2019年8月20日 更新

カスパーハウザーの出生の謎や暗殺事件の真相は?未だに残る多くの謎

カスパーハウザーという名前を聞いたことがなくても、肖像画を見れば「あー!」と思い当たる人も多いと思います。16歳で突然発見された少年は、ほとんどまともに言葉を話せず、一度も折り曲げたことがなかったような膝を持ち異様な様子でした。

目次

カスパーハウザー暗殺の謎

Bundestag German Flag Reichstag - Free photo on Pixabay (565267)

19世紀のドイツで16歳ほどの孤児が言葉もしゃべれない状態で発見されました。彼の名がカスパール・ハウザーです。カスパール・ハウザーとは誰なのか?どこでどうやって育ったのか?当時は、まだDNA鑑定も今ほど優れたものではなく、全く手がかりをつかめる情報がありませんでした。

そして、様々な専門家が集結し、ようやく彼が過去の真実を明らかにしようとしたとき、誰かに殺害されてしまいました。そして、いまだに彼の名前は「伝説の孤児」として有名ですが、いったい誰なのかはわかっていません。

カスパーハウザーとは

Good Night Small Child Little Boy - Free photo on Pixabay (565268)

カスパー・ハウザーは、ドイツの伝説的な孤児ですが、伝説といっても、『実在したかどうか不明』ということではありません。少なくとも1828年5月26日から1833年12月17日まで、カスパー・ハウザーと名乗り、そう呼ばれ、複数の保護者の許を転々としていた一人の若者の存在は、公式な文書にも記録されています。

彼が『伝説の孤児』とされている理由はいくつかありますが、一つは出生と前半生が謎に包まれていることです。 脚には小さな水ぶくれが無数にできており、膝が曲がらない奇妙な歩き方で発見・保護されて以来、生前から死後に到るまで、何処で産まれた何者で、どのようにニュルンベルクにやってきたのか?

それなりの権限を持つ専門家が真剣に調査を試みましたが、なぜか2度も襲われ殺されてしまい、面倒を見ていた一人の専門家まで殺されてしまいました。

カスパーハウザーの発見

Surprised Blue Eyes Freckles - Free photo on Pixabay (565269)

この世の地獄から這い出してきたかのようなカスパー・ハウザーは、突然ドイツに表れ、社会的スキル、というものが備わることなく成長した人間のまま、その素性がついに明らかにされないまま、5年後にこの世を去ってしまいました。

カスパー・ハウザーの存在に対する文献は、革命期のフランスの軍人・政治家でフランス第一帝政の皇帝にも即位したナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)と、ドイツを代表する文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)に次いで現在もドイツを席捲しています。

「ヨーロッパの子」「ヨーロッパの孤児」ともいわれるカスパー・ハウザーは、存在自体が超越的で、今もなお人々の想像力をかき立てずにはいさせてくれない存在です。

16歳ぐらいの少年が発見される

Hiding Boy Girl - Free photo on Pixabay (565271)

カスパーハウザーが発見されたのは、1828年5月26日、ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって治められ、19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在した現在のドイツ連邦共和国南部の『バイエルン王国(ドイツ語: Königreich Bayern)』のニュルンベルク(ドイツ語:Nürnberg)です 。

ペンテコステ(ラテン語: Pentecostes)=『聖霊降臨(せいれいこうりん)』と呼ばれる新約聖書に「イエスの復活・昇天後、集まり祈っていた120人の信徒たちに神からの聖霊が降った」という一つのエピソードがあり、それを記念するキリスト教の祝祭日『聖霊降臨祭』が終わったばかりの日でした。 

ウンシュリット広場(Unschlittplatz)で16歳ほどの少年が発見され、身元などいくつか質問をされてもまともに答えられず、衛兵の詰所に連れていかれました。衛兵たちから「筆談はどうか?」と紙と鉛筆を渡された少年は「カスパー・ハウザー」という名前を書きました。

少年が持っていた手紙

Letter Handwriting Written - Free photo on Pixabay (565272)

自分の名前を「Kaspar Hauser(カスパー・ハウザー)」と書いた少年は、ニュルンベルク駐屯第6軽騎兵隊第4中隊勤務のフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒ大尉宛の手紙を2通携えていました。

手紙は誤字や文法の間違いが目立つもので、洗礼は済ませてあるこの少年のファーストネームは『カスパー』で、誕生日は1812年4月30日。この少年の父親はニュルンベルグの第六騎兵連隊でしたが既に死去しているとされ、父と同じ騎兵に採用してほしいが、手に余れば殺してほしいと書かれていました。

ヴェッセニヒ大尉は、手紙の主について何ら心当たりがなく、警察当局も困りはて、仕方なくカスパーを浮浪罪でフェスナー塔に監禁することにしました。当時の市長は、カスパーを市費で養う代わり、市の見世物にすることにしカスパーは「ニュルンベルクの孤児」と異名をつけられました。

カスパーハウザーの食事

Breakfast Food Dish English - Free photo on Pixabay (565273)

彼の保護・養育にあたった法学者アンゼルム・フォイエルバッハによると、カスパー・ハウザーは当初、肉や牛乳を口にしても吐き出してしまい、パンと水だけをとることができました。

コーヒーなどを一滴だけ水に混ぜるだけでも、水と偽って飲ませても、彼は顔を青くして、それらをすぐ吐いてしまいました。

またパンの内部に他の食べ物が含ませて食べさせようともしましたが、彼は匂いだけで気づいてしまい、無理に食べさせようとしてもても、やはり吐いてしまいました。

不可解な行動

Person Human Girl - Free photo on Pixabay (565276)

カスパーハウザーは、ロウソクの火を見た時、それを掴もうとして火傷しました。刃物を間近で見て、刺したり斬るような動きをしても、それがまったく危ない事だと知らないように身動きをしませんでした。鏡に映る自分には怒りを見せ、鏡の背後に隠れている誰かを探す動きを見せました。

生物と無生物の形質の違いは理解しているようでしたが「おとうさんのような軍人になりたい」「わからない」「うちの馬」の三語しか話せませんでした。

発見時のカスパーハウザーについて

Animal Monkey Gibbon - Free photo on Pixabay (565277)

身長4フィート=約144㎝、薄汚いく丸いフェルト帽、踵の高いブーツ、黒いネッカチーフきれいな髪に青い目、サルのように突き出た顎をしており、何かに怯えた様子の色白の16、7歳の少年は、手には手紙らしきものを握っており、生まれたばかりの赤ん坊のように満足に歩くこともできませんでした。

たまたま通りかかった靴屋のジョルゲ・アイヒマンがこの少年を発見し、不審に思いいろいろ質問をしましたが、言葉がまったくわからない様子で「weiß nicht(ヴァイス・ニヒト)=わからない」とだけ応答するだけでした。

彼の噂が広まるにつれ、多くの法学者、神学者、教育学者たちが彼に関心を持ち、彼らはカスパーにさまざまな検査を施し、また教育を試みました。

読み書きを教えた宗教哲学者

Books Library Reading - Free photo on Pixabay (565278)

ドイツの詩人であり宗教哲学者『ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー(Georg Friedrich Daumer)』は、カスパーハウザーに言葉を話し読み書きを教えられるようになるか興味を持った専門家の一人でした。

ほぼ毎日、カスパーハウザーの元を訪れ、物心がつき始めたカスパーハウザーの教師のような存在になっていました。ニュルンベルガーに突然表れて数カ月後には、別人のように成長言葉も話せるようになっていました。

カスパーハウザーの学習機能は極めて高く、新しい言葉を覚えるというよりも、はるか昔に知っていた言葉を思い出しているような吸収の仕方でした。しかし、死ぬまで神の概念を理解することはできませんでした。

保護や教養を担当した法学者

Law Books Legal - Free photo on Pixabay (565282)

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