2019年10月19日 更新

樋川ストーカー事件の概要とその犯人は?被害者遺族の苦しみも

ストーカー規制法が制定されるきっかけとなった樋川ストーカー事件をご存知でしょうか。警察の粗末な対応によって被害者女性は命を奪われてしまいました。その事件と犯人の詳細とは?また被害者遺族の苦しみとは、いったいどんな苦しみだったのでしょうか。

目次

小松和人ら3人が被害者宅を訪れ脅迫行為をした翌日から2日間、上尾署へ通いました。3人とのやり取りを録音したテープも持参し助けを求めた被害者家族へ、若い警察官は「これは恐喝だよ」と言ってくれたそうですが、年配の刑事は「ダメ、これは事件にならないよ」と取り合いもしなかったそうです。

さらに「そんなにプレゼントを貰ってから別れたいと言われれば、普通怒るよ男は。あなたもいい思いしたんじゃないの?男女の問題だから警察は立ち入れないんだよね」と、被害者が悪いとでも言うような対応だったのです。ここで真剣に対応してくれていたら、この事件は起きなかったのかもしれません。
Metoo Women Harassment - Free photo on Pixabay (710013)

その後も嫌がらせは続き、ビラをばら撒かれるなどエスカレートしてきており、再度警察に相談。「警察は告訴がなければ捜査できない」と言いつつも、被害者家族が告訴しますと言えば「告訴は試験が終わってからでもいいんじゃないですか」などと難色を示し、その日に告訴することは出来ませんでした。

試験期間が明けた被害者と母親は告訴のため上尾署を訪れたが、応対した二課長は担当者不在を理由として1週間後の再来を促し、7月29日になって告訴状は受理されましたが、一連の名誉毀損行為の犯人については「誰がこのようなことをしたのかわかりません」と記載されるなど対応はひどいものでした。

被害者家族についた「嘘」

Trust Man Hood - Free image on Pixabay (710012)

次長は、被害者家族が小松和人からの被害を再三訴えていたにもかかわらず、「犯人が特定されていないのだから、何も告訴状をとらなくても被害届で捜査すればよかったんじゃないのか」などと述べていたとされ、その会話から数日後には次長の意を受けた二課長は被害者から被害届を取り、告訴を取り下げさせるよう課員に指示しました。

9月21日頃、課員が家に来て「告訴を取り下げて欲しい」と。そして「告訴するなら、またすぐに出来ますよ」という課員に対して、断固として拒否をして課員は引き下がりました。しかし、この課員は刑事訴訟法の規定で一度告訴を取り下げると再告訴はできなくなるにも関わらず、それが可能であるように「嘘」をついていたのです。

主犯・小松和人に対して

Night View Japan - Free photo on Pixabay (710021)

一方、小松和人は大金を持って札幌へ逃げのんびりと過ごしていたと言います。完全に警察は舐められていたとも言えますが、警察も真剣に捜査などしていなかったのです。この頃の県警幹部は「今、和人に出てこられても困るんだよな」と言い放っていたと言います。人の命を何だと思っているのでしょうか。

結果的に小松和人は自殺しましたが、名誉棄損罪が被疑者死亡のまま起訴猶予となり、小松和人の刑事的責任はこれで幕引きとなりました。結局、上尾署は殺人事件はおろか一連の名誉棄損事件について小松和人の責任を追及せず終わらせたとも言えるのです。

問題の記者会見

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事件当日の記者会見。その際の質疑応答で警察は「トラブルかどうかはわかりませんが、本年7月下旬ごろ、名誉棄損的な被害届を受理している」と話しているのです。嫌な思いをしながらも、やっとの思いで作成した「告訴状」を「被害届」と受け答えしていたのです。

この段階ですでに「告訴」の文字に2本線を入れて改ざんされた調書を上尾署は確認していたはずです。以後も会見の度に「告訴」になったり「被害届」になったりと二転三転し、3月に入って特別調査チームが調べて「改ざんされていた。今初めて気づいた」と述べたのです。警察の信用などないと言っても過言ではありません。

記者会見を行った片桐敏男について

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1999年10月26日に埼玉県桶川市のJR東日本高崎線桶川駅前で女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末に殺害されました。ストーカー被害を幾度となく訴えていた相手、そして事件を捜査した相手も埼玉県にある上尾署でした。

事件直後の記者会見を行った片桐敏男は、会見前「捜査一課長の代理ですから、厳しい質問のないようにお願いします」と笑顔で話すなど、のちに世間から批判される問題となった人です。

埼玉県警の刑事2課長

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内部調査を終えた埼玉県警は、その結果を発表し、そして被害者家族が訴えていた一連の対応について、大筋でその事実を認めました。「告訴」という部分を「届出」などに改竄していたことや、証拠品の取り扱いについて虚偽の報告書を作成していたことが初めて報告し、「これらは虚偽公文書作成などの罪に当たる」と認めたのです。

そして調書改ざんに関わった上尾署刑事二課長、同係長、同課員の3人は懲戒免職処分となりましたが、その中に片桐敏男はいます。刑事2課長とは、刑事課を取り仕切る管理職であり、階級は警部または警視です。管理する立場の人間が改ざんに関わるとは、警察とはいったい何のためにあるのでしょうか。

懲戒免職になる

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懲戒免職とは、職場内の綱紀粛正及び規律と秩序の維持を目的として懲罰の意味で行う免職のことであり、職務に関するあらゆる懲戒処分の中で最も重い処分になります。警察は公務員になるので免職という言葉を使いますが、一般でいえば解雇となります。

一連の不祥事が世間の知られると、直接詩織さんと接触していてこれら3名の署員は移動させられます。その後、なんとマンションにある茂木次長の自宅が何者かによって放火されますが、その放火犯はなんと移動させられたひとりでした。彼は茂木次長のせいで自分が刑事から交番勤務へと左遷されたと恨み、そしてこの元上尾署員は、刑務所の中で自殺しました。

実行犯の居場所を暴いたのは当時の週刊誌記者だった

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ストーカー被害により、殺害された事件。この事件発生後、遺族の元にはマスコミ各社の人員が大挙して訪れ、被害者の葬儀においては、葬儀社に「被害者の父親から許可を得た」と虚偽の申告を行い、葬儀場の祭壇を撮影しようとしたテレビ局も存在したと言います。

ワイドショーや週刊誌が被害者の私生活を論う方向へ傾いた一方、違った切り口から事件を報じ続けたのが写真週刊誌『FOCUS』で、本事件の担当記者であった清水潔でした。そして実行犯の居場所を暴いたのは、警察ではなく記者の清水潔だったのです。

樋川ストーカー事件の事実を暴いた

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週刊誌の記者をしていた清水潔は、事件の犯人像を取材する中で被害者の友人から証言を得ることに成功します。そして被害者が小松和人とそのグループから受けた苛烈なストーカー被害の実態と、被害を訴えられた警察が不誠実な対応に終始していたことを知ります。

「ストーカーに狙われた美人女子大生の『遺言』」そして「『裏風俗、当り屋、偽刑事』女子大生刺殺事件キーマンの顔」として、小松和人の実像についてを特集していき、樋川ストーカー殺人事件の事実を暴いていったのです。

清水潔の情報提供により犯人逮捕に至った

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清水潔は、嫌がらせ行為の実行グループが小松和人の風俗店関係者と掴み、被害者を殺害した実行犯も同類だったのではないかと推理します。そして独自にその割り出しを進めると、すぐに刺殺犯久保田祥史の存在が浮かび上がります。

12月6日には久保田祥史と輸送役Aの姿を撮影することに成功し、清水潔は記者クラブに加盟していた協力者を通じてその写真を警察に提供、12月19日には久保田祥史の身柄が警察により確保されました。警察より早く情報を掴み、犯人逮捕することが出来たのです。警察はいったい、何をしていたのでしょうか。

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