2019年10月19日 更新

樋川ストーカー事件の概要とその犯人は?被害者遺族の苦しみも

ストーカー規制法が制定されるきっかけとなった樋川ストーカー事件をご存知でしょうか。警察の粗末な対応によって被害者女性は命を奪われてしまいました。その事件と犯人の詳細とは?また被害者遺族の苦しみとは、いったいどんな苦しみだったのでしょうか。

目次

小松和人は、被害者女性と知り合う前にも、沖縄に居た頃に知り合った女性と埼玉の女子大生の2人とトラブルを起こしていたことが分かっています。この事件同様に、別れ話を切り出されるとストーカー行為を繰り返していたのです。

そんな小松和人は7月5日、兄の小松武史に殺害の実行費用として2000万円を預けたうえで、アリバイ作りのため沖縄県那覇市に飛んでいました。自分は完璧なアリバイを作り、お金で人を動かし事件を起こさせるとは非情としか言いようがありません。

10月18日に被害者の拉致を計画していた

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小松和人から殺害指示を受けたグループは、10月18日に被害者の拉致を計画したが、このときは犯行に及ばなかったそうです。しかし、10月25日に殺害実行犯となる3人と風俗店店員1人が犯行現場を下見するなど、用意周到な計画を練って実行に移すことになります。

午前8時には池袋で集合し、2台の車で9時には樋川駅に到着し被害者女性を待つことになります。そして12時50分頃殺人を実行するのです。下見をし、朝から待ち伏せをするとは、いくらお金を貰えるからといって殺人を犯すとは信じられない行動です。

母親が娘の死を知ったのは数時間後だった

Guy Man People - Free photo on Pixabay (708980)

自宅にいた母親に警察から事件発生の連絡が入れられたのは、発生から間もない時刻でした。母親は警察から桶川駅へ来るよう指示され、事件現場を確認。のち警察車両のワンボックスカーの中で30分ほど待たされた後に上尾署へ移動し、事情聴取を受けたと言います。

母親に被害者が亡くなったと伝えられたのは午後3時ごろのことで、母親から父親へ携帯電話を通じて被害者殺害の事実が伝えられました。のちに母親は裁判における意見陳述で、「娘が亡くなったのは午後1時30分ごろだと後で聞いたと証言しています。なぜ警察は病院に行くよう言ってくれなかったのか」とその対応を批判しています。

自殺した和人のリュックには遺書が入っていた

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小林和人が残した遺書には、自身の冤罪を主張する一方、自身の家族には事前に自らにかけていた生命保険金を老後資金として役立てて欲しい、との言葉が綴られていたそうです。小林和人の名誉毀損容疑については、2月23日に被疑者死亡のまま起訴猶予処分となり責任を問われることはなくなりました。

2000年1月26日に指名手された小松和人氏でしたが、犯行後、実に2か月以上もの間逃亡を続けたことになります。逃亡先の北海道では、普通に飲み歩くなどしていたといい、自分の手を汚さず殺人を依頼して平然と過ごせる神経を疑います、

ストーカー被害の告訴状を被害届に改ざんしていた

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上尾署員が被害者から調書をとり作成した告訴状について「告訴」という部分を「届出」などに改竄していたことや、証拠品の取り扱いについて虚偽の報告書を作成していたことが初めて報告され、「これらは虚偽公文書作成などの罪に当たる」と認めています。なぜ被害届に改ざんなどしたのでしょうか。

それは、告訴を受理すると検察庁への書類送付義務が生じると同時に県警本部でも状況が管理されるシステムになっているからです。受理してから二カ月近く捜査が進展していなければ問題になりますが、被害者が自分から取り下げてくれれば全てチャラになるという「怠慢」としか言いようのないものです。

警察は火消しの為にマスコミに意図的な情報を流した

Policewoman Police Car - Free photo on Pixabay (708987)

そして、警察はマスコミや世論から批判されるようになると、火消しのために意図的な情報を流していきます。しかも「嘘」を本当のようにマスコミに流していくのです。

「告訴取り下げ要請をした刑事はいない」「遺族は実行犯たちが逮捕されたときに菓子折りを持ってお礼に来た」「誤解を与えるような言動はあったかもしれない。しかし両親に会い納得してもらった」などと記者に耳打ちをして報道させていましたが、全くの「嘘」だったのです。

当時報道されていた内容

Press Conference Journalist Media - Free photo on Pixabay (708988)

事件発生後、遺族の元にはマスコミ各社の人員が大挙して訪れ、「集中豪雨型取材」といわれる取材過熱現象が起こりました。遺族宅周辺はマスコミに包囲され出入りもままならないほどとなり、遺族が姿を現すとコメントを取ろうとする記者から次々にマイクが差し出されていきました。

玄関の扉越しにコメントを求める声は、深夜1時過ぎまで続くこともあったそうです。そんな事件当時に報道されていた内容とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

被害者女性はブランド依存症

Woman Shopping Lifestyle - Free photo on Pixabay (708991)

この事件では、被害者女性の「ブランド品の所持」が注目されましたが、その前置きとなる出来事がありました。警察が事件の第一報を発表する際に、被害者の所持品に「グッチの腕時計」「プラダのリュックサック」があると発表していたのです。

しかし警察発表で被害者の所持品についてブランド名まで伝えるということは普通ではあり得ないことで、これは警察が自らの怠慢捜査に注目が向かないよう「放蕩した女性が事件に巻き込まれた」という印象を与えようと、意図的にそうした情報を公開したのではないかと言われています。

被害者女性は風俗嬢の女子大生

Cocktail The Drink Fruit - Free photo on Pixabay (708993)

当時の報道の一部には「性風俗嬢」とまで報道されていた「風俗店勤務」ですが、実は殺害される1年ほど前に、スナックにアルバイト勤務に入った友人から「ひとりでは心細い」と頼み込まれ一緒に勤務したことがそのように報道されてしまったのです。

このとき被害者は「自分はお酒を飲んだ人の相手はできない」として、2週間ほどで給料も受け取らず辞めていたにも関わらずです。一緒の勤務を頼んだ友人は後に報道被害の様相をみて「被害者の家族にも、本当に申し訳ないことをした」とと話していると言います。

上尾警察署の粗末な対応

Police Squad Car - Free photo on Pixabay (708999)

樋川ストーカー殺人事件は、被害者女性が幾度となく警察に相談に行っていたにも関わらず殺害されるという事件でした。そして、写真週刊誌および報道テレビ番組が行った調査・報道により、所轄の埼玉県警上尾署が被害者と家族からの被害相談を極めてずさんに扱っていたことが明らかとなったのです。

警察不祥事としても注目され、警察から3人の懲戒免職者を含む15人の処分者を出しましたが、上尾警察署の粗末な対応とはいったいどんなものだったのでしょうか。

被害者家族への対応

Bodyworn Body Camera Police - Free photo on Pixabay (710010)

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