかない住民は、どうせ子どもを殺さなければいけないのならと、コトリバコを作ることに使ったとされています。
1860年後半に反乱が起こり島帰りとなった人物が作り方を教える
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1868年頃に江戸幕府領で松江藩が実効支配していた隠岐国で起こった騒動で、別名雲蒲騒動とも言われていますが、この騒動の首謀者の一人が蜂起の失敗後に現在の島根の集落に逃げた事で伝えられたとされています。
逃げ込まれた集落の人々は、既に酷い迫害を受けていたこともあり、これ以上の騒動は嫌だと思い、逃げ切った男性を殺害しようとしますが、男性から交渉を持ち掛けられます。
上記に記載したようにこの集落では、迫害と貧困から子供を間引く必要があり、男性が持ってきた交渉の条件を引き受けました。
この条件がコトリバコの作り方であり、集落の人々は作り上げ迫害から逃れられたとなっています。
逃げ込まれた集落の人々は、既に酷い迫害を受けていたこともあり、これ以上の騒動は嫌だと思い、逃げ切った男性を殺害しようとしますが、男性から交渉を持ち掛けられます。
上記に記載したようにこの集落では、迫害と貧困から子供を間引く必要があり、男性が持ってきた交渉の条件を引き受けました。
この条件がコトリバコの作り方であり、集落の人々は作り上げ迫害から逃れられたとなっています。
コトリバコには女性・子供を呪い殺す力がある
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コトリバコは、子孫が絶える呪いとされており、送られた相手の家族では、女性と子どもは次々に死んでしまいます。
コトリバコに触った人は、女性だろうと、子どもであろうと死んでしまいます。死に方はとても残酷で、内臓がねじれていたりすることもあったそうです。
女性や子どもを呪い殺す呪術であり、子孫が多いものへの呪いもありますが、作りにあたり、子どもの生贄は確実なため、作る側も送られた側も子どもを失うことに変わりはありません。
コトリバコに触った人は、女性だろうと、子どもであろうと死んでしまいます。死に方はとても残酷で、内臓がねじれていたりすることもあったそうです。
女性や子どもを呪い殺す呪術であり、子孫が多いものへの呪いもありますが、作りにあたり、子どもの生贄は確実なため、作る側も送られた側も子どもを失うことに変わりはありません。
コトリバコの作り方
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コトリバコの作り方は、とても残酷なものです。そして、作り方によっては呪いの強さも違います。コトリバコはただの箱ではないということは、前述でも知っていただけたでしょう。
そして、作る際にも本人は絶対に守らなくてはいけないルールがあること、作った後は目的以外では触れてはいけない人が存在することがあります。
では、どのような方法で作り、どのように気を付けるべきなのか紹介します。
そして、作る際にも本人は絶対に守らなくてはいけないルールがあること、作った後は目的以外では触れてはいけない人が存在することがあります。
では、どのような方法で作り、どのように気を付けるべきなのか紹介します。
複雑に木を組み合わせた木箱をつくる
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