2019年10月19日 更新

樋川ストーカー事件の概要とその犯人は?被害者遺族の苦しみも

ストーカー規制法が制定されるきっかけとなった樋川ストーカー事件をご存知でしょうか。警察の粗末な対応によって被害者女性は命を奪われてしまいました。その事件と犯人の詳細とは?また被害者遺族の苦しみとは、いったいどんな苦しみだったのでしょうか。

目次

世間に樋川ストーカー事件を周知させた

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桶川ストーカー殺人事件の際、ワイドショーや週刊誌が被害者の私生活を論う方向へ傾いていました。そんな中清水潔は、被害者の友人への聞き込みからストーカーの事実を知ります。その後は張り込みや聞き込みを繰り返し、ストーカーチームを割り出し、警察に情報提供をして犯人は逮捕されました。

更に被害者の告訴状を埼玉県警が取り下げさせようとしていたことも突き止める成果を挙げるのです。事件解決後には、埼玉県警との格闘があったそうですが、その際に山路徹や鳥越俊太郎の出演していたザ・スクープの協力があり、世間にこの事件を周知することに成功するのです。

清水潔が執筆した「樋川ストーカー殺人事件ー遺言」

장수기 on Instagram: “ジャーナリズムの教科書 #樋川ストーカー殺人事件 #清水潔 #読んでいる本” (710226)

1999年10月26日に起こった桶川ストーカー殺人事件。週間雑誌の事件記者だった清水潔が警察より早く犯人を特定し、逮捕へ導いた事件でもありますが、その記者が執筆したのが「樋川ストーカー殺人事件ー遺言」です。

「私が殺されたら犯人は小松」と遺言を残した被害者女性、どんなに怖かったか。そして助けを求めた警察に相手にされなかったときの悔しさ・悲しさはどんなものだったのか。そして、被害者の遺した言葉を頼りに取材を続け、警察より先に犯人に辿りつく記者の執念。それを知ることが出来る著書になっています。

樋川ストーカー事件のその後

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1999年10月26日、女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末に、埼玉県桶川市のJR東日本高崎線桶川駅前で殺害された事件は、「樋川ストーカー殺人事件」と呼ばれています。

警察不祥事としても注目されていますが、また一方では、被害者と遺族への報道被害が起こった事件として、報道のあり方についての参考例としても取り上げられる事件でもあります。この樋川ストーカー殺人事件のその後、どうなったのでしょうか。

ストーカー規制法が制定

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この樋川ストーカー殺人事件の発生をきっかけにして、ストーカー対策の整備は急速に進み、2000年5月18日、国会において「ストーカー行為等の規制に関する法律」が成立して11月24日に施行されました。しかしその後も何件かのストーカー殺人事件が発生しているのも事実です。

2012年11月には神奈川県逗子市の女性が殺害された(逗子ストーカー殺人事件)では、法律の不備として問題視。同年12月にストーカー被害を受けていた女性の家族2名が殺害された長崎ストーカー殺人事件は、警察が規制法を適用せず緩慢な動きに終始した結果、殺害に至ったとの指摘されています。

加害者および家族に対し損害賠償請求訴訟を起こす

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2000年10月26日、被害者の命日に遺族が小松武史ら犯行グループ計17人に対し、1億1000万円の損害賠償を求め提訴。2001年10月26日、5人に計490万円、11月16日には輸送役A・見張り役Bに計9900万円。そして2006年3月31日には、小松武史と彼の両親および共犯者1人の計4人に対し、1億566万円の支払いを命じる判決が下されました。

被告たちに賠償金の支払い能力はほとんどありません。遺族も現実的な受け取りについては諦めていた状態にあったが、「民事裁判で主張が認められた」という報道しか知らない近所の一部住人からは、「あそこの家は娘を売り物にしている」などという非難の声も聞かれていたといいます。

埼玉県警に対し国家賠償請求訴訟を起こす

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2000年12月22日、遺族が埼玉県に対して国家賠償請求訴訟を起こします。同年4月にまとめられていた県警の内部調査報告書では「事件の重大性の認識を欠き、捜査を放置したことは極めて不適切」との認識が示され、「捜査が全うされていればこのような結果は避けられた可能性もある」と述べて謝罪の意を示していました。

2月26日、さいたま地裁は県警の名誉毀損事案についての対応を「不誠実な対応」「期待と信頼を裏切った」と批判した上で、遺族に対し計550万円の賠償金支払いを命じています。一方で「適切に捜査をしていたとしても4人に接触し、犯行を断念させることができたと認める証拠はない」として捜査怠慢と被害者殺害の因果関係については否定しました。

被害者家族「娘は3度殺された」

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1999年10月26日、埼玉県桶川市で被害女性が刺殺された「桶川ストーカー殺人事件」。その事件の被害者の父親は、「娘は3度殺された」と語っています。「1度目は殺害された時。2度目は、警察にです。(中略)そして3度目の殺人は、マスコミによるものです」という内容です。

地元の埼玉県警上尾警察署には何度も相談に行っていたにも関わらず、『民事不介入』を言い訳に、親身に対応してもらえませんでした。ストーカーの孕む危険性が認知されると同時に、警察の「民事不介入」の是非や、報道被害についても議論が喚起された事件でもありますが、ストーカ被害は残念ながらなくなっていません。

樋川ストーカー事件のドラマ化

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2002年6月10日に放送されたドキュメンタリー番組『帰らぬ遺品 - 桶川ストーカー殺人事件 再検証』。被害者の遺品が警察から返却されていないという清水潔による取材内容を、日本テレビのニュースの特集枠で放送したものが反響を呼びました。

そして同局の深夜ドキュメンタリー番組「NNNドキュメント」で内容を拡大して放送されました。その後、「樋川ストーカー殺人事件」は、いくつかドラマ化もされ反響を呼びました。

実録ドラマ遺言 樋川ストーカー殺人事件

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樋川ストーカー殺人事件を解決へ導いた週刊誌の記者だった清水潔が執筆した『遺言 - 桶川ストーカー事件の深層』を原作としたテレビドラマである「実録ドラマ遺言 樋川ストーカー殺人事件」。2002年10月28日に「スーパーテレビ特別版」として放送されました。

清水潔の希望により極力原作に忠実に描かれ、実際のニュース映像や上尾署の会見映像なども挿入されています。脚本・田子明弘、演出・五木田良一、出演・椎名桔平、内藤剛志などが出ています。

ひまわり 樋川女子大生ストーカー殺人事件

ショーコ on Instagram: “わ!都知事選に民進党から鳥越さんですって😳😳😳 鳥越さん好きなのでこれは入れてしまうな。自民党から出馬だったら入れないけど。  朝の情報番組で第二ボタンまで開けてたオトコ。…” (710461)

2003年12月13日、テレビ朝日の土曜ワイド劇場で放送されたテレビドラマ「ひまわり 樋川女子大生ストーカー殺人事件」。原作は鳥越俊太郎の著作によるものです。脚本・坂田義和、演出・吉田啓一郎、出演・渡瀬恒彦、内山理名などが出ています。

ドラマ化に当たって遺族は「事実を曲げない脚本にして下さい。それだけ容れて頂ければ他には何も言う事はありません」と注文したといいます。こちらのドラマも、大きな反響を呼びました。

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