2019年8月20日 更新

カスパーハウザーの出生の謎や暗殺事件の真相は?未だに残る多くの謎

カスパーハウザーという名前を聞いたことがなくても、肖像画を見れば「あー!」と思い当たる人も多いと思います。16歳で突然発見された少年は、ほとんどまともに言葉を話せず、一度も折り曲げたことがなかったような膝を持ち異様な様子でした。

目次

ドイツのミュンヘン市中心部、英国式庭園とミュンヘン宮殿の間に位置する、名称はドイツ語で「王宮付属庭園」を意味するバロック式庭園『ホーフガルテン (Hofgarten)』内のカスパー・ハウザー暗殺現場に1833年12月14日に記念碑が建立されました。

マルクグラーフェン博物館( Markgrafen-Museum)では、カスパー・ハウザーについての展示コーナーが設けられ「謎のみなし児・カスパー・ハウザー像」「発見当時の浮浪児然としたカスパー・ハウザー」「教育されたカスパー・ハウザー」の奇妙な銅像たちが見られます。

カスパーハウザーの墓

Autumn Cemetery Cross - Free photo on Pixabay (565321)

カスパー・ハウザー暗殺現場には記念碑が建立され、彼が命を閉じたバイエルン州ミッテルフランケンに属する郡独立市アンスバッハ(Ansbach)では、市営墓地でカスパー・ハウザーの質素な墓を見ることができます。現在の墓石は近年になって建て直されたものです。

カスパー・ハウザーは、1831~1833年アンスバッハで暮らしていました。

アンスバッハは、748年、後にアンスバッハ川と改名される『オーノルツバッハ川』とフレンキシェ・レーツァト川の間にベネディクト会の修道院が創設され、その後、この修道院が発展し、周辺の入植地を統合して都市を形作られ、1221年に初めてできた都市です。

謎が多すぎる多い野生児

Hands Trunk Creepy - Free photo on Pixabay (565322)

カスパー・ハウザーの謎は、現在でも19世紀のドイツ最大のミステリーのひとつとされています。『謎を解く鍵を握るバーデン家』が情報の公開を拒否していることなどから「やはり何かあるのでは?」と憶測も呼ばれていますが、詳しいことは分かっていません。

世界には、野生児と判断されている人物が複数おりますが、カスパー・ハウザーは、他の野生児と呼ばれる者に比べて謎が多すぎるまま、この世を去ったことから出生や死についての謎はいまだ解明されていません。

現在でも、このミステリアスな物語の主人公カスパー・ハウザーについての真相を知りたがっている人は多いのです。

5 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪